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充電日記     

オフな話で一息を。

古書店のおっさんたちよ!立ち上がれ!平安神宮で古書まつりを開催したい!

2021年06月09日 | 
という名称のクラウドファンディングがあります。目標額300万円。現在のところ達成学は2割にも満ちません。しかもあと7日しか期日がない。とても心配な経過です。

・「心配」とは書いたものの、関係者でも身内でもありません。達成できる見通しがありませんね、というに近いものです。もちろん、常日頃、古本屋さんにはお世話になっている立場の者なので、相応のシンパシィはあるわけですけれども。

・ただ、気持ちは分かるにしても、こういう行動がどういう結果を招来するかは考えないといけないでしょう。多くの集会・コンサートが取りやめになっているところに開催するというのは無謀じゃないか、ということがまずありますよね。もちろん、野外だから風通しは抜群だ、というかもしれない。でも、昨年の秋の四天王寺の古本市は開催されませんでした。そのころより、コロナも終息傾向にはあるでしょうが、ウィルスの型が違っていると思われます。感染力が強くなっている。それをどう考えるか。

・また、地方の古本屋さんが京都にやってくるわけですが、そこで感染して地方に持ち帰ることになりはすまいか。平安神宮にだけ、いるわけではありません。夜になれば宿にも帰るでしょうし、お昼御飯も食べるでしょう。他人との接触の機会は多くなるわけです。

・クラウドの目標額300万円も、私としてはすっきりしない。なぜ300万円なのか、300万円を何に使うのか、そうしたことが見えてこない。これでは、おいそれと協力する気にはなりませんね。

・ただ、こういうことはありそうです。もし、お金の流れが分かりにくいファウンドだったら逆に信用するかもしれない。「よく分からないけれど、開発費はかかりそうだよね」とか想像させてくれるだけでもよいのですね。この点、「地方の古本屋が、京都に、商品である古本とともにやってきて、数日滞在して古本市をする」なら、経費は分かりやすいといえば分かりやすい。交通費・運搬費・宿泊費と関係雑費といったところでしょう。それで300万円になるのかどうか。

・あるいは、投資に見合うだけのバックがあると判断できれるのでもよい。が、どうもさほどのバックは期待できないようです(くわしくは、リンク先を参照)。

・私なら、合同目録を作って、各地大学の講座・研究室に送ることを考えます。もちろん、印刷費・郵送費がかかります。が、人流はほぼありません。経費も安く、健康にも貢献します。なんなら、HPに古本のリストを挙げてしまうのでもよいでしょう。印刷費・郵送費はいりません。おそらくこれが一番安上がりかと思います。

天保期の本願寺の活動一端

2021年04月17日 | 
・天保2(1831)年刊『永代節用無尽蔵』には、細かく分けるといくつかのエディションがあるそうです。そのなかでも変わり種が、本文上欄にある付録記事の「本朝年代要覧」での異同。これは関場武さんが指摘しているものです。その一つが画像のもの。天正4(1576)年)、本願寺合戦の始まりのところ。



・もとのエディションには、
  (天正)丙子四年 信長石山本願寺を伐(うた)しむ
とあります。織田信長が、石山本願寺を(家臣に)討たせた。このあたりの事情は、昨年の大河ドラマ『麒麟が来る』でも触れていました。大河といえば戦国時代が本命中の本命ネタですが、なかなか対本願寺合戦を描ききらないことがあります。今回はまずまず踏み込んでいたような気がしました。それはさておき。

・改めたエディションでは、
  (天正)丙子四年 信長石山本願寺と合戦
となりました。現実としては、織田勢力と戦ったことは事実なので、どちらでもよいような気がしますが、「家臣に討たせた」と「みずから戦った」とではニュアンスが相当異なる、と見る向きもあるのでしょう。

・また、何となくですが、「伐」だと、「討伐/征伐」のように一方的なニュアンスがあるように思います。で、「討伐に行ったら、負けて帰って来た」というのが、言いづらい気もします。少なくとも、何やら不自然な気がします。そう、「伐」だと、「伐」する側が勝つことになっているようなニュアンスがあるんじゃないか・・・そう考えた人が居たんじゃないか。

・そこで「戦」うに改められたのかもしれません。「戦」なら互角な感じです。どちらが優位というわけでもない。どちらが勝つか/負けるか分からない。そんなニュアンスがあるのだ、という思いがあるような気もしてきます。

横幅の意味

2021年04月09日 | 


・左は『節用集』(寛永6年刊)、右は『二体節用集』(寛永九年刊)です。ともに縦本の範疇ながら、横幅が違います。ただ、どちらもちょっと変ではあるか。『節用集』は横幅が足りない感じだし、『二体節用集』はその逆。



・常識として、横幅にゆとりがあれば、綴じる部分に余白が多くなるはず。ところが、上の写真のように、ぴっちりきちきち。



・こちらの方がよりはっきり分かるか。綴じ元にはまったく余裕がない。右のページから左のページへと一連なりのようにすら見えます。巻物とか経本とかを連想させます。何か意図があるようです。いくつか考えはありますが、どれも帯に短し襷に長し。

『文化・情報の結節点としての図像』

2021年04月02日 | 
・いただきました。かつて、木場貴俊さん・石上阿希さんに呼んでもらって、研究集会のコメンテーターをしたことがあります。それにかかわる成果物。



・図像は面白いですね。一番面白いところは、本物を写し取ったはずのものなのに、といいますか、写し取ったものだからこそ、写し取った人の主観が何がしか反映してしまうこと。つまり、本体を写してはいるんだが、本体をどう見ているかが写し留められていること。

・これはもうどうしようもない。写し手の力量と思想(写すという行為をどう捉えており、どのように描ききるかの考え方)がまずあるでしょう。が、写し手の属する時代・社会が影響することがあるから、写し方も変わってくる。

・外国人が描いた日本人や日本の風景が、私達日本人から見るとどことなく違うというかピンとこないことがありますよね。ざっくり言って、その「ピンとこない」の由来となるものが、文化の違いなんでしょう。

『日本語のテンス・アスペクト研究を問い直す 2 「した」「している」の世界』

2021年03月30日 | 


・最近、こういうのが多くなってきた気がする。専攻分野の相近い人が集まって、一つのテーマで書き合うとでもいいますか。

・言語学・国語学がかかわる月刊学術商業雑誌というのがありました。そういう内容でもペイするので、複数のものかありました。筑摩書房の『言語生活』なんかは老舗格でしょうが、早々に休刊になりました。平成にはかからなかったかな。その後、『国文学 解釈と教材の研究』『国文学 解釈と鑑賞』『月刊言語』『月刊しにか』『文学』等々が休刊となっていました。ついに『月刊日本語学』も月刊では発刊されなくなりました。

・そうなると、外に出したい情報はあるのに、出せる場がないという仕儀に。そこで、旬な話題を提供しようという人たちが出てきたんじゃないかと考えています。これらも続く動きでしょう・・・・とか冷静になってないで、何かやるかな。

どれだけ与えるか

2021年03月17日 | 


・教科書などは、厳選・精選するために内容が細ることがあるのかもしれない。やわらか・しなやかな脳には、豊かなものがちょうどよいのかもしれない。

・もちろん、「豊かさ」の基準は人それぞれだろうから、一斉教育ではどこまで「保証」してしまっていいかは、また別だけれども。

中野遥『キリシタン版日葡辞書の解明』

2021年03月16日 | 


・頂戴しました。中野さんは新進気鋭のキリシタン資料研究者。ヨーロッパの辞書編纂史もお詳しい、地力のある方とお見受けしています。

・それにしても最近の研究書も、装訂・デザインに工夫がありますね。『日葡辞書』のテクスチュアを白/黒で塗り分けて、「解明」に響かせているようです。

・届けてくれたのは佐川急便の女性ドライバー。「・・・・先生ですね。(^^)」と、宛て名に「先生」と添えられたのを見つけて、いたずらっぽく笑って渡された。それがちゃめっけがあって、さわやかな印象。

いただきました~石上阿希『江戸のことば絵事典 『訓蒙図彙』の世界』

2021年03月03日 | 


・これまでいただいた本については扱わなかったんですが、宗旨がえ。どんどん紹介した方がいいんじゃないかと思い立ちました。

・『訓蒙図彙』は、「初心者(蒙)に教える(訓)ためのイメージ(図)を集めた(彙)もの」です。たとえばこんな感じ

A8判の辞書たち

2021年03月02日 | 
・昨日の「字引」と同じ大きさ。なんだか、去年の後半から、こうした小さい辞書が気になっています。なんでなんだろ。



・ハート柄。ほかにもいくつかバリエーションがあるようです。ミニブックス刊行会編、トーレン(東京連合印刷株式会社)刊行。ちなみに、各本の書誌は次のよう。
 字引 1992年2月1日8刷、国語 1992年5月30日4刷、和英 92年3月20日5刷、英会話92年2月10日4刷、冠婚葬祭 90年7月15日4刷、健康百科 92年3月20日4刷

・お遊びなんでしょうけれど、こういうところがきっちりしてるのは気持ちいい。もちろん、この大きさです。印刷・裁断・製本技術も試されてるのでしょう。

小林国雄編『新編 国語小辞典』

2021年03月01日 | 
・お遊び感あふれる辞典を入手しました。そこそこ厚みのあるソフトなビニール製カバーは電卓イラスト。さらに一言が人を食ってるといいますか。(^_^;



・大きさは文庫本の半分。まだまだ小さい辞書はありますが、そうなるといろいろ制約も出てくるものです。特に内容が簡素になってしまう。でも、この小林国雄編『新編 国語小辞典』は、700ページもあるんですね。小なりとは言え、なかなかの本格派。



・中身もいい感じです。まえがきから「編集方針」(=凡例?)もあります。刊記はないんですが、編集方針の書きぶりからすると1980年代以降の編集か。





・扉に見える「とうほう」は、東京法令出版の関連会社。教育系出版を手がけているようです。が、いまのラインナップにこの辞典はないらしい。国会図書館で検索してみると、別の小林国雄編の辞書が1960年代までは出されていたようです。

・書店の立場から見ると、ちょっと不思議な存在かも。永岡書店のように、手のひらサイズのを長く出しつづけるなら(実際、メルカリやヤフオクでもよく見かけます)編集初期のコストは回収できますが、この小林=新編は、今回、初めて出くわしました。700ページもあるんですから、それなりの見通しがないと印刷・製本するはずもないと思うんですが、ん~。

・やはり、何らかの形でたくさん作られ、ひそかに(?)売られているのかもしれません。他の会社名で出版するOEM版があったり、何かの記念で出すようなものもあるのかもしれません。そうそう、このカバーの裏は次のよう。何かの記念に配ったもののようです。一応、著作権表示もあります。



・また別の形で出会えることを祈ります。