中学校時代の友達S君は戸塚4丁目(現在の高田馬場4丁目)の米屋の次男坊です。
私も次男坊で気が合います。
今年のクラス会も一緒でした。
彼は商才に長けていたのか、60代に高田馬場周辺の土地を買い不動産会社として成功し、地元の大地主になっています。一方同じクラスのY君は戦前から、この界隈の大地主で一人っ子60代でクラス仲間としては早い他界でした。
今、Y君の家は跡形も無く家族も何処かへ引っ越したか?消息はS君にもサッパリ解らないそうです。
S君と私は当時も今も親友同士で早稲田の中学校に通った3年間お互い帰り道が同じなので良く二人で語らいながらの下校でした。
早稲田から高田馬場駅迄、今思えば何を喋ったか、或は口角泡を飛ばしてペチャクチャと・・高田馬場駅迄で青臭い議論が終わらずに、再び早稲田迄語り続けた事も有りました・・文字通り楽しい青春時代の1ページです。
ところでラーメンの話、当時は中華そばなのですが、当時、麺の上に乗っているチャーシューは必ず1枚と決まっていたようです。勿論、麺の上にチャーシューが何枚も敷き詰められた豪華なチャーシュー麺も有ったでしょうが、私達中学生の小遣い銭では中々食べられなかったのです。
学校の帰り道、お腹も空いて来て、何時しか食い物の話になりました。「な~Sよ、中華そばに乗っている薄っぺらのチャーシューだけど・・もっと厚い奴食ったら旨いだろうな~」「それもそうだな~・」「ウン・・」
偶々高田馬場駅近くにY君の親戚で大きな肉屋さんが有ったのです。近くには中華そばの店も有ったのですが、今回は二人の会話の目の前に青柳と言う肉屋さんが有ったのです。
肉屋ですからコロッケとかメンチとかも有ったでしょうが、二人の目的はチャーシューのみ・・
「幾ら位するんだろう?100gか?200gか?・・」私が握りこぶしを作って「こんなもんだろう・・」
話し合った結果、一人50円づつ出し合い合計100円の予算で肉屋さんへ・・・
店の主人は何も知らないから目方を計って丁度100円分の塊を・・大きさは正解、中学生の握りこぶし程のチャーシューの塊が紙の袋に入れられて私達の手にはいったのです・・
流石に人の多い駅前通りで此れを分ける訳にはいかず、鞄を肩から下げた学生服姿の二人は、傍らの横町へ入り込み、袋から取り出したチャーシューの塊を私が両手両指で二つに千切って(勿論包丁等は持って無い)・・と言っても中々上手くは二つに割る事も難しい・・然し幸い辺りに人は来ない・・やっと二つにして・・向き合って二人同時に「ガブリ?・・」と・・・???
チャーシューは中華そばの上で食べるのが1番・・でも二人には満足のチャーシューだったのです。
今日のお昼は懐かしい京樽のお寿司です。「お父さん茶巾を食べて」「ウン」半分こにしようとしましたが、結果無惨?久し振りなので茶巾の縛りに気が付かない食いしん坊の私です。茶巾寿司を含めて殆ど私が平らげてしまいました。ゴチソウサマ