安来市広瀬町東比田の山奥にある坊床。今は無住になってしまったが、平安時代に12坊(あるいは10坊)在ったという弘法大師開山伝説がある山。戦国時代には出雲国富田(現・広瀬)の月山城主尼子氏が祈願所、撤退時の避難所として寺を再興した歴史ある盆地。終戦後には開拓団が入り、東比田小学校の坊床分校も建ち住民は夢を持って開拓に励んだが、高度成長の波に取り残されて下山する人たちが続出、25年の歴史の幕を閉じた。去った大きな理由は「生活のこと」「子供の将来のこと」。中学生になると西比田まで行かねばならないので下宿生活となった。今は小さな大師堂が現存するだけの地になってしまっているが、堂は今も東比田の人たちによって守られている。「坊床」の文字は国土地理院の地図に今も載っている。
比田の人たちからも忘れられようとしている坊床を何とか記録に残して置きたい一心で資料集め、やっと写真入りでひとまず完成、坊床の歴史のダイジェスト版といったところである。元開拓者やその子供たち(分校の生徒)の作文も入ったA4の20ページ、記録が後世まで残るよう東比田と宇波の交流センターにファイルを渡しておいた。私は地元の者でないので東比田のことは全く知識がなく資料集めに時間がかかったし、まだ分からないことが多い。
盆地一帯は樹々と背丈もある熊笹に覆われているが、昨年ごろから伐採が始まり、伐採と笹刈りで見晴らしが良くなったので坊床分校の場所も見つけられた。今年も伐採作業が行われていて「立ち入り禁止」の標識がある。坊床山(735.0m)は登れないままである。
坊床分校跡記念碑(1991)と井戸水汲上機械庫跡
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突然失礼いたします。
私は以前坊床山に住んでいた者です。
私の父が開拓団として入植し 私が小2の時に下山しました。あいまいではありますが、当時の事は記憶に残っています。 父母も年を取る事に坊床山での生活を話ようになり私もネット検索で色々調べましたが なかなかヒットせず たまたまそちらのブログが目にとまり 行かれた人がいるんだ とびっくりしました。 以前 父と母が私達が住んでいた家の写真を見せてくれた事があります。
家の形はなく屋根だけでしたが 最後に連れて行ってあげたら良かったと思いました。
貴殿がなぜ 坊床山に興味を持たれたのかわかりませんが、私は小学校の跡地や風景が見れて良かったです。
資料を作成されたとの事ですが、何処で見る事ができるのでしょうか。 長文になりすみませんでした。
こんばんは。
返信コメントありがとうございました
まさかまさかでビックリしています
私は他県に住んでいるので 出向く事は難しいと思いますが 落ち着いたら東比田交流センターに連絡してみようと思います
丁寧に教えて頂いて本当に有難うございました
東比田交流センターに電話をして 色々お話を聞きました。
すでに私の事も知っておられて松江人さんから預かっている資料を館長さんも気にしておられた と言われていました。 で、すぐには行く事ができないので 送ってもらえないかとお願いしたところ 送ってもらえる事になりました。
松江人さん、館長さんには本当に感謝しかありません。
送られて来るのを 楽しみに待ちたいと思います。
ありがとうございました
ありがとうございます
私も松江人さんのブログを目にしなかったら 資料を作られた事も知らなかったでしょうから本当に嬉しいです。
電話で対応して下さった方も 私の名前も下山先の事も言い当てられました 何十年前の事でも残ってるんだと驚きました 仰る通り 母も姉も合っています。
母は亡くなりましたが 姉は元気で弟もいるのでみせたいと思いますが、 貴重な資料ですので姉と弟のみで共有します。 ありがとうございます。
昨日 交流センターから松江人さんの資料に加え、文集から私関連の記事を抜粋した物と一緒に送られてきました。
凄く丁寧に書かれていて 読める事に感謝しかありません。
突然ブログにお邪魔して こんな風に知ることができたことは本当に有難かったです。 松江人さんには負担かけてしまい申し訳ありません。 コピーするにもお金がかかるので請求してくだい。 この度は本当に有難うございました。
追加の資料 届きました
テレビ放映もされたんですね
凄い事です
頂いた資料は大切に読ませて頂きます
この度は 本当に有難うございました
2024.8.4 沖元祐子