松江人の日帰り登山

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東比田・坊床へ 

2022-03-29 | 日帰り登山

坊床 ぼうとこ 約600m
3/29 晴れ 出発地:安来市広瀬町東比田坊床
  
背丈もあるササだらけの坊床に行くのをやめていたが、一か月前にインターネットで何気なしに航空写真を見ていたら坊床がササ刈りされ、樹々が伐採されているのを発見、現地に行ってみようと思い立った。今朝、東比田交流センターに立ち寄ったが現地の様子は知らないとのことで、近くのFさん宅に寄ったらご主人が居られ、「私の軽トラックで行きましょう」と言われて乗せてもらう。
坊床への舗装道は両側がササ刈りされていて2年前よりも幅広く感じられたが、急斜面を削って道が付けられているので落石が道のあちこちに転がっている。旧仔牛育成場前にチェーンが張られていて「通行禁止」の看板。多分車のことだろう。以前はもっと先まで車で入れたが。広い盆地状の坊床の奥に入ると、予想どおりの場所に「東比田小学校坊床分校跡」の記念碑。Fさんも3年ぶりの坊床だそうで、ササも樹木も切られていて、あまりの様変わりにびっくり。作業道がいっぱい斜面に付けられ、「やり過ぎ。これでは斜面が雨のときに崩れてしまう」と心配される。話に聞いていた学校近くの展望台に行ってみたが、今は樹木が茂っていて、これから若葉が広がりだすと眺めは無くなってしまう。「宇波小学校親子遠足登頂記念」の木柱が転がっていたので、起こして撮影。平成10年と書かれていたように思う。
戦後、開拓団が生活の場を求めて入植したことがあり、田んぼもあったが腰辺りまではまったという。ここは湿地なので細い流れがあり、「音無し川」と呼ばれている。寒冷の地なので作物が限られていて、冬季は積雪が2m以上になるときもあったらしい。開拓団の記念誌を読むと苦労話に頭が下がる。坊床は平安時代から信仰の場であったが、今は戦後建て直された大師堂のみ残っている。まだ調べたいことがあったが、次回にということにして、車の中で話をしながら道城集落へ戻った。もう少しすると、各集落で守り育てられているシバザクラの景色を見ることができる。


坊床分校跡地の記念碑 開校当時から立っている樹の下にある


記念碑の正面


記念碑の裏側


展望台にあった記念木柱 生徒たちは宇波 うなみ の雲場 くもんば 集落から登って来た? 


中央のコンクリート地は比田地区の中電鉄塔工事に使われたヘリポート 戦後の開拓時には田んぼだった 


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