松江人の日帰り登山

私のモットー SIMPLE IS THE BEST

積雪の朝日山登山⁇

2024-01-30 | 日帰り登山

朝日山あさひさん 西の峰 344m
1/30 晴れ 出発地:松江市鹿島町古浦 古浦側登山口 約19m

松江市内は道路の縁に雪が残っているので、雪の朝日山登山のつもりで古浦へ出かけたのに雪どこにも見当たらない。登山口も車7台あれど雪は無し。がっかりしたけれど、天気が良いので登ることにした。今日は西の峰へ直行、47分で到着。経塚山まで行きたいと思っていたが午後から出かけたので、この山だけにする。見かけた登山者は、登るときにすれ違った7人と登って来た2人。冬なのに相変わらず登山者が多い。雲多いが天気良好、ポカポカ陽気の気分で下山した。
25日の松江の積雪は28cmと発表されていたが、標高30m近い我家の前の道路は2日間で40㎝を越え、我家の車が動けるよう2度も雪かきをしてくたびれた。しかし、好天に恵まれると融けるのも早い。鹿島町は海に近いせいか雪が積もりにくいことは知っていたけれど、住宅地も田んぼも雪が見当たらないのは信じられなかった。


東の峰三角点(標高341.8m)と恵曇えとも


西の峰から見る柿原池と松江市街地 


西の峰からこの道を下り、西へ上り進めば経塚山(標高316m)


この時期、ツバキの木は多いが花は僅かしか咲いていない


ちょっとドライヴ 大根島へ

2024-01-17 | 風物詩

初めて行った波入港
1/17 晴れ 松江市八束町波入 波入港親水公園

今朝の冷え込みはすごく、車の窓は薄氷。窓に水をかけても直ぐ凍る。車を走らせているうちに溶けてきて、雲の少ない、快適な中海のドライブ日和となってきた。今日は大山を撮ろうと大根島に向かい、島の南岸を通って波入集落へ。波入港親水公園の駐車場に車を置き、短い橋を渡ると弁天島。ベンチと滑り台がある。天気は素晴らしいのに子供の姿は見えない。空気は冷たいけれどね。ハクチョウ2羽が港内からこの小島までやってきて、エサを貰えると思ったのか近づいてくる。港が定宿らしい。カモ類も見える。直ぐ傍に三角点あり。米子方向の上空では美保基地から飛び立った航空自衛隊機が旋回し、落下傘が次々と飛び出してくる。落下傘部隊の降下訓練である。このところ雪が降らないので、大山の白さは山頂付近とスキー場だけのように見える。ポカポカ陽気の中、もう少しドライヴしたかったが、午後からは曇りの予報なので昼前に自宅へ戻った。


朝9時過ぎ 大海崎堤防から大根島と島根半島を見る


弁天島とハクチョウ


弁天島にある三角点 標高は4.1m 


弁天島から見る大山 大根島は火山の噴火で出来た島 手前はハート型岩礁(多孔質で硬く黒い玄武岩) 


航空自衛隊機から飛び出す落下傘 左手は米子空港





CDを聴く 『ルツェミンスキ シー・リメンバーズ』

2024-01-15 | CD

ショパンの国からの贈物、ピアノで奏でる映画音楽集

マクシム・ルツェミンスキはショパンの生まれたポーランド出身のピアニストであるが、詳しいことは分からない。サブ・タイトルに「映画サウンドトラック集」とあるが、映画音楽を中心にした、このCDのためのコンサート・ホール録音盤。ピアノ・ソロのバックを務めるのが弦楽オーケストラ。ブックレットで写真を数えると16人の弦楽器奏者。控えめで、それでいて、ピアノに寄りそうに左右一杯に美しい音色を響かせる。ピアノは玉が弾けるようなリズムで、ショパンの曲を聴くようなロマンチックで抒情的な調べ。強弱の幅も大きい。一聴してすっかり虜になってしまった。私の愛聴盤になりそう。選曲もアレンジも、音の広がりも素晴らしい。どの曲も紹介したいほどだが、〈『インターステラ―』より「ファースト・ステップ」〉〈『ヤング・フランケンシュタイン』より「トランシルヴァニアの子守歌」〉〈『ゲーム・オブ・スローンズ』より「メイン・テーマ」〉〈『スペクター』より「ライティングズ・オン・ザ・ウォール」など。ピアソラの曲も2曲入っている。DUXレーベル。

東京エムプラス '23/1録音 '23/9発売 15曲 54:04 2,371円 (国内向け輸入盤 通販)
        マクシム・ルツェミンスキ(ピアノ)
        弦楽室内オーケストラ(ポーランド、ワルシャワ)



        


迷句を3句ご披露

2024-01-12 | 正月

◎10年以上も関わった独松山整備。昨年3月で引退したが、寝床の中で突然思い出してしまった。
 登山道がちゃんと通れるだろうか、と。
      里山の 道荒れて刈る 笹芒ささ すすき

◎女気が無くなった我家、12月はクリスマス・ケーキに年越しソバ、それに小餅を買っただけ。
 もう何年も正月飾りに初詣は止め、紅白の代わりにCDを聴いている。軽い思い付きで断酒を
 決心して3年目、少しも苦にならない。
      元旦は 正月無しの 餅2つ

◎年賀状は来たけれど...。「年賀状での挨拶はこれをもって失礼させていただきます」が4枚あっ
 た。初めてである。
      賀状読み 「これで終わり」の 文ふみの寂しさ

 

   


この1冊 『赤ひげ診療譚』山本周五郎 著

2024-01-08 | 本と雑誌

熱血漢の赤ひげ先生と若い医員の見習い勤務の物語

徳川吉宗が日本橋に高札と目安箱を設置、漢方医の小川笙船おがわ しょうせんが投書し実現したのが小石川養生所、小石川御薬園の一角に建てられた。治療も受けられない貧しい庶民のために無料で治療を受けることのできた幕府方の施療所である。作者の山本周五郎(1903-1967)はこの笙船のニックネーム「赤ひげ」を借りて医長の新出去定にいで きょじょうを誕生させた。小川氏は肝煎きもいり(所長)として名前だけがちょっとだけ顔を出す。そして長崎で蘭学を学んで江戸に戻ってきた若い保本登やすもと のぼるが登場し、貧しい暮らしの人たちと、老医師(漢方医)赤ひげ先生との出会いの中で成長していく。作者は骨太の正義感溢れていた人で、赤ひげ先生の「社会に対する怒りを忘れず」「貧困と無知さえなんとかできれば、病気の大半は起こらない」と語らせている。フィクション話とはいえ、私が青年時代に持っていた山本周五郎全集で読んでいたはずなのに、8話がこんなに暗く辛い内容だったとは思わなかった。小石川養生所は幕末になると蘭方医(西洋医学)が台頭してきて、140年の歴史を閉じた。養生所の井戸が今でも残されていて、小石川植物園で見ることができる。赤ひげ先生と保本医師のその後を読みたいのだが、今は自分で想像するしかない。
NHKのテレビドラマ「赤ひげ」シリーズ(原作にはない話もあったけれど...)を見て再び買おうと思っていた本だが、文庫本は文字が小さく読みづらいので新刊が出るのを待っていた。考えてみると、苦しい生活を耐え抜いた先祖がいたからこそ今の自分がいるということである。

本の泉社刊 '23/11初版 1,455円(税別)



追記  山陰地方にもあった貧しさ。こんな話が残されている。
● 尼子時代の頃の話で、貧しく苦しい生活を強いられていた農民の中には、生まれた子の食い扶持くいぶちを減らすため子殺し、これを生業にする人に頼んで子の始末をしてもらうことが多く、寺の住職たちの嘆きのひとつであったという。寺では水子供養がされていた。悲惨な赤ん坊を殺す行為は昭和の初め頃まであったかもしれない。このような話は全国にあり、特に東北に多かったらしい。
● 小泉八雲の『知られぬ日本の面影』に「鳥取のふとんの話」という話がある。両親を亡くし、冬のある晩、家主から夜具を取り上げられ外に放り出された兄と弟。軒下で体を寄せあったまま息絶えていたという話。昔話であるというが、妻のセツから聞いた話かもしれない。
● 大社町には田畑を持たない貧しい人がおり、入会権のある山で薪たきぎを拾って町内で売り歩き、その日の糧を得ていた人がいた。当時は山の境界が正確に定まっておらず、たびたび他からの侵入者があるということで尼子氏や松江藩に訴えられている。「論山」という言葉が使われている。以前に私が登山のことで出雲大社後方の山を調査した時、山の尾根や稜線に「山境」と彫られた石柱や石を多数見かけたが、多くは昭和時代に置かれたものであった。昔の村の境界である。