団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の53年188 北海道シシャモの思い出1

2018-09-14 11:06:46 | 日記

地震で被害に遭ったむかわ町の大野商店からシシャモのニュースが映ってました。若い社長さんは元気一杯で安心しました。

シシャモで思い出した昔の事が二つあります。

一つは未だサラリーマンだった30代の事です。

当時私は台東区入谷の小さな会社に勤めていて営業の仕事をしていました。

別の会社と合併して親会社から来た重役さん達を含めて社員は30人程いたでしょうか・・会社内は二つに分かれて夫々の仕事をしていたのですが会社全体としては余り儲かってはいないようでした。

取引先に自社の決算書を求められて、区の税務署へ行ったときも納税額の欄がいつも〇円と記載されていて恥ずかしかった事も有りましたが・・赤字だったのかは経理担当でなかったから解りませんが・・

営業社員は8人程で担当者は北海道から九州地方迄製品のカミソリを買ってくれる地方都市の雑貨問屋さんを受け持って夫々が営業販売をしていましたが・・

或る日、北海道を担当しているベテランのS営業マンが「出張のついでにシシャモを買って来てやるから各自何匹要るのか申し込んで・・」と親切?に言ってくれたのです。

今と違ってシシャモと言えば当時は北海道の本シシャモしかない時代です。

当時シシャモは先輩に連れて行かれた銀座の高級なバーとかクラブのおつまみにも出される程の人気があったのです。綺麗な女の人がシシャモを頬ばる姿・・想像するとオカシイ・・いやシシャモはお客しか食べないか・・

北海道のシシャモが手に入ると聞いて、当時から食いしん坊だった私を含めて社内にいた10人程が確か10匹一連のシシャモを欲しいだけ申し込んだのでした。

現在と違って宅配便も有りませんから、皆が頼んだシシャモを持って遠い北海道内へ半月程の出張帰りのSさんから昼休みにシシャモを受け取って夫々自分のデスクに戻った迄は良かったのですが・・・

昼休み、事務所の裏は荷物の発送場所だったのですが倉庫内の誰かがコンロ(有ったのですね~)を持ち出して今受け取ったシシャモ数匹を網に乗せて焼き始めたのです・・

倉庫の中で二三人が集まって魚を焼く良い匂いと煙は、その辺りに立ち込めて・・食いしん坊の私はその中に参加しなかったのはわが家へ持ち帰る夕食の楽しみが有って自分の分は出せなかったのだと思います・・

ソロソロ昼休みの1時間が終わる頃、事務所の中から総務の偉いさんが出て来て、コンロの上をチラッと一瞥・・一言「半田が錆びるぞ・・」成程・・そうです、別の部門で会社は半田付けに使う半田製品を扱っていて倉庫には確かに半田が山積みされていたのも事実だったのです。気を利かしたエライさんが昼休みの終わりごろを見越して注意に及んだとも思えましたが・・即刻コンロ諸共その場にいた全員は直ぐ職場に戻ったのは言うまでも有りません。気まずい空気に、楽しかった昼休みも何処かへすっ飛んで・・

半田が錆びるかどうかは部門が違うので知りませんでしたがそのエライさんは親会社から来た人、私達は足立区千住に有った中小企業カミソリメーカーの社員で社内の家族的な雰囲気の中でサラリーマンを続けてきた、謂わば社内では少数派だったのです。京成電車のガード下のカミソリ工場では週末仕事が終わって工場長公認の手作りの焼き鳥とかおでん等で今で言う社内パーティが和気藹藹として従業員全員が勿論営業から現場工員迄参加して全員家族のような会社だったのです。

大会社と中小企業の合併と言うのは吸収された方が悲哀を味わうのが常識かも知れませんが、お互い協力して新しい会社を盛り立てようと社員同士も話し合いはするのですが、当時は中々難しい事実も実感した私達ですが、一方で貴重な経験もしたと今は思うのです。

和気藹藹、家族的、それが良いのかどうかは分かりませんが給料も安くお互い助け合わなくては会社は成り立たない時代だったのです。

当時の仲間は会社を離れても長い年月、互いに付き合いを続けていましたが、社内の宴会の場で皆に急かされて嫌々ながら、かくし芸の一人阿波踊りを披露して喝采を浴びて嬉しそうにしていた北海道シシャモのSさんも既に亡くなられて20年近くになります。

これは昨日夕食に出て来た雄雌交じりの通称カラフトシシャモですが、これはこれで安くて美味しいのですが北海道むかわのシシャモとは味も形も違いますのは皆さまご承知の通りです・・ゴチソウサマ