goo blog サービス終了のお知らせ 

時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(331) 淀川(1) ~矢倉緑地~

2010年05月26日 06時14分12秒 | 遡上
【淀川】の記事

1 (331) 矢倉緑地
2 (650) 北港側

※カテゴリを遡上にしていますが,どこまで遡るかは未定です。

 大阪市西淀川区にある矢倉緑地。

(2009年9月26日撮影)

 淀川と神崎川の河口部にある大阪市内唯一の自然海岸緑地のようだ。(緑地内の案内板より)この緑地に到達する車道は見当たらないので,車での乗り入れはおそらくできないと思われる。
 場所からも分かるようにここから淀川の河口部を臨むことができる。

(2009年9月26日撮影)

 河口を渡るように高速道路がある。写真からは分かりづらいが,WTC舞洲の清掃工場の姿も高速の向こうに見えている。
 見る方向を少し写真左手にずらす。

(2009年9月26日撮影)

 高速に架かる橋のきれいなアーチが見える。
 いったん後ろを振り返ってみると…

(2009年9月26日撮影)

 比較的大きな潮溜まりがある。
 この潮溜まりの奥の方まで行くと…

(2009年9月26日撮影)



(2009年9月26日撮影)

 神崎川の河口部を見ることができる。
 この場所から潮溜まり越しに淀川の河口方面を見てみる。

(2009年9月26日撮影)

 潮溜まりから緑地の奥のほうへ入ってみると…

(2009年9月26日撮影)

 神崎川寄りにこんなスペースがある。案内では野鳥観察所となっている。
 ここから,川の方をのぞいてみると…

(2009年9月26日撮影)

 神崎川が見える。案内板にも書かれているが,この写真の手前には干潟がある。
 このときは潮が高かったため,はっきりとした姿は確認できなかった。
 潮溜まりの淀川寄りに戻り,上流の方へ向かう。

(2009年9月26日撮影)

 こちらの方にも潮溜まりがいくつかある。
 淀川寄りの潮溜まり越しに河口方面を見る。

(2009年9月26日撮影)

 上流方向を見ると…

(2009年9月26日撮影)

 川沿いに道が続いている。そして潮溜まりもところどころに作られている。
 川の対岸の此花区側を見る。

(2009年9月26日撮影)

 USJやその周りのホテル,さらに築港の観覧車も見える。

 こちら側の岸も背後には工場地帯を控えている。この部分だけ,完全な自然ではないのだが,自然と向き合っているように感じた。
※(2)へ続く。


(315) 【遡上】 脇田川編 ~その2~

2010年05月04日 03時24分24秒 | 遡上
【遡上・脇田川】の記事一覧
1(100)2(315)・3(643)


※ その1からの続き。

 市電の線路を越えると,またすぐにJRの線路を越えることになる。
 脇田川と線路が交わる場所付近に…

(2009年2月21日撮影)

 宇宿(うすき)駅がある。以前は川までホームが延びていたが,川幅が改修されたのかホームが短くなったのか分からないが,今は川の上にホームはない。

 ここから上流方は,川沿いに道路の建設のために移転された新しい住宅が多く見られる。

(2009年2月1日撮影)

 新しい公園もある。川に面していて,川原に降りられる通路があったり,川沿いの道路を公園の部分だけ川から迂回させるような立地になっていたりと独特な雰囲気もある。この先にも同じような公園がもう一つある。
 護岸は整備されているが,川は紫原側(北)に寄ったり,桜ヶ丘側(南側)に寄ったりと時折カーブしている。川が大きな道路と交差するところの橋の一つには…



(2009年2月1日撮影)

 芸術作品も置かれている。
 少し昔の写真だが,紫原と桜ヶ丘の2つの台地に囲まれた部分を上から見た写真。(紫原から桜ヶ丘側を見たもの)

(2006年9月18日撮影)

 左手奥側の桜ヶ丘に上る道路がはっきりと見える。
 この2つの台地上の団地を結ぶ幅の広い道路も整備されつつある。

 こちらも古い写真だが,2つの団地を結ぶ道路よりも上流側を中心に見た写真。今度は桜ヶ丘から紫原側を見ている。

(2006年11月11日撮影)

 右手奥の方の道がクロスして見える部分に結構最近整備された紫原から下る陸橋がある。このあたりの斜面も住宅地が造成されている。
 下の方へ行ってみると…

(2009年2月1日撮影)

 新入橋という橋がある。
 遠くから見るとただの新しそうな橋に見えるが…

(2009年2月1日撮影)

 部分部分で石橋のようなつくりになっているところがある。
 橋の横側も…

(2009年2月1日撮影)

 この橋,鹿児島市の石橋を検索すると名前がリストにあった。
 つい最近まで現役の石橋だったのだろう。

 この橋の少し上流側を見ると…

(2009年2月1日撮影)

 シラスの崖が露出している。
 その崖の上の辺りからこの近辺を見てみる。

(2009年2月1日撮影)

 この辺りもまだ整備中の部分が多い。

(2008年12月9日撮影)

 工事のために道路が通れなかったり…

(2009年2月21日撮影)

 橋が仮橋の状態になっていたりした。
 この先,数年でだいぶ姿が変わっている地区かもしれない。
 
 その先…

(2009年2月21日撮影)

 広木小方面へつながる森山団地へ行く道とは別の広木農協へ向かう道に沿って脇田川は流れている。
 しばらく進んで振り返ると…

(2009年2月21日撮影)

 森山団地へ向かう道とは完全に分離される。この道,狭そうに見えるが路線バスが走っている。
 しばらく進むと上り坂になっていて,鹿児島市街地と紫原・桜ヶ丘・皇徳寺等の団地へのアクセスとなる県道にぶつかる。ここに広木農協のバス停がある。
 そこから下流の方向を見てみる。

(2009年2月21日撮影)

 この辺りになるとまだ工事は進んでいなさそうだ。
 このちょうど下のあたりに…

(2009年2月21日撮影)

 古くからありそうな建物の公民館があった。
 川沿いの雰囲気もだいぶ変わってきた。
その3へ続く。


(204) 【遡上】 永田川編 ~その5~

2009年10月16日 23時46分36秒 | 遡上
【遡上・永田川】の記事一覧
その1その2 その3 その4その5その6


 ※ その4からの続き。
 前回の滝の場所から上流部分は川に近寄りにくい場所が多いので県道を松元方へ進んでいくと,陸橋のようにカーブした橋が現れる。そのカーブの先に見えるのは・・・

(2008年8月1日撮影)

 そうめん流しがあるが,台風の影響で営業をやめた後,心無き者の仕業によりリニュアルオープンができないまま止まっている。

(2008年8月1日撮影)

 そうめん流しの前の道が,陸橋ができる前までの旧道のようだが,辺りに人は住んでいそうにない。そのことも影響してか,本当にさびしい風景だ。

 陸橋を越え,坂を登りきってしばらくすると,県道の周りが開けてくる。

(2008年8月1日撮影)

 川口の交差点の近くには・・・

(2008年8月1日撮影)

 田の神がいる。
 このあたりから皇徳寺団地へ行くこともできる。現在はその皇徳寺団地内にある宮川小学校も移転する前は,この辺りの坂を登ったところにあった。現在は野外活動センターとなっている。

 さらに松元方へ行くと,春山口のバス停がある。そのバス停の先で,永田川は県道と別の方向へ曲がっている。川沿いの道を行くと,すぐに・・・ 

(2008年8月1日撮影)

 轟の滝が見えてくる。滝と入っても落差はそんなになく,急流に近い感じかもしれない。
 このすぐ上も・・・

(2008年10月4日撮影)

 流れが急になっている。川の向かい岸のレンガが積まれているように見える場所は用水路となっている。
 別の角度から・・・

(2008年10月4日撮影)

 用水路から漏れている水の量は結構多い。
 一見川原には降りれそうにないぐらい道路との高さに差があるが,道路側の斜面は川原へ降りやすくなっている場所がある。そこを降り,用水路に近づいてみた。(危険なのでまねしないことを勧めます。)

(2008年10月18日撮影)

 さらに奥の方へ・・・

(2008年10月18日撮影)

 板が設置されており,用水路から水を落としているのも意図的なのかもしれない。この板の先にも・・・

(2008年10月18日撮影)

 用水路は続いていた。
 この先はたどれなかったが,場所から推測すると県道から見えるこの水田にたどり着いているような気がした。

(2008年10月18日撮影)


 轟の滝周辺は川と斜面に挟まれた感じの道路であるが,その先をしばらく行くと開けた場所に着く。

(2008年8月1日撮影)

 この辺りまで来ると川幅もかなり狭くなってくる。
 ここから左手の山の方を目指していくと岩屋観音への登り口がある。

(2008年8月1日撮影)

 この辺りで永田川は2つに分かれている。

※ その6へ続く。


(202)【遡上】 和田川・木之下川編 ~その1~

2009年10月11日 04時21分23秒 | 遡上
※ 以前,汐見橋と表記していましたが,正しくは潮見橋でした。(H21.10.15訂正)

 現在の河口は埋立により陸地が広がっていることから永田川とほぼ同位置にある。

(2009年2月5日撮影)

 しかし,この2つの川は堤防でしっかりと分けられている。(手前が和田川,奥が永田川)
 堤防を挟んで永田川と並行する部分との境目。

(2009年2月9日撮影)

 永田川との間は・・・

(2009年2月5日撮影)

 船が止まっている。

 川は永田川の河道と離れながら産業道路の方へ向かっていく。

(2009年2月5日撮影)

 産業道路に架かる橋の上から河口側を見てみる。
 
(2009年2月5日撮影)

 産業道路と並行して緑地帯があるが,その中にこんなものがあった。
 
(2009年2月5日撮影)

 測量のためのものだろうか・・・

 橋を過ぎると川の流れの向きが変わる。
 河の脇にある市民会館の隣の公園。

(2009年1月28日撮影)

 川の途中で港がないにもかかわらず港緑地という名前だ。昔の地図を見てみると,埋立や干拓が行われる前はこの辺りが和田川の河口で,港があったのが分かった。
 その先の国道と産業道路を結ぶ道路の橋を越えるとまた流れの方向が変わる。
 上流のほうへ少し進むと・・・

(2008年11月10日撮影)

 潮見橋という橋がある。
 反対の上流側から見ると・・・

(2008年11月10日撮影)

 新しい感じはするが,特に変わった橋ではない。

 この橋の脇には・・・

(2008年11月10日撮影)

 公園のようになっている区画がある。

(2008年11月10日撮影)

 この潮見橋,もともとは石橋でこの数年前まで現役だった。
 そのときに使われていた石や石橋時代に写真を見ることができる。

 現在の橋も・・・

(2008年11月10日撮影)

 石橋時代の文字を意識したかのような文字で橋の名前が書かれている。

 石橋だった時に撮った写真。
 下流側から・・・

(2005年6月26日撮影)

 上流側から・・・

(2005年6月26日撮影)

 交通量は少ないものの,車も渡ることのできる橋だった。

 この潮見橋の上流側で,川は木之下川と和田川の2つに分かれる。

(2008年11月10日撮影)

 その2以降はそれぞれの川にごとに記事を分ける予定。

※その2(和田川・木之下川)へ続く。


(201) 川の水源

2009年10月10日 23時24分49秒 | 遡上
 ブログパーツのカウンターについているアクセス解析で検索ワードを見てみると,川の上流や源流のようなキーワードが意外と多い。水源に興味を持ち,検索サイトからこのブログにアクセスしている方が多いという現状を知り,上流までの記事が完結していない川ばかりなのを申し訳ないと感じた。
 河口や下流部は町になっていたり,開発も進んでいるので見かけることも多いが,上流部となるとなかなか行く機会のない場所のような気がする。さらに水源ともなれば,そこへ行くための道すらないことも多い。甲突川のように水源地へ行けるのは,珍しいのかもしれない。(その甲突川に限って水源までたどり着くことができなかった。)
 川の水源は行けそうで行けない場所のようだ。

 そんな水源という場所を熊本で見たことがあるのを思い出した。

(2007年8月28日撮影)

 阿蘇の白川水源。
 池のような場所から泡が出てきている。
 今まで思い描いていた川の水源のイメージとはだいぶ違った。

 ここの場合,水の汲める観光地のように整備されており,水源を守るための寄付金も徴収される。

 この気泡が川幅を広げて行き,海へ流れ出ていると考えると不思議だった。

 カテゴリの一つにもしている遡上の記事だが,鹿児島を出てからは川の長さが長くなり,このスタイルでの存続は危ぶまれつつある。川のある風景ぐらいに路線変更かな・・・

(200) 【遡上】 稲荷川編 ~その4~

2009年09月28日 05時41分58秒 | 遡上
【遡上・稲荷川】の記事一覧
その1 その2 その3その4


その3からの続き。
 
 吉田インターの近く。
 吉田へ行く道と吉野(吉田IC)の方へ行く道とに分かれる神社の前。
 川はICの方へ向かい,写真右手を流れている。

(2009年3月4日撮影)

 インターの脇を通り,川が高速の下をくぐる地点へ。

(2009年3月4日撮影)

 丁度,この近くを子ども達が下校していた。
 さらに川の上流の方へ。

(2009年3月4日撮影)

 牟礼丘の風力発電機の方へ向かい,川は流れていく。

 しばらく進むと橋の脇にこんなものが立っている。

(2009年3月4日撮影)

 ここが稲荷川の管理上の起点のようだ。しかし川はまだ続いている。

(2009年3月4日撮影)

 真新しい感じのコンクリートが見られる。この近くに工場を持つ新○本科学の駐車場のようだ。
 近くにいた住民の方からこの辺りにもホタルがかつては見られたということを聞いた。
 新○本科学の門の前を抜けると,その後は道路の幅も減り,川は以下のようなところを流れていく。

(2009年3月4日撮影)


(2009年3月4日撮影)

 同じような感じの場所が続いていく。このあたりの勾配は結構急だった気がする。(訪問時は上流から下流へ下りで移動したので,苦労を感じず記憶があまりない・・・)

(2009年3月4日撮影)

 カメラの焦点の関係でうまく写せなかったが,奥の山の上には・・・

(2009年3月4日撮影)

 風力発電所が確認できる。
 この道の脇には・・・ 

(2009年3月4日撮影)

 井戸のようなものがあった。
 後を振り返ってみると・・・

(2009年3月4日撮影)

 牟礼丘団地の小学校が見えた。こちらから見るとこの上に団地があることは想像しにくい。
 やがて,さっきは川の先に1機のみ確認できた風力発電機が・・・

(2009年3月4日撮影)

 たくさん見えるようになってきた。
 その先まで行くと・・・

(2009年3月4日撮影)

 規模は小さいが落差のかなり大きな滝が見えてきた。
 滝の上から。

(2009年3月4日撮影)

 そして,森林の中の道を行くと・・・

(2009年3月4日撮影)

 さっきと同じような標柱が現れた。
 木川は稲荷川の特に上流での呼ばれ方で別の川を指しているわけではない。正確な表記は忘れたが,起点はさっきのところだとすると何を示すのかよく分からない標柱だ。
 この先も川は続くが・・・

(2009年3月4日撮影)

 流れはだいぶ小さくなっている。これ以上先へは本格的な準備をしなければいけなそうだし,普通の手段で川原に行けそうにないので,稲荷川の遡上はここで終わる。

(188) 【遡上】 稲荷川編 ~その3~

2009年09月14日 23時48分46秒 | 遡上
【遡上・稲荷川】の記事一覧
その1 その2 その3その4


その2からの続き。

 実方神社の前の道を道なりに行くと脇に溝が現れる。
 この溝をたどると関吉の疎水路のへつながっていく。


(2009年2月18日撮影)

 谷の向こうに坂元から吉田へ向かう県道がありその間の谷を稲荷川が流れている。

(2009年2月18日撮影)

 稲荷川から取水している疎水溝もここまで来ると稲荷川との高さに差が出てきている。
 谷の下の方へ行ってみると・・・

(2009年3月4日撮影)

 やたら階段の長そうな神社があったり・・・ 

(2009年3月4日撮影)

 道路脇の草むらの中に田の神像があったり・・・

(2009年3月4日撮影)

 今は閉鎖されてしまったような温泉プールがあったりする。

(2009年3月4日撮影)

 谷の下の方は蛇行が目立った。

 吉田へ向かう県道から,関吉の疎水溝の方を見てみる。

(2009年2月18日撮影)

 県道脇の歩道に小さな案内は出ている。

 疎水の取水口の先は渓谷になっていて川沿いに進むことはできない。
 県道に沿っていくと,進行方向に向かって右手が開け,集落の中に保育園等が見える。
 もうしばらく先へ行くと,高速道路の上をを県道が超える。
 その陸橋を超えたところから稲荷川の方を見てみる。

(2009年3月4日撮影)

 奥に桜島が見え,川上小学校の校舎も見える。

 上から記念碑のようなものが確認できたので,学校の前を経由し,そちらへ寄ってみた。

(2009年2月18日撮影)

 川上の田の神だった。
 背面に刻まれた文字から1741年に作られたものと考えられると案内板にあった。

 少し上流の方へ行くと・・・

(2009年2月18日撮影)

 水神の碑の立てられた橋があった。
 清水中前の「探してみませんか稲荷川の魅力」の案内板によると,上川上橋親水と書かれていた。水遊びの場なのだろうか?脇にはポンプ室のようなものがあり,使用目的かんがい用水とあるので,用水路の取水口のここにあるようだ。

 県道に戻り,上流の方を見る。

(2009年3月4日撮影)

 高速の料金所(但し出口ではない)が見えた。鹿児島ICには料金所はないので,そこから利用する場合ここで入場手続きと精算をすることになる。
 稲荷川沿いの緑ヶ丘を下った位置に当たることは外から見るまで知らなかった。
 さらに川は吉田ICの方へ続いていく。
※ その4へ続く。


(156) 【遡上】 永田川編~その4~

2009年08月03日 03時12分01秒 | 遡上
【遡上・永田川】の記事一覧
その1その2その3その4その5その6


その3からの続き。

※今回紹介する場所への行き方も大雑把に書いていますが,そこへ行くことを勧めているわけではありません。

 皇徳寺団地の北口を過ぎて,県道より1段低くなったところに降りる。ここには,バイキングの店もある。そこを川に沿っていくとこんな場所に着く。

(2008年11月17日撮影)

 道なりに行くとしばらくは川と離れた箇所を進むことになる。しかも川と道路の間には木が茂っていて川の様子すら確認できない。
 その写真向かって左側の道をしばらく進むと上り坂の途中でややカーブしている箇所がある。そのカーブの付近に森の中に入っていけそうな場所がある。そこを進んでいくと・・・

(2008年8月1日撮影)

 県の名前で危険なので遊ばないようにという内容の立札が立てられている。
 この段階ではまだ何が危ないのかは分かりにくいだろう。

 自己責任でさらに奥へ行くと・・・

(2008年8月1日撮影)

 2つに道が分岐している。登る道と下る道があるのだが,登る道のほうが道がよりはっきりと確認できたので登り道へ。
 しばらく行くと川が見え,ロープにつかまって川原の石の上に降りることができる。その空間はこんな感じだ。

(2008年10月18日撮影)

 初めてここへ来た時(8月1日),地元の男性と女性に出会った。
 しばらくその方々とお話をした。周囲は暑かったがこの空間は本当に涼しかった。お二人は,「ここが永田川でもっともいいところではないか」と言っておられた,この場所の紹介もして下さった。
 上の写真の奥のほうへ行く,その先は・・・

(2008年8月1日撮影)

 滝になっている。この滝,一部のみが2段になっており,この写真は2段の上の方だ。その横から,滝つぼを見てみる。

(2008年8月1日撮影)

 落差10mぐらいはあると思う。滝つぼもそれなりに深く,かっぱが出ると言われるぐらい溺れやすい場所もあるそうだ。
 丁度,滝の下の川原では大学生ぐらいの団体が遊んでいた。おそらく,入口に停まっていたワゴン車に乗ってやってきたのだろう。
 さっきの分岐点を下のほうへ行けば滝つぼに降りられることを聞いて,お二人とは別れた。不思議なものでこのとき出会った女性とは,今回の記事の最初に載せた写真の場所で再会することになった。そのときは橋の下に鯉が泳いでいて,ここまで鯉が昇ってくることも珍しくないという話をした。確かに住民にの少ない地区ではあるが,不思議なものだ。

 今度は下のほうからこの滝を見てみる。先ほどの分岐へ戻り,今度は下の道へ。下り道には滑るのを防ぐためかロープが付けられていた。夏のときは違ったが,秋のときは斜面を水が流れていた。一番下につくと川原までは一度水の中へ足を入れないといけない。斜面には木の根が飛び出しているとこもあるので難しいところだが,坂を下る前に足元を群れてもいい装備に履き替えておいた方がいいかもしれない。

(2008年8月1日撮影)

 滝の上でも涼しかったが,ここはさらに涼しかった。
 10月にこのブログからもリンクを張っている「夢見る風力発電機」の作者のskycommuと一緒にここへ来たのだが,そのときの印象はまた違った。

(2008年10月18日撮影)

 水量や日の当たり方の違いもあるが,結構違った印象に見える。秋のほうは滝つぼに虹も確認できた。
 先ほどお二人が言われていたように,永田川最大のスポットだと思う。県だったか市だったかは忘れたが,ここを公園化しようという動きもあったようだ。しかし,それはいまだ実現に至っていない。素晴らしい場所であると同時に,自然に対して人間がどれほど無力であるのかを思い知らされる場所でもあるのだ。
 先ほどの滝の脇を見てみる。

(2008年8月1日撮影)

 左側にビニールシートとポールでできた構造物がある。これは仏壇のようなものでここで亡くなった人を供養する目的で設置されているそうだ。定刻になるとお経をあげに来ているという。死因としては滝の上から飛び降りや,滝つぼでの遊泳があげられる。水が落ちているあたりは底の方へ向けての水流がとても強く,泳力があったにせよ上へ上がるのは困難になると聞いたことがあるように思う。これが公園化が白紙化された理由だ。そして,この場所は周囲(といってもそこそこ距離がある)の小中学校のホームページで危険箇所と指定されている。鹿児島市内にこの規模の滝を見られる場というものはなかなかなく,子どもの冒険心をくすぐる場所であるのには間違いない。危険な場所には違いはないが,行くなというのは少し惜しい気もしないではない。自然の美しさと恐ろしさを実体験として焼き付けるのには格好の場のようにも思える。(死んでしまってからでは焼き付けることができないのもまた事実だ。)
注:この記事はこの場所へいくことを推奨していません。場所の紹介として書いています。

 この場所での遊び方は滝を見たり,水に浸かったりだけではなく,他の目的で来る人も多いそうだ。夕方18時ごろになると大学生がやってきてあることをしているそうだ。その形跡が川原にはっきりと残されていた。

(2008年8月1日撮影)

 使用後の花火が散らばっていた。滝の上の方にも,下の方にも・・・
 地元の方の話ではオムツが捨ててあったこともあるそうだ。
 ここの水は,人によって個人差はあるのだろうが,きれいな方だと思う。ここはだいぶ上流に近いところなので,下流への影響も大きいだろう。その2で紹介した谷山北公民館周辺の川原ではよく遊んでいる子ども達を目にする。彼らは上流でこんなことが起こっていることを知らない。わざわざこんなアクセスの悪い場所に来るだけの意思があるなら,片付けぐらい大した労力ではないだろう。夕方からこの街灯もなく,ちょっとしたことが死につながるこの場所へやってくること自体理解に苦しむのだが,散らかし放題にはあきれてしまう。

 この場所の負の側面はこのぐらいにしておいて,この滝へ来るにはもう一つ方法がある。考えれば分かる方法だが,川の中を歩いていく方法だ。この記事最初の写真を撮った橋の下流側の土手はこうなっている。

(2008年8月1日撮影)

 階段状になっているところから川原に降り,後は上流に向かっていけば滝に着く。しかし,川の両端まで水面が広がっているところもあるので,水に入らずに行くことはできない。
 河道が曲がっているので,滝は結構おくまで行かないと見えない。

(2008年10月18日撮影)


 この近くにもう一つ滝がある。
 先ほど紹介した滝の上をさらに上流へ行ったところにある。

(2008年8月1日撮影)

 ある程度進むと,片側の木がなくなり明るくなる。
 さらに進むと・・・

(2008年7月19日撮影)

 目の前に滝が現れる。
 さっきの滝ともは違い,垂直に落ちるというよりは,斜面を流れていく感じに近い。
 8月にここを訪れた時には用水路の工事をしていた。この脇にスズメバチの巣があったのを工事の方に紹介してもらった。
 10月に来るとその工事はもう終わっていた。

(2008年10月18日撮影)

 この用水路に沿って登っていくと松元へ向かう県道にたどり着く。確か石材屋の看板を目印にしていたように思う。

 これより上流にもいい場所はまだあるが,今回の滝は別格のように感じる。
その5へ続く。

(No.132) 【遡上】 永田川編 ~その3~

2009年05月25日 02時56分02秒 | 遡上
【遡上・永田川】の記事一覧
その1その2 その3 その4その5その6


永田川に関する調査の報告をするのが明日なので,永田川をそのときの調査対象地域の少し上流まで遡っておきたい。

その2からの続き。

 北公民館から上流の方へ向かい,皇徳寺団地方へ小さな道(注:団地へ向かう道ではない)に入ると次のような場所がある。


(2008年7月19日撮影)

 皇徳寺跡だ。皇徳寺というと住宅地のイメージで,高台に位置しているイメージがあるが,これは台地の下にある。台地の下で皇徳寺公民館を見かけたときに感じていた疑問が解けた。詳しくは別の記事で取り扱いたい。

 川沿いの中山から皇徳寺団地へ向かう道の付近を上流へ向かっていると少し変わった通行人がいた。


(2009年2月9日撮影)


 何度も通っている場所だが出会ったのは1回だけなのでたまたま散歩させていたのかもしれない。

 一丁田と呼ばれる地区があり,田の神が史跡として指定されている。川沿いから離れて,北中の農協の前に像はある。

(2008年11月17日撮影)

 横にあるのは「二十三夜待供養塔」だ。

 皇徳寺団地入口から少し上流へ行くと,こんな風景が見られる。


(2009年2月5日撮影)

 もともと川が流れていたところの上を埋めて,田を広げたような跡が残っている。

 指宿スカイラインと交わるところから川幅が急に狭くなる。

(2009年2月5日撮影)

 地図には描かれていないが,この場所で星ヶ峯団地方からの小さな川と合流しているようだ。

 その先,道路が川と離れるため川近くの様子はしばらくうかがえないが,道路を松元方へ行くと妙楽寺という寺の案内板がある。

 案内どおりに左折するとこのような橋がある。

(2008年11月17日撮影)

 車も通る現役の石橋だ。
 橋を渡り終わったすぐ左手に妙楽寺はある。
 寺の入口には・・・

(2008年11月17日撮影)

 手がとられるなど廃仏毀釈の跡が残っている。

 この先,星ヶ峯みなみ台の入口付近で磨崖仏の案内板があるが,いつも磨崖仏を見つけることはできなかった。その下に大きな下水溝の穴があり,子ども達が遊んでいるのを見たことがあった。この当たりの写真を撮った記憶はあるのだが,データが見つからなかった。ただの撮りこぼしかもしれないが見つかり次第アップしたい。

※その4へ続く。


(No.125) 【遡上】永田川編~その2~

2009年05月16日 23時56分44秒 | 遡上
【遡上・永田川】の記事一覧
その1その2 その3 その4その5その6


再来週,以前した調査の内容を報告する機会が設けられた。調査対象だった永田川への長いこと訪ねていない。永田川のイメージを報告前に思い出す意味でも,このテーマで記事を書いてみたい。

※ その1より続き。

 谷山駅より少し宇宿方で線路が永田川を渡る。

(2005年4月16日撮影)

 桜島もビルの向こう側に見える。

 東谷山側の川原には次のような碑がある。

(2009年2月5日撮影)

 清見寺跡と刻まれている。
 その横に波ノ平刀匠と書かれている。清見寺と刀匠が何らかの関わりがあったのだろう。
 川沿いではないが,魚見の麓に波ノ平刀匠の遺跡が残っている。

(2008年12月29日撮影)

 小屋のようなものの中から水が湧いている。
 案内板によると,平安時代末に橋口正国刀匠が大和国から薩摩へ移り住んだのがはじまりで,明治初期まで900年間64代まで続いたそうだ。また,波ノ平地区は,砂鉄・木炭・水の資源に恵まれており,正国が大和へ向かう船旅で,暴風雨に遭い,自ら打った刀を海に投じたところ,荒れ狂った海がおさまったことにちなみ波平と名乗ったのだという。

 先ほどの碑から少し上流方へ行くと丁度谷山駅の裏側に堰があり,その上が橋になっている。橋より下流は最初の写真のように水量は少ないが,上流部は水量が大幅に増えている。

(2008年11月4日撮影)


 堰の脇には魚の通り道として魚道が設けられている。


(2008年11月4日撮影)


 少し上流に行くと,古そうな温泉の後ろに森が見えて神社があった。3月に訪問した時には温泉が壊されていて,川沿いからは森でしか存在を確認できなかった神社が直接見えるようになっていた。

 新永田橋付近から下流方を見る。

(2005年3月8日撮影)

 桜島を永田川の向こうに見ることができるのを知った時は驚いた。

 今度は上流側を見てみる。


(2009年2月5日撮影)

 川はまっすぐと流れている。
 しかし,ここは1970年代前半に工事が行われるまでは,川が蛇行していた。
 その名残もいくつか見られる。
 一つは向川原という地名だ。地形図以外でも,公民館や橋の名前として確認できる。
 他にももともとは河道だったのではと思われる用水路も見られる。

(2009年2月5日撮影)

 道路の色の違う部分に暗渠化した用水路があると思われる。

(2009年2月5日撮影)


 もともと蛇行していた部分の北側の岸には田の神と思われる像がある。

(2008年12月9日撮影)


 真方の付近で旧蛇行部分は終わる。下流の方を見てみる。

(2009年2月5日撮影)

 現在は写真の左側に向かっているが,はるか昔の流れはここからまっすぐ流れていたという文献もある。(人から頂いた資料で出典は確認したが不明)今の永田川の河口よりもはるか南に当時の河口はあったようだ。

 真方のすぐ上流で,支流の滝之下川と分かれている。

(2009年2月5日撮影)

 滝之下川は指宿スカイラインの谷山インターの方へ続いていく。
 分岐点のコンクリート上には碑が建てられている。

 分岐の少し上流部から環流丘陵と呼ばれる小山のようなものがいくつか見られるようになる。

(2008年12月29日)

 ややわかりにくいかもしれないが,ふれあいスポーツランドから永田川流域を撮影し写真。

(2009年2月5日撮影)

 橋の向こうに2つ緑の山のようなものが見えるのが先述の丘陵だ。

 手前の丘陵である白山には登ることができる。
 入口。

(2008年12月30日撮影)

 川とは反対側に入口がある。丘陵は上には神社がある。

(2008年12月30日撮影)

 入口付近の案内板によるとシラヤマノヒメ,キクリヒメ,イザナギノミコトが祭神であると言われ,中村の鎮守の神(山土神)であると記されている。

 白山の上流側には谷山北公民館が2007年に新たに建てられた。

(2008年11月30日撮影)

 ここで支流の山之田川と分かれている。

 ここからも桜ヶ丘越しに桜島が望める。

(2008年11月30日撮影)


(その3へ続く。)