11人の侍

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驚きだった反町五輪代表監督の続投

2007年08月31日 22時56分07秒 | サッカー
 日本U-22代表の北京五輪アジア地区最終予選初戦の試合内容を受け、チームを率いる反町康治監督の進退に影響がでてくるのではないかと予想していたが、現在のところ「解任」を伝えるニュースは聞こえてこない。

 8月22日、同日に開催された日本A代表の国際親善試合カメルーン戦と、U-22代表の北京五輪アジア地区最終予選ベトナム戦が、2試合続けてテレビ中継されたことにより、あらためてはっきりとしたことがある。

 それはA代表とU-22代表、ふたつのチームの間に共通点がまるで見当たらないということだ。とても同じ国の代表チームとは思えないほどに。

 例えば、イビチャ・オシム監督率いるA代表が試合を通じて3バックと4バックを巧みに使い分け、さらには3トップというオプションにも大きな可能性をみせつつあるのに対し、U-22代表にはそういった戦術的な柔軟性がみられない。

 ベトナム戦では、伊野波雅彦(FC東京)の負傷欠場により、控えの細貝萌(浦和レッズ)が右のセンターバックとして起用された。

 ベトナムが1トップで挑んできたこともあり、細貝はすぐに右サイドバックの位置に移って積極的な攻撃参加をみせもしたが、いかんせんこのポジションでのプレー経験が乏しいだけに、違和感はぬぐい切れなかった。ひとりしかいないベトナムのフォワードに対し、細貝、水本裕貴(ジェフユナイテッド市原千葉)、青山直晃(清水エスパルス)の3人のディフェンダーで対応するという場面がみられたのは、1度や2度ではなかった。

 大量失点さえ免れれば良し、といった戦いぶりの相手に、そこまで神経質に対する必要があっただろうか。

 またU-22代表の前線には、A代表のように、コンパクトな陣形を保つ助けとなるような、機動力あるアタッカーが配置されていない。反町監督がチームの軸に据える平山相太(FC東京)は典型的なフィニッシャータイプで、守備の貢献を求めるのは酷だろう。とはいえ、最前線の平山とDFラインとの間に生まれる広大なスペースはチーム始動時からの悩みの種であり、いまだに解決に乗り出す様子さえないというのはいかがなものか。

 そして、中盤のおそろしく広いスペースで汗をかくのは、本来なら司令塔タイプの梶山陽平の役目だ。所属するFC東京の原博実監督が「日本のジダン」と評す梶山だが、そのように呼ぶファンは日に日に減ってきた。梶山とコンビを組む本田拓也(法政大)は荒々しいプレーを持ち味とする守備の専門家だが、彼にはイタリア代表のジェンナーロ・ガットゥーゾ(ACミラン)ばりの仕事量が求められている。

 コンパクトな陣形を保つことができないから、日本U-22代表はいったん相手に押され始めると、チーム全体がゴール前にまで引き下がらざるを得なくなる。はるか格下にみえたベトナムにも、終盤にはゴール前にくぎ付けにされた。

 一方で攻撃に目を向けると、ウイングの水野晃樹(ジェフユナイテッド市原千葉)の個人技に頼る場面が数多くみられた。攻めが極端に右サイドに偏ることにより、日本の陣形のいびつさはますます際立つこととなった。

 右からの水野のクロスに合わせるのは、言うまでもなく190センチのエース平山だ。対戦相手が日本チームの分析で悩むことはないだろう。平均身長で日本より8センチ劣るベトナムの守備陣は確かに奮闘したけれど、あれほど単調な攻撃であれば、大量失点を防ぐのはそれほど難しくなかったはずだ。

 では、平山と2トップを組んでいたはずの李忠成(柏レイソル)は一体どこにいたのだろうか。
 李は、空いた左サイドのスペースに意識を割かれ、ペナルティエリア内に進入することすら稀(まれ)だった。李がそのスペースを気にせざるを得なかったのには理由がある。普段なら左サイドを得意なプレーエリアとする家長昭博(ガンバ大阪)が、先発メンバーから外れていたからだ。

 U-22代表の攻撃の中心選手と目されていた家長だが、ベトナム戦では先発の座を、ユース代表から昇格したばかりの柏木陽介(サンフレッチェ広島)に奪われた。カナダで行われたワールドユースで日本のプレーメーカー役を担った柏木は、U-22代表で一貫してこの役割を務めてきた梶山の前に配置され、攻撃のけん引役を託されている。柏木は将来を日本代表の背負って立つ選手に違いないが、この大事な初戦でいきなり攻撃の指揮権を与えられるとは、さすがに驚かされた。

 反町監督はこれまでのチーム作りの過程においても、柏木のようなプレーメーカータイプの選手に特別な偏愛をみせてきたが、この執着は端からみたらとても奇妙に映る。

 例えば、もうひとりのプレーメーカータイプである本田圭祐に関しては、左サイドバックにポジションを移してまでも起用にこだわる。名古屋グランパスエイトのファンはこの暴挙に対して怒りの声をあげるべきだ。ベトナム戦での本田圭は、試合中ずっと所在なさげにピッチの隅を徘徊(はいかい)していた。

 それでも試合に出場しているという意味で、本田圭の置かれている状況は恵まれていると言えないこともない。本当に気の毒なのは、ガンバ大阪で左サイドバックとして活躍している安田理大のほうだろう。

 安田を含め、反町監督は基本的にドリブラーが好みではない。日本中が期待する家長は、U-22が始動した当初にベンチ入りメンバーからも外される屈辱を味っている。同じくドリブラーで、すでにA代表デビューも果たしている梅崎司は、今回のチームに招集さえされていない。

 テレビ朝日の解説を務めたセルジオ越後さんが再三指摘したとおり、日本の左からのサイド攻撃は明らかに機能していなかったが、日本ベンチの腰は重かった。最初の交代として家長をピッチに送り出したとき、時計の針は後半30分を経過していた。

 反町監督は、先に試合を行ったA代表が2ゴールを挙げていたから、1-0の勝利でも十分だと考えたのかもしれない。それを証明するように、最初の交代からわずか2分後に、今度は李に代えて岡崎慎司(清水エスパルス)を投入している。短時間でふたつに分けたこの交代策には、一体どのような意図があったのだろうか。本気で追加点を狙う気持ちがあれば、少しでも時間を惜しんで、ふたつの交代を同時に行うべきではなかったのか。

 2度に分けての交代は、試合をそのままのスコアで終わらせたいときの反町監督が好んで使う策だ。引き分けに終わった2006年11月の親善試合、韓国戦でもまったく同じ手法を採っている。この試合でも日本は追加点を狙って畳み掛けるべき展開だったにもかかわらず、2度の交代で時間を必要以上に浪費して、チームの勢いを収束させた。翌日には多くのメディアがフォワードの決定力不足をやり玉に挙げたが、勝負どころを逃した監督の決定力不足のほうがよほど深刻に映ったものだ。

 才能豊かな選手が集うU-22代表の命運は、ホームのベトナム戦で1-0の勝利に満足する監督が握っている。

 現在のA代表をみてもわかるとおり、遅かれ早かれ、この世代が日本代表の主軸を担うときは必ずやってくる。だから北京五輪の本大会に出場し、世界の舞台を踏んでおくことは、日本サッカー界にとって最低限の義務だ。むしろ本大会でのメダル獲得を目標に据えるくらいでないと、物足りなさを覚えてしまう。

 しかし現在のU-22代表の戦いぶりをみてみると、まるでアジア予選の突破こそが最大目標であるかのようで、そして、そんな目標の達成に対しても懐疑的な目を向けざるを得ない。

 反町監督の進退に関しては、9月8日にアウェーで行われるサウジアラビア戦を目安に、サッカー協会から決断が下されることになるのだろう。このまま反町監督に託すつもりなのか、それともすでにほかの候補者の調査に乗り出しているのか。サッカー協会からすれば、ここが腕のみせどころだ。

 ただし、目標を北京五輪本大会でのメダル獲得という位置に置くのであれば、この段階での進退に関する議論など、もはや手遅れではないのかと感じずにはいられない。