充電日記     

オフな話で一息を。

天保期の本願寺の活動一端

2021年04月17日 | 
・天保2(1831)年刊『永代節用無尽蔵』には、細かく分けるといくつかのエディションがあるそうです。そのなかでも変わり種が、本文上欄にある付録記事の「本朝年代要覧」での異同。これは関場武さんが指摘しているものです。その一つが画像のもの。天正4(1576)年)、本願寺合戦の始まりのところ。



・もとのエディションには、
  (天正)丙子四年 信長石山本願寺を伐(うた)しむ
とあります。織田信長が、石山本願寺を(家臣に)討たせた。このあたりの事情は、昨年の大河ドラマ『麒麟が来る』でも触れていました。大河といえば戦国時代が本命中の本命ネタですが、なかなか対本願寺合戦を描ききらないことがあります。今回はまずまず踏み込んでいたような気がしました。それはさておき。

・改めたエディションでは、
  (天正)丙子四年 信長石山本願寺と合戦
となりました。現実としては、織田勢力と戦ったことは事実なので、どちらでもよいような気がしますが、「家臣に討たせた」と「みずから戦った」とではニュアンスが相当異なる、と見る向きもあるのでしょう。

・また、何となくですが、「伐」だと、「討伐/征伐」のように一方的なニュアンスがあるように思います。で、「討伐に行ったら、負けて帰って来た」というのが、言いづらい気もします。少なくとも、何やら不自然な気がします。そう、「伐」だと、「伐」する側が勝つことになっているようなニュアンスがあるんじゃないか・・・そう考えた人が居たんじゃないか。

・そこで「戦」うに改められたのかもしれません。「戦」なら互角な感じです。どちらが優位というわけでもない。どちらが勝つか/負けるか分からない。そんなニュアンスがあるのだ、という思いがあるような気もしてきます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿