君子の業
中国では蘭を培養する事を「君子の業」という、昔から「蘭を植える家には福あって悲劇なし」と云う諺がある、また、蘭の別名を「目出度草」と云う。日本でも戦前は「聖人の草」と言われ、明治天皇、照憲皇太后も蘭に大変ご興味をお持ちになり、今でも、皇居には多数の蘭鉢が所蔵されている。 大正九年十月に、東京日本橋倶楽部に全国から500名の愛蘭家が集まり、大隈重信公爵を総裁に、後藤新平東京市長を副総裁として、民政党衆議院議員栗原彦三郎が会長となって「大日本蘭恵会」を立ち上げ、同時に日本で始めての「蘭恵陳列鑑賞会」が開催された。民政党代議士栗原彦三郎は、日本国に自生している寒蘭を保護植物として保存するために、大正四年の議会に「寒蘭保護案」を提出して可決成立させた、この事は寒蘭史上画期的な出来事である。南光園りポートより抜粋