高円寺駅を南に出ると、
長~~く伸びる、とっても賑やかな一本道商店街があります。
「パル」と「ルック」。

アーケードのあるのが「パル」で
青空天井になるのが「ルック」。
今自分が住んでいるのは、ルックのそばです。
*
高円寺は、
正体不明の人々(老若男女)がいつでも入り乱れる、
けっこう風変わりな町です。
「お金は無いけど趣味のこだわりは深い」
というような人が集まっているような気がします。
他の町ではなかなかお目にかかれない、奇抜な色の髪の人とか、
奇抜な恰好のおばさんとかも、
パジャマのままのようなおじさんも、
ふつうに歩いています。
誰もが
それぞれの好き好きのちがいを
当たり前のものとして、
ふつうに歩いています。
そして、
みんな、
無理をしないで、それぞれの生活を楽しんでいる感じ がします。
眉間に皺が寄っていない 感じ。
なんとなく、見た感じ、ですが。
*
この商店街は、ヒトも、モノも、
とっても変なもの・面白いものが溢れています。

アジア系の民族雑貨・服屋さんがなぜか沢山あります。
そこがかつて、ngch的にグッと来るポイントでした。
初めてパル&ルックを訪れた時、一気に高円寺に惚れ落ちました。
住みたい!と想いました。
それが、
縁があって、ほんとに住むことになりました。
*
高円寺にまだ住んでいないときは、
行く道々のすべてが あふれる誘惑に キラキラのどろどろにまみれていて、
ムラムラと愉しすぎて、
「死んでしまふ。」と、蟻地獄にハマったかのように想えたけれど、
いざ住んでみると、
たちまち慣れてしまったのか
特に物欲に悶えることもなく、
ふつうに気にせず 歩くようになりました。
とはいえ
「そもそも、お金が無い。」っていうのは、多分デカいけど;
でも今は 確かに、
「とにかく、物をどんどん減らしたい。」というモードです。
まず 物欲から解き放たれると、
からだのアンテナの感受するものが、だいぶ変わる気がします。
自分が集めたモノたちは、自分のアイデンティティのあかしになっているようなところがあります。
だから、
いざそれらを殺ぎ落とし、捨て去るまでには、
作り上げて来た「自分」というものを一回破壊し尽くすようなもので、とっても苦しい道のりがあるけれど、
背負ってるものを下ろせば、
そのぶんとても楽になるので、
一件、落着。
落ち着くのです。
どんどん皮と脂肪を剥ぎ棄てて、
最後の最後に残るものこそが、
自分 という”もの”。
*
この町に生きていて 感じる空気には
気持ちを とても ゆるーくし過ぎる作用があるようで。
ゆったり 落ち着き過ぎて、
ついつい ぼけーっと 流れてしまうこともあります。
気づいたら、もう夕陽だ とかね。

そんな町とも、
そろそろ お別れ。
*
小さなバラのつぼみに 夕陽が当たって

もう すぐにでも 咲きそうです。
長~~く伸びる、とっても賑やかな一本道商店街があります。
「パル」と「ルック」。

アーケードのあるのが「パル」で
青空天井になるのが「ルック」。
今自分が住んでいるのは、ルックのそばです。
*
高円寺は、
正体不明の人々(老若男女)がいつでも入り乱れる、
けっこう風変わりな町です。
「お金は無いけど趣味のこだわりは深い」
というような人が集まっているような気がします。
他の町ではなかなかお目にかかれない、奇抜な色の髪の人とか、
奇抜な恰好のおばさんとかも、
パジャマのままのようなおじさんも、
ふつうに歩いています。
誰もが
それぞれの好き好きのちがいを
当たり前のものとして、
ふつうに歩いています。
そして、
みんな、
無理をしないで、それぞれの生活を楽しんでいる感じ がします。
眉間に皺が寄っていない 感じ。
なんとなく、見た感じ、ですが。
*
この商店街は、ヒトも、モノも、
とっても変なもの・面白いものが溢れています。

アジア系の民族雑貨・服屋さんがなぜか沢山あります。
そこがかつて、ngch的にグッと来るポイントでした。
初めてパル&ルックを訪れた時、一気に高円寺に惚れ落ちました。
住みたい!と想いました。
それが、
縁があって、ほんとに住むことになりました。
*
高円寺にまだ住んでいないときは、
行く道々のすべてが あふれる誘惑に キラキラのどろどろにまみれていて、
ムラムラと愉しすぎて、
「死んでしまふ。」と、蟻地獄にハマったかのように想えたけれど、
いざ住んでみると、
たちまち慣れてしまったのか
特に物欲に悶えることもなく、
ふつうに気にせず 歩くようになりました。
とはいえ
「そもそも、お金が無い。」っていうのは、多分デカいけど;
でも今は 確かに、
「とにかく、物をどんどん減らしたい。」というモードです。
まず 物欲から解き放たれると、
からだのアンテナの感受するものが、だいぶ変わる気がします。
自分が集めたモノたちは、自分のアイデンティティのあかしになっているようなところがあります。
だから、
いざそれらを殺ぎ落とし、捨て去るまでには、
作り上げて来た「自分」というものを一回破壊し尽くすようなもので、とっても苦しい道のりがあるけれど、
背負ってるものを下ろせば、
そのぶんとても楽になるので、
一件、落着。
落ち着くのです。
どんどん皮と脂肪を剥ぎ棄てて、
最後の最後に残るものこそが、
自分 という”もの”。
*
この町に生きていて 感じる空気には
気持ちを とても ゆるーくし過ぎる作用があるようで。
ゆったり 落ち着き過ぎて、
ついつい ぼけーっと 流れてしまうこともあります。
気づいたら、もう夕陽だ とかね。

そんな町とも、
そろそろ お別れ。
*
小さなバラのつぼみに 夕陽が当たって

もう すぐにでも 咲きそうです。
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