私にとって秋の2回目の登山道整備の日、地元の方と別所から入る。別所の停留所横に車が1台、女性たちの姿が見えた。今日は登山者があるようでホッとする。金尾谷の田畑を利用する農家が1軒だけになって寂しくなってしまった。別所登山口にあるベンチを登山口前に移動させてから山に入る。このコースは春以来の草刈りで、登山に支障はないが、歩きやすいように刈払機と刈込鋏を使って道のササを刈る。鐘尾峠近くなって、停留所で見かけた女性3人が登ってきて「私たちのために草苅りしてもらい、ありがとうございます」の言葉。思っていた以上のササの成長で時間がかかったが、やっと三角点に着き、お昼の休憩。雨雲が多くなって、気にしながら隣りの最高地点まで刈って下山する。もう1回整備に上がらねばならない。
お願い !!
① 先日、午後から登られた男性が道に迷って警察などが出動し、夜遅くなって救出されたという話を聞きま した。秋の日暮れは早いので、独松山登山地図を必ず持参(能義と吉田交流センターにあります)して、早めの下山をお願いします。標高の低い里山ですが、決して甘く見ないでほしいです。過去にもこのような事故が数件起きています。
② 独松山三角点へ登らず、山腹を通って高盛山へ行くコースがありますが、現在手が足りないため草刈りを止めていますので、三角点経由での登山をお願いします。取りあえず、赤いテープを張っておく予定にしています。
③ 横手登山口の案内板が古くなって壊れ、撤去されています。現在、登山口の標識はありませんん。
お知らせ !!
恒例「秋の独松山登山」は11月14日(日)を予定にしています。詳しくは後日、このブログと山陰中央新報の催し欄でご案内させていただきます。
昨年の登山から(独松山三角点にて)
登山コースの秋の草刈り
秋の行楽シーズンも近づいてきて、そろそろ気になりだした独松山の草刈り。一番気になるのは飯生コースの様子。7月ごろに「倒木があるよ」と言われていたので、今朝思い出して出かけてみることにした。秋になったといっても未だ暑い。飯生から林道に入ると草がいっぱい茂っている。枯れた倒木があり、それは縦走路まで何本も見かけた。今日は刈込鋏でのササ刈りだけにしていたので、倒木は次回か、来年3月の草刈りまでお預けにする。チェンソーで伐った方が早い。林道終点はやはりイノシシが荒している。水浴びしてないのが救い。途中で若者4人が登ってきた。飯生コースで登山者を見かけるのは珍しい。
何とか中高盛山の展望所まで大まかに草刈りしてちょっと休憩。声が聞こえてきて3人の男性登山者が傍の縦走路を通り過ぎていった。高盛山へ向かったようだ。今日はここまで。特に夏の草苅りは大変、体中が汗でベトベト、体力が年々落ちてきた感じ。ベンチを綺麗にしてから下山する。登山道はミミズ探しのイノシシも歩く。以前整備した道が荒れてきていて、V字の道が深くなっている。アンテナのような蜘蛛の巣は見かけなかったので歩きやすかった。
明晩は中秋の名月、晴れるといいけど...。
飯生林道終点の道 直しても直してもイノシシが荒す
中高盛山展望所から大山を見る 独松山もあと2か月すれば紅葉が始まる
鍵尾峠かぎおとうげ 約40m
9/9 晴れ 出発地:安来市利弘町 JAカントリーエレベーター付近 約4m
江戸時代、松江藩の支藩である広瀬藩の藩主が参勤交代で江戸へ向かう時に通ったという往還道があった。独松山資料最後の調査はこの往還道を歩いてみることであった。250年にわたる江戸時代、長い年月のため、藩主一行が歩いた道も一部分は異なっていたと考えられる。独松山の北側に広がる沼沢地も干拓によって次第に水田化されていったが、まだ平地を通れる道は少なく、丘陵地を越えて江戸へ向かうのが一般的であった。今回はその道をたどって歩くことにした。
県道102号線から南東方向へ、道尻川の小さな往還橋から利弘町の集落に入り、東へ向かう。軽自動車がやっと通れるような道幅が集落の中を通っていて、通りの狭い雰囲気が昔の面影を残している。沢町との境にある消火水槽の所で民家が途切れるが、往還道はその向かい、狭く草の茂った道である。左側の廃屋のような建物は鍛冶屋だったそうで、昭和の時代、縁台で主人が通りすがりの人と将棋を指していたという。農学校へ行く生徒も山越えしてこの道を通った。今は草木が生えて歩きにくくなっているので、東へ70m行った農家の手前を右折して、農道(田んぼ道)を通って奥に入る。道の終点、2つ目の堰堤が見える山際にイノシシ用のフェンスがあり、扉がある。ここが鍵尾峠への入口。雑草が邪魔して扉が開けにくい。入って10mほどは草に覆われていて道が見えないが、直ぐしっかりした山道となる。とは言え、人が歩かなくなり、長い年月で道が荒れてきている。土がコケに覆われて緑色になった石状の道もある。登って行くと平地に出る。右手に石灯籠が2基、かつてはここに神木があったと思われる。ここが藩主一行が休み、見送り、出迎えした鍵尾峠だが、左右に少し高い山があって眺めは無い。広場は昭和のころ、沢村(現在は沢町)の子供たちが遊んだ場所だったという。周辺には弥生時代の土壙墓が多くあるらしい。正面の道を下って行けば折坂町。集落近くになって竹林を抜けると林道が横切り、近くには墓地が点在している。正面の道を下れば舗装道となり、民家の前を過ぎて折坂の地蔵堂に出る。ここまでが今日の予定コース。途中枝道があるので、間違えないよう赤いテープを付けておいた。所要時間40分、地元住民からも忘れられた街道である。蚊に刺されて我慢しながら引き返す。距離は短いがV字の道や荒れた道があるので、刈込鋏や折り畳み鋸、地図(住宅地図が詳しい)があった方がよい。
往還橋と利弘集落入口
往還橋から見た道尻川
利弘四つ角にある日露戦争能義村のきむら従軍者記念碑
中央こんもりした所が鍵尾峠入口 田んぼは雑草に覆われている
古い山道が続く
鍵尾峠の灯篭 方向としては独松山へ向かう尾根際にある 戦国時代は尼子道があった
地蔵堂 島根県が立てた「広瀬清水街道」の標識 今日歩いた道とは違う 正面の坂道が私の歩いた道
これが六地蔵?
帰りに見かけた動物 子犬?それとも狸の子? 私を見ても恐れない 何とも哀れな姿
往還橋付近から眺めた独松山(いちばん奥の山)
美しい旋律いっぱいのピアノ・ソロ集
1900年代に超人気があったイギリスのアルバート・ウィリアム・ケテルビー(1875-1959)の作品集。小品ばかりだが、〈夢の川〉〈夏の歌〉〈夢の絵〉〈夕焼け〉〈パストラーレ〉など、自然や季節を描いたもの、ワルツの曲で〈ヴァルス=カプリース〉はショパンの〈子犬のワルツ〉を思い出させる旋律が聴ける。以前はセミ・クラシックと呼ばれたポピュラー的なクラシック曲は今はライト・ミュージックと言われ、ケテルビーはその世界で代表する作曲家のひとりだった。彼は作曲家、指揮者、ピアニストなど多彩な才能を持ち、心に残る美しい旋律はエキゾチックな曲もあって日本でも人気があったが、今は全く彼の曲を聴く機会が無くなっている。本来はオーケストラによる演奏で聴けるが、このCD盤はピアノ・ソロ。ラストにある〈修道院の庭にて〉の冒頭で聴ける小鳥の鳴き声は、原曲に忠実に鍵盤で演奏されている。後半の、修道院でのミサの祈り「キリエ・エレイソン(主よ、憐れみたまえ)」はオーケストラ盤では男声合唱で歌われるものであるが、ここではピアノの重厚な弾き方で描かれている。静寂感のある曲だが、彼が作曲し特に人気のあった〈ペルシャの市場にて〉に負けない曲である。
ピアノを弾くローズマリー・タックはオーストラリアのピアニスト、CD収録時間いっぱいに録音されている。オーケストラ演奏の新録音盤が今だ出ないのが残念である。
ナクソス '93/9録音(ロンドン) '21/7発売 18作品(25トラック) 80.39 1,181円 (輸入盤 通販)
ローズマリー・タック(ピアノ)