長~いCDタイトル名は
『心を優しく包むー穏やかでロマンチックなピアノ・ミュージック』
ピーター・ブレイナー(1957-)はナクソス・レーベルでしばしばお目にかかる指揮者で作曲家、ピアニストであり編曲者。このアルバムは一昨年から昨年にわたりブレイナーが作曲したピアノ曲を自ら演奏したもの。1曲目が始まると「3月の柔らかな淡雪が軽やかに落ちてくる」ようなイメージを感じたので、曲のタイトルを見ると 〈小さな雪の結晶〉とある。慈しむようにゆったりと弾く一音一音の音、その響きの余韻が消えゆくまで聴こえてくる、とても美しい曲集である。後半になると、曲のテンポが少し早くなる。曲中に《スロヴァキア舞曲集》(5曲)が入っているが、スロヴァキアという国は彼の故郷であり、そこでの思い出が込められている曲。ほかに〈ラトビアのロマンス〉〈人生の下書き〉〈これもまた過ぎ去るだろう〉など。一口で言えばヒーリング・ミュージックであるが、聴きての心に染み入るような美しい旋律は心癒される。
ナクソス '20/2録音 '20/10発売 22曲 74:19 1,206円(国内流通輸入盤 通販)
ピーター・ブレイナー(ピアノ)
今年の『コバノミツバツツジ観賞登山』の予定
早々と開催日の問い合わせがありましたので登山予定日を4月10日(土)にしました。例年と同じ内容になりますが、詳しくは3月下旬にこのブログで、山陰中央新報紙には開催日の3日前から掲載することにしています。今年も美しい花を観賞できると思いますのでお楽しみに。
飯生いなりコースの林道状況について
林道は入口~登山口間に倒木などが数本あります。チェンソーが必要な大きさのためそのままになっていますが、通行はできますので登山に支障はありません。お出かけください。
雪が積もるのは今週が最後?
先週に積雪があったが、消えないうちに再び雪が降り、今週の積雪が計9cmになった。今日は午後から天気回復の予報で、園児たちに雪だるまを作ってもらおうと〝かんべの里〟に出かけた。〝てんぐの森〟の焚火から煙が上がり、傍でお兄さんたちが薪割りの最中。お昼は「七草がゆ」の食事だそうで、園児は向かいの斜面でそり滑りに夢中。段々のような斜面で、滑ってもせいぜい3mほどで、転んでは大笑い。春を感じさせる柔らかい雪で、滑るうちに直ぐ地面が現れて汚れだす。「かまくら」を作ると言って雪を集めるが、とても雪が足りない。私が「雪だるまを作ってくれない?」と言うと「いいよ」。小さな手では雪が集まらず、つい私が手を出して頭と胴体を作ってやり、持参したペットポトルのキャップが入った袋を差し出すと、埋め込んで目や鼻にする。「後ろも顔にする」「??」。「雪が解けないといいのに...」と園児がつぶやいていたが、暫くは天気良さそうなので、雪だるまも日曜日までに融けて消えるかもしれない。急に園児たちが斜面を下ると、広場でおやつと水筒を出して休憩を始めた。先生に「子守り、終わり!」と言って失礼する。
遊歩道も尾根道も雪道で、斜面の登り下りは滑りやすいが、陽が差して明るく、気持ち良く歩ける。今日はウサギの足跡見当たらず静まり返り、〝まむし谷池〟から奥へは靴跡が続いていた。東屋展望台からは風土記の丘や人家も見えるがどこも雪景色。奈良時代だったら、もっと雪に覆われていたことだろうと思った。
子供たちは元気 !!(昨日の話)
雪が積もったら出かけようと思っているのに一向に積もらない。今年の積雪は1月で終わったのかと諦めて〝てんぐの森〟へ出かけて見た。広場に着くと焚火の煙が細々と立ち昇っているだけで誰も居ない。それまでママゴト遊びをしていたようで、台の上に器などが置かれている。そのうち戻ってくるだろうと散策路を奥に入ると、下ってくる園児たちが見え、女の子のひとりが「〇〇さ~ん」と私の名前を大きく呼んで走ってきた。東屋展望台経由で一周してきたそうだ。園児たちはヌルヌル道を気にしないでどんどん歩いて行く。あの、寒い日に青汁垂らしていた男児に負けない元気な子は、春には小学1年生になるので、早々卒園して姿が見えない。もう一人の子も1年生になるのだけれど、「ここが楽しい」とまだ頑張って通っている。「水色のランドセルを買ってもらった」と嬉しそうで、入学が待ち遠しい様子。5歳の子は「お盆になったら6歳になる」と、来年の入学を楽しみにしている。ふと、「会うは別れの始めなり」の言葉が浮かんできた。やっと仲良くなってきたのに、ちょっと寂しい。
3時のおやつに、持参した焼きイモをプレゼントする。まだ温かい。小さな口にほおばる焼きイモ、「蜜のように甘くておいしい!」。それから「このイモの皮食べれる?」と尋ねる。「よく噛んだら食べれるけど...(内心、お勧めしないけど)」と返事する。食べながら何度も「ありがとう」の声。老人ホームに入っている叔父も大好物の焼きイモ、ある店でだけ、いつも買うことにしている。
お別れして遊歩道を奥へ、〝まむし谷池〟沿いに〝あやめ池〟に行く。名前に「あやめ」とあるが、何も咲かない草地にある大きい水溜まり池。毎年、モリアオガエルが枝先に卵を産む場所で、綺麗に草刈りや枝切りがされていた。帰りは尾根道通って駐車場に戻ったが、隣の〝八雲立つ風土記の丘〟も今日はお休み日。ツバキの花が綺麗に咲いていた。
仲間と吉田観音寺寄進碑の発掘、設置
高盛山へ向かう登山道の途中にある観音寺跡には礎石や石段などが散乱しているが、今日は数年前に見つけていた、田んぼ寄進(寄附)碑を掘り起こして寺跡まで引き上げる作業をする予定であったが、重い石碑のために崖崩れの急斜面を引っ張り上げるのが無理と分かり、2m下にある昔の農道(跡)まで下ろし据え付けた。寺跡からは距離があるので文字は読めないが、石碑を見下ろすことができるようになった。多分、崖が崩れて下に落ちたものと思われる。
そのあと、寺のあった平地の雑木の撤去とササ刈りの奉仕活動、全体が明るくなる。植林のスギは残しておく。昼過ぎに取りあえず終了して下山した。
彫られている文字は下記のとおり。
(正面)下吉田字燈明田三百十六番 寄附者 上吉田 山崎正三郎
一田四反拾壱歩 仝 中尾宗一郎
但畦畔共 下吉田 名和川秀治
(側面)大正十二年四月二十三日寄附
この寄進地も戦後の農地解放制度によって田畑が接収され、檀家の無い観音寺(住職夫婦と子供1人が生活)は苦境に立たされて生活に苦しみ、最後は大阪へ立たれて還俗、寺は廃寺となった。畑地は戦後にスギが植林され、谷の田んぼは雑草地となった荒地になっている。
正面を寺跡に向ける しかし境内からは文字は読めない
崩落しつつある斜面を避けて設置