明治を生きた男装の女医(副題)
高橋瑞みず (1852-1927)は三河国鶴ケ崎村(現在の愛知県西尾市鶴ケ崎町)で西尾藩士の六男三女の末っ子として生まれた。11歳のとき父が、そして母も亡くなり、結婚と離婚を繰り返し、それから瑞のどん底時代が始まる。本人はこのころの事を語らず、資料も少ないので伝記として書けないため、物語として話が進んでゆく。女が生きていくためにと学んだ産婆(助産婦)から医師になろうとするも、明治時代は医学校に入学できるのは男子のみ。内務省に直訴したり、女人禁制の医学校校門に立ちつくしたりした結果、女子にも道が開かれ、明治20年(1887)試験に合格、日本で荻野吟子、生沢いくざわ クノに次いで3番目の公認女医になる。ドイツへ学びに行ったこともあって医院を訪れる人が多かったというが、60歳になると持論どおり医者を辞めてしまう。
瑞は体格が骨太、酒も煙草も好み、思い立ったら直ぐ行動にうつし、男衣装で肩をゆすって歩くような気骨ある男勝りの人だった。瑞は戸籍上の名、医師になってからは瑞子と名乗った。明治の時代にいかに多くの女性が活躍したか、瑞もその一人であるが、今はすっかり忘れられてしまっているのは残念なことである。世田谷区のお寺に漢文の「高橋瑞子彰功之碑」があり、文中に「女傑」の文字が彫られているという。
中央公論新社刊 '21/2 第3版 1,800円+税