時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(207) 京都日帰旅・壱 補習 【H21.8.16】

2009年10月25日 06時32分51秒 | 旅・散策の足跡
 1週間前の京都での会で回りきることのできなかった名水地に行くことと,この日に行われた大文字焼を見ることになった。リンク先の「未定タイトル」のこちらの記事の後半でも案内人の視点からこの町歩きが紹介されている。

 前回回った伏見の名水。

1 月桂冠大蔵記念館のさかみづ

(2009年8月9日撮影)

2 鳥せい本店の白菊水

(2009年8月16日撮影)

3 キザクラカッパカントリーの伏水

(2009年8月9日撮影)

4 御香宮の御香水

(2009年8月9日撮影)


 訪問はしたもののスタンプを押さなかった長建寺(閼伽水)も含めて3つの名水ポイントをめぐることにした。

 待ち合わせ場所は,京阪の伏見桃山駅。それぞれ大阪方面と京都方面から特急利用で来たため,中書島駅と丹波橋駅で準急に乗り換えてのアクセスとなった。

 最初に向かったのが大黒寺。

(2009年8月16日撮影)

 薩摩寺とも呼ばれ,薩摩藩の祈願所であった。島津家の守り本尊と同じ大黒天が祀られ,この近くに薩摩藩邸が置かれていた
 名水金運清水。

(2009年8月16日撮影)

 この井戸は平成13年に掘られた新しい井戸ということだった。
 次の場所へ向かう途中,伏見区役所の前を通った。

(2009年8月16日撮影)

 そこまで大きくない道沿いにあったので,意外な立地だった。

 商店街の出口のところまで戻り,さっきと同じ選挙運動の方に声をかけられ,その後,前回押し損ねた長建寺の閼伽水へ行った。

(2009年8月9日撮影)

 最後の乃木神社(勝水)へは少し距離があるので電車で移動することにした。
 前回と同じように千石舟を見つつ,伏見桃山駅へ向かっていると・・・

(2009年8月9日撮影)

 奥に見える橋を渡る電車が妙にゆっくり走っているのが見えた。
 もっと近い駅があるかもしれないと思い,寄って見ると中書島駅に着いた。さっき,準急を5分ぐらい待っていた駅の後が目的地の一つだったことをに気付かされた。次に訪問する機会があるときは待ち合わせ場所が変わるかもしれない・・・

 中書島から宇治線で,2つ先の桃山南口駅へ。
 そこから歩いて神社を目指した。はっきりとした案内はなかったのでどこで山手の方に上るか迷った。持っていた地図が正確なものではなかったので,若干の不安があったが,JRの奈良線の線路をまたぐところにきた。

(2009年8月16日撮影)

 単線であったり,切り通しの中を走っていたりと,出身地でよく見たような風景だった。
 線路を越えるとすぐに乃木神社があった。
 境内に入り,勝水のところへ。

(2009年8月16日撮影)

 横の祠の中の御神体は栗だった。
 勝水の左側の水道を見てみると・・・

(2009年8月16日撮影)

 この水も勝水だと書かれていた。同じ水ではあるのだろうが,蛇口から出てくる水と湧いてくる水とでは趣がだいぶ違って感じられた。
 
 水も汲み終わり,神社の境内を見て帰ろうとしていたときに,スタンプを押していなかったことに気付いた。
 スタンプがすべてそろったので,月桂冠の記念館付近の提出場所まで行くことにした。帰りは駅からもそこそこ距離があったので,歩いていくことにした。神社周辺の地名は「周防」など山口に関するものが目立った。長州関係の屋敷でもあったのだろうか。

 応募場所の店で応募用紙を記入した後,少し土産を買い,伏見桃山駅近くの店で夕食をとって,伏見を後にした。スタンプラリーは何の連絡も来ないため,はずれが確定した。

 
 京阪で終点の出町柳まで行った。
 大文字焼のために駅内は人であふれ,警備員も配置されていた。
 見る場所は琵琶湖疎水の近くになった。そこで案内人の友人と合流。
 彼は立派なカメラと三脚まで装備していた。

 以下,夜景を撮るにも関わらず三脚無しで撮った送り火の写真。
大文字。

(2009年8月16日撮影)

法。

(2009年8月16日撮影)

舟形。

(2009年8月16日撮影)

 記憶が曖昧だが,左大文字か消えかけた大文字のどちらか。

(2009年8月16日撮影)

 実物は写真や映像では伝わってこない感動があった。
 この直後は日中もかなりきれいに文字が確認できるらしいが,それを見ることはなかった。
 しかし,直後でなくても結構はっきりしている。

(2009年5月15撮影)

これよりもはっきりとがどの程度なのか想像がつかない。

 遠くから見ればはっきり見える文字も近く(山の斜面)に行くと・・・

(2008年9月7日撮影)

 あまりよく分からなくなる。このような場所で火をつけているというのもなかなか想像がつかなかった。

 大文字焼が落ち着いてきた後は,案内人宅で酒を飲みつつ,酒カステラを食べた。あまり酒という感じのしないおいしいカステラだった。

 帰る頃の駅は人もまばらで,電車も競争しなくても座れるぐらいだった。

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