歌庭 -utaniwa-

“ハナウタのように:ささやかで、もっと身近な・気楽な庭を。” ~『野口造園』の、徒然日記。

食道楽/Back to the Future

2009年08月27日 | 徒然 -tzure-zure-
ここのところ、正直、ド貧困なのですけれども、

なぜか
それなりに、美食街道 突っ走って居ります。


季節の変わり目のせいなのか
色々な友人の 色々な集まりが 色々重なった
ってのも、あります。


せっかくなので(今後しばらくご縁が無さそうなので)
どっと まとめて。(したがって、ちょっと長めです;)


麗しき思ひ出に、したつづみを打ちたいと思います。



[その1:金曜日。摩天楼にて。]



新宿の夜景を見下ろす 都内某所の ハイセレブな高層マンションの最上階の
御宅にて。


海外へ旅立つ友人の送別会でした。


ちゃっちゃーっと
手作り料理が並びます。

シュウマイのほか、杏仁豆腐の味がするタネの入ったサラダとか、
手羽元が添えられたサラダとか。

盛りつけが おそろしく美しかった。




もうすぐ一歳になる、赤ちゃんも。

赤いパプリカやハッピータン(袋のまま)をしゃぶっていました。

友人の子なんだけど、生まれたばかりの頃から 見守って来ているせいか、
我が子のように可愛くてたまらない!
友人の赤ちゃん。

勝手に「ポニョミ」と呼んでいます。


ポニョミを抱える、旅立つ友人。

照明のせいか
ヨーロッパの教会で見る「聖母子像」のような 荘厳な雰囲気。

聖なる子が 輝いて見える。



聖母のブラひも(?)をほどこうとする 聖なる子。


ほんとうにしばしのお別れなんだか よくわからない
いつもと同じ感じに ケラケラと盛り上がった パーティーでした。

別れあり、そしてまた、新たな出逢いあり。




[その2:土曜日。お茶の稽古の後に。]

お茶メイツとともに、
新大久保にある タイ料理屋さんへ行きました。

建築学科時代の、共通の友人を交えて。


新大久保は、なかなか来たことがない街なのだけれど

早稲田の学生や、アジア系の外国人がごった返す、
異国的カオスな感じの街。




何はなくとも 生春巻き。

大好き、生春巻き。



これは 空心菜(クーシンサイ)。

「赤唐辛子ごま油炒め」 みたいな感じだったかな。
美味しかった。しかし 油断すると むせる。案外辛かった。

惹かれたのは、名前。
芯がフキみたいに空いてるから、そういう名前なんですって。

空なる心。なんか詩的で、素敵。




なにかに添えられてきた、花。南国っぽいパッショネイトな色。

エディブル(食べられる)なのか わかんなかったけど、
食べてみました。


味は、
特に無し。




デザートでも、またあの花が 登場。

ちなみにデザートは、マンゴーのなんたらかんたらと、もち米のなんたらかんたら。


直前の お茶の稽古での「すん.とした心持ち」も なんとやら

この日も 楽しく笑い合ったのでした。

この店が、安くて美味しかったんだけど、
名前が 全く憶い出せないんです。





[その3:日曜。高円寺でモロッコ。]



ひと月ほど自分も住んでいた、
高円寺の、友人の家にて。
ちょっと古い一軒家を、三人でホームシェアしています。

突然のホームパーティー。

なんでも、
一週間前にカフェで偶然知り合った モロッコ系フランス人のモモさんを
招来して、モロッコ料理を作ってもらおう!という計画。

降って湧いたような 美食パーティー。
住人がインターナショナルなので、客人もインターナショナル。

ドイツ、フランス、アメリカ、イギリス。



じゃがいもと卵の炒めたやつ(名称知らず)は、
モロッコの家庭料理だそうですが、
いろんなスパイスが入っていました。

バジルとか。。。あと、なんだろ。

スパイスは、こだわりの部分だそうです。




基本的に、あんまり食べたこと無い味付けでした。

よっぽどの料理人なのかと思ったら、
普段は全然、しないんだって。

今回のは、お母さんの料理を見よう見まねで覚えたものを作ったそうです。

不慣れとは思えない、すごい出来。

さらに
クレープまで!

いつのまにやらー



これが、絶妙にふっくら・もっちり、美味しいクレープでした。

クレープなんて、めったに食べない。たぶん人生で 2回目か3回目くらいでした。


そして

この家の主要キャラクター、
愛しの 太いネコ「文鎮」は、


騒がしいのが嫌いなので、
基本的に、雲隠れ。

餌の時だけ 突然登場。
ねこまっしぐら。

この時ばかりは別の生命体のように 恐るべき俊敏なるスピード。

美味しそうに、まっしぐら。


ネコは、そういえば、
いつも同じ餌だけど。

「飽きた」とか言わないし。まっしぐらに、がっついている。
餌については「飽きる」っていう感覚がないのだろうか。
果たして、どう思ってるんだろう。

あれやこれや 酸いも甘いも知りすぎて
毎日同じものばかりは 食べてられない人間は、
贅沢すぎるのだろうか。やっぱり。


この日も
おなじみの顔ぶれも たくさん、
新しい出逢いも たくさん。




[その4:飛んで、水曜日。]

森のテラスのお客さまとして知り合った方と、再会。

仙川の駅前にある、アジアンダイニング屋上レストラン「空(KUU)」。

今まで全然知らなかった。



プールがすぐそばにある 屋外テラス席に座りました。
大きなスクリーンに、映画チャンネルが流れてた。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だった。




雰囲気が、素晴らしかった。

もう風が、うっすら冷えるほど。
夏の終わりを、改めて実感。



Yさんが作っている、写真日記を見せてもらいました。
葉書サイズのファイルに収めてありました。

原則、一日分が見開き2ページ。Wordで作ってるんだそうです。
厳選された写真に、少ない言葉。

これは、
去年の 秋の秋田の、「紅葉の滝ツアー」に来てくれた時のもの。

特別待遇で 4ページに渡っていました。
これはまた、なんとも懐かしい。


言葉少なでも ちゃんとキャプションがついていると
ただのフォトアルバムとは違って、色々憶い出し易い。
でも、その労力、根気たるや。ひたすら感心。




Yさんが 初めて東京の「森のテラス」を訪れたときの記事も、載っていて。

そこには
自分も写っていました。


自分のやった写真展に、来てくれたのでした。
そうそう、それがお初。懐かしい。




辛かった時とかを見守っていて下さった方と、久々に色々お話して、

ハッとさせられる嬉しいことばや、
未来へ向かう、指針となるアドバイス。

目からウロコが落ちました。


自分が 何を得意とするのか って、
自分じゃ案外、わからないのです。

自分じゃ 普通にみんなも出来ていることだと思って、
ふつうに意識せず やったりしているから。


「あなたの○○は素晴らしい」と言ってもらえるのは、
けっこう衝撃だったりするし、
まさに、目からウロコだったりするわけです。


どうしても答えが出なくて もやもやしていたものが
パッと いきなり晴れる感覚。


自分だけじゃ やっぱりエンドレスにぐるぐる同じところを回っていただけだった。
「ないものねだり」をしてしまうから。
そして、
「あれができない」「これができない」「自分にはまだ○○が無い」
と、
”無い” ばっかり気にしてしまう。そうしたら、進めない。


そうじゃなくて
「あれができる」「これができる」に変えるんだよ

と、言われました。

心の中で
「なんということでしょーう」と、誰かが叫んだ気がしました。
ビフォーがアフターになったときの、嬉しい悲鳴を。


どうしても行き詰まるのが、独りで生きるヒトの性なら
引っ張り出してくれるのは、自分でない誰か。

「迷ったり 行き詰まったら、ヒトに会う。」
と決めているけれど

やはり、でした。


やっと、重たい霧が晴れた。


折しも その日、
やはり森のテラスで知り合った詩人の方から、嬉しいお手紙を頂いて、
嬉しい言葉を頂いて、揺れ動いていたところだった。


ヒトって、ちゃんと見ていてくれるもんなんだなあ、
ありがたいなあ、

と、改めて思いました。




色々と経験させてもらって 糧になっているのが、
過去。

なにも、無かったかのように無視したり、切り捨てたり
そんなことはする必要ないし、
出来ない。

過去をうしろめたく思う必要は、無いし
隠す必要も無い。

自分自身が体験した過去は、
本人にとっては、れっきとした事実で
他の誰のものでもなく
本人の、モノなのだから。

過去は
確実に自分の中に「ある」ものだから。


なんとなく「断ち切らなきゃ」と思っていたのだけど
断ち切るにも、やり方がある。
断ち切ろうとしても、断ち切れないものがある。
むしろ
断ち切るべきでないものばっかり だったりする。
なぜなら、
過去は、糧だから。



せっかくの 自分にとって糧になっているような 素敵な過去は、
ちゃんと、堂々と、大事にしよう。

そして、
ちゃんと、未来に活かせるように。


がんばろう。



月並みだけど
そう、思いました。




「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、

いつのまにか

「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」に変わっていました。






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