硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

  泰山木の花が咲き

2011年06月13日 | 季節の移ろいの中で

我が家の庭の王者 泰山木の白い花

 

 

 

泰山木の花が咲き

 

 我孫子・手賀沼 文学散策 (Ⅰ)

 

 

庭一面にいい香りが漂っている。これは朴の花ではないな。朴より少し香りが控えめだ。

父が朝、「そう言えば今日が祖父の命日だな、しばらくお墓参りをしてないが、さて」と。

「じゃ僕らが行くよ」と言い、杏に「鳥さんたちを見るかい」と言ったら直ぐに首をコクリとした。

いい具合に、妻も行きたいと言い出す。非常勤勤務の良さか。目指すは我孫子市・手賀沼。

子(ね)の神大黒天にある祖父の墓参に行く。

 

祖父は変わっていて、老いてからA紙新聞記者になったが、

柳宗悦を心から慕っていた。特に奥さまのアルト声楽者だった兼子さんの大ファンで、

A紙新聞の大先輩・杉村楚人冠の信任も厚く、始終我孫子に通っていたらしい。

 

水原秋桜子は、年に50回も通って好きだが、キミも余程好きねぇとよく言われていたようで、

そして白樺派の文人たちの集まりに、時々顔を見せ、その都度何か提供をしていた模様。

 

父との確執で悩み、方々を転変とした若き日の志賀直哉。今はあまり読まれないようだが、

私は、志賀直哉の文章は格別に美しいと信じている。私が好きな中勘助も来ていたようだ。

 

祖父は豆々しく繊細な男で、彼らの住居を買う際には、きっと力になったことだろう。

そして実に筆まめであったので、白樺派や他の文人たちの新発見があるかとも思う。

未だに、祖父の日記に手をつけていないが、判読は妻に任せたいものである。

 

志賀直哉邸の書斎は古色蒼然として実にいい。まるで良寛和尚の五合庵を観るかのよう。

 

  

 

 

志賀直哉の書斎 右手石段は 山上の客間へと続く

 

石榴や椿や樺や杉板や、何もかもが邸内にある原木をそのまま使用、藁葺屋根以外は、

昔のままだと言う。この書斎で書かれた小説は、大正6年(1917)に父親との確執を書いた

『和解』。続いて同年『城之崎にて』。大正9年(1920)『小僧の神様』。作家全盛の勢いに。

作家として名声を得て行く時期でもあり、更に大正10年(1920)~大正13年(1923)まで、

『暗夜行路』の前編と後編の殆どを、この小さな書斎で書き上げている。

 

その後京都経由、奈良・高畑町に移り、和のお屋敷を持つが、滝井孝作もついて行った。

本来俳句は河東碧梧桐の弟子だが、小説の師は芥川龍之介と、特に志賀直哉を師と仰ぎ、

孝作と志賀は随分親しかったようだ。志賀邸に夕食に招かれることがしばしばだったらしい。

 

滝井孝作は、志賀邸のもう少し高台に掘っ立て小屋を建て、円形古墳の傍の家で妻と、

暮らしながら、ヒロインのリンが出てくる連載小説・『無限抱擁』という純愛小説を書いている。

師の移動とともに京都へ行くが、『無限抱擁』のヒロインのリンが死ぬと、小説も終わり。

その後、何と志賀邸のお手伝いさんと結ばれる。然もその名は「りん」。何ということか。

常に私が主人公で、如何にも日本的情緒の私小説に過ぎないが。

 

滝井孝作 仮寓跡 傍の円形古墳 (この一帯には古墳が十三個あるとか)

 

志賀は晩年殆ど我孫子を思い出したくなかったと言う。

冬は特に寒く湿気が多いこの地で、二人の愛児を失っているからだ。

志賀を我孫子に呼ぶ切っ掛けを作ったのは、他でもなく武者小路実篤。

そのお蔭で白樺派の文人たちや、林芙美子や、斉藤茂吉や、古くは正岡子規も来ていた。

野口英世を物心両面から支え続けた血脇守之助は我孫子の旅籠・「かど屋」の出で、

謝恩の碑も我孫子にはあったが、後に東京歯科大学を創立することになる。

文人だけではなく、多くの文化人や著名人が集まった場所、

それが錦湖・手賀沼の湖畔であったのだ。まるで「坂の上の雲」を見るかのようである。

 

だがつい最近まで、全国の湖の中で最も汚れた湖として有名であったらしいが、

今ではスッカリ綺麗に浄水され、美しく、古き良き時代の湖畔になっている。

我が長女・杏はここに集まる渡り鳥が大好きだ。

 

長谷川伸、中里恒子、島崎翁助、窪田空穂、藤蔭静樹、円地文子、大町桂月、

古くは小林一茶までこの地に来ている。西洋史専門の村川堅固・堅太郎の別荘もある。

「三田文学」の編集長であった坂上弘も在住していた。大田蜀山人や、

歌人で、宮中・歌会始めの召人であった清水房雄も住んでいた。

軽妙な句を作り、人気があったM新聞の、祖父の記者仲間であった岡野知中も、

ハケの道と呼ばれる場所に住んでいた。

俳人で、この地出身の、高浜虚子の口実筆記をした野村久雄もいた。

祖父は特に、関東三十三番札所で、真言宗の古刹・「子(ね)の神大黒天」を愛し、

今は新しい家が建っているが、門前に住んでいたようだ。祖父の遺言に、前方後円墳がある

この御寺の墓所を購入していたので、埋葬を遺言し独りここに眠り、

祖母は田舎に行くなんてマッピラだと公言し、祖父の言い成りにした。

後に、当家伝来の青山墓地に分骨し、祖母と一緒にしたが、

父は何かと祖父を尊敬し、祖父の墓参りを欠かしたことはなかったようだ。

 

武者小路実篤と志賀直哉、たった2キロしか違わない距離で、

お互い船で行き来し、小船から「おおい、しがぁ、いるかぁ」ってな具合に大声を張り上げ、

二人は懐かしく、愛惜に満ちた声になって聞こえたという。

 

但し祖父は二人に割って入ったわけではない。

時世、急をつげる中、ただ悠々としていただけだ。無論『匿名者』として。

でも一言だけ、我が家に伝承されていることがある。

左翼系作家だった小林多喜二が志賀邸にやってきて、

意見を仰いだ時、志賀はウザイと思ったらしく聞く一方であったらしい。

白樺派は時局に疎すぎると、祖父は嘆いていたようだが、

でも彼らとのお付き合いが好きだったのだから、イト不思議。別記事にする。

 

祖父が最も愛し、信仰にも似た感情を抱いていたのは、柳宗悦・兼子夫妻の存在であった。

(Gooブログ記事の容量の都合で、最も大切な部分は、別記事にする)

 

直哉の哉の字に ハネがない このほうがすっきりするといい 生涯この字に徹した

 

志賀邸から 200メートル手前にある「白樺文学館」

 


  あれから三ヶ月

2011年06月11日 | エッセイ

真言宗豊山派総本山・長谷寺のご本尊 十一面観音菩薩立像

このご本尊は七回焼失 天正7年(1538年)復元 但し奈良時代創建当初の御顔は

10メートルも越すこの巨大立像の中に 体内佛として入っている不屈の観音さまである

 

 

 

あれから三ヶ月

 

 

3;11から、早くも三ヶ月。まだ三ヶ月という、官邸づめの与党議員の大馬鹿もいるが、

死者~15,405名。行方不明者~8,095名。避難者~90,109名。(10日現在)

仮設住宅~28,280戸。瓦礫の撤去率、僅か15%のみ。インフラの整備はまだ遥か先にあり、

最も憂慮している事は、義援金が一向に届いていないこと。ヤミ金融も横行し始めている。

瓦礫の撤去の15%は、自衛隊が10%、地元業者とボランティアで5%と必死な作業が続く。

 

政府がアテにならない地元にとって、自主的にドンドン動き出すしかない。

特区構想も、枝野に聞けば、鼻から抜けるようにスラスラと出るが、それって、

内閣や党側も承知のことだろうか。幹事長も官房長官も全く信用ならない。

 

あのお金の亡者の民主党(ただ今党員資格停止中)の、お偉いさんは

強制起訴の裁判やら、裏でうごめく怪しい政局の只中で、被災現地はお構いなし。

そう言えば岩手県の達増知事は、かの大物議員の秘書とか子分とか秘蔵っ子だとか、

だったら行くまでもないことだと、言ったか言わなかったか。選挙の時しか来ないと人の言い、

何故先頭に立って陣頭指揮しないのか、ちゃっちゃら可笑しい。政治生命の終焉か。

 

この三ヶ月の菅総理の対応を見ただけで、胸糞悪くなり、義憤に堪えない。

党内の内部抗争が激しくなっているようで、ポスト菅とか、何やらキナ臭い。アホかいな。

民主党内がこんなにゴジャゴジャしてて、大連立など、どの政党と出来るのだろう。

菅総理は一刻も早く退陣して欲しい一点だけ。本人は我執だけが目いっぱいで、

この国難の大震災を、自己政権延命の人質にとり、ツラ~ッとして粘るばかり。

この情けない日本国の指導者は、海外からは馬鹿にされる一方で、

中国海軍11隻が沖縄公海上を堂々と通り、太平洋上の真ん中で演習するという。

北方四島は、サミットの際、ロシア大統領に「静かな環境で話し合いたい」だと?

あれっ露大統領が北方の島を訪れた時、「暴挙だ!」と激しく抗議していた御仁は誰だっけ。

国境も国民も、そして被災者も守れない総理は、どこの国家の権力者なのだろう。

政局には飽き飽きしたし、勝手にやってろと突き放す。愚の骨頂!

 

これからは誰一人だって欠けてはならない。

阪神淡路大震災の際、仮設住宅で孤独死したのは千余人。

仮設住宅に入りたがらない方が大勢いる。入ると支援物資が打ち切られるからだ。

結露する窓、網戸がない窓、コンセットだって剥き出しだ。雨漏りもする。

瓦礫撤去する地元の業者に、重機を動かすための義援金はこの三ヶ月間一銭もなかった。

ウニは取れても、加工業者が壊滅しているから、漁も出来ない。

カツオは旬だが、船がない。秋鮭やサンマ漁はどうするのだろう。

旬がそろりと逃げて行く。

 

どこから手をつけ、どうやって復興していったらいいんだろうってか?

後手後手、先送り後回し、責任転嫁、至上最も愚劣な宰相に、この国家を任せられるか。

 

先日お示ししたチェルノブイリ事故によるホットスポットは、日本にも必ずあるだろう。

現在進行形で被災が尚も進んでいる福島県民に、

風評被害やら、緊急退避勧告さえも曖昧に出されているこの体たらく。

福島県民にどうやって釈明し、どう責任を果たして行くのだろう。

静岡県のお茶畑だって、深刻な打撃だ。狭山茶は出ていないが心配だ。

何故もっとスピーディーに、すべてのことに対応出来ないのだろう。

夏になってプールに入っていいのか悪いのか、運動場も汚染され、

これがコストが安いという原発神話の本態か。

私は不安を煽るようなことを言いたくないが、

だからこそ、真実の視点からのみ何事も発信して欲しいと願っている。

 

あの美しい福島を取り戻せ!阿呆な政治家どもよ!

 

平将門が軍馬の訓練にするために、神事と合わせ開催される

相馬野馬追の開催が目途もつかない状況。20キロ圏内に神事をする神社があるからだ。

会津や、磐梯山の観光も、95%減で、この先どうして行けばいいのだろう。

平家の隠れ家として名高い湯西川温泉の、最老舗「伴久」はキャンセル相次ぎで倒産だ。

日光も、尾瀬も閑散としていて、これじゃ原発中心に、何キロまでが総避難となるのだろう。

或いは、人智が一切入らない不毛の原野と化すのか、蒙昧として分からない。

原発収束の見込みなく、路頭に迷う福島県民へ、少なくとも、情報開示だけは忘れるな。

 

我が家にある神棚や、お佛壇や、庭にあるお稲荷さんまで、今日は祈りっぱなし。

南三陸町では川柳でも歌い上げて、辛抱の限界に挑む多くのトモガラよ、

気仙沼や石巻漁港に大発生している蝿や蚊が、あなた方を刺されぬようにと祈るばかり。

あの臭い体育館の中には多くの蝿や蚊が侵入し、一晩で六箇所も刺されたようで、

泥のなかには、蚊の幼虫がワンサカ。粉塵も怖い。感染症だけは阻止して欲しい。

 

兎も角、菅総理の存在そのものが政治空白を作っているのは事実だ。

ねじれ国会をどうすれば解消出来るのか、覚悟も謙虚さも、サラサラなく情けない。

 

やっと来た 救援物資 棺おけだ

佛壇が 崩れたうえは 神だのみ

震災で 夫婦の絆 強くなり

どの店も 欲しいものだけ 品切れに

大津波 パパのヘソクリ 泥のなか

災害が 冷めた夫婦の ヨリ戻し

 

 上記、南三陸町・川浪地区の皆さんの、週一回の川柳会の歌

 

ドクダミの十字花を あなたへ 

何かが瓦解するように引いて行くボランティアの数 

「頑張ろう日本」の文字が 酷く色あせる折 尚も元気を出せというのかい!


 関寺小町 花の色は移りにけりないたずらに

2011年06月10日 | 能・狂言

 

葛野流(かどのりゅう)大鼓方 亀井忠雄師 (人間国宝)

 

 

関寺小町  花の色は移りにけりないたずらに

 

 

忙しい日程の中、うっかりして大切なことを忘れていた。

7月1日、能楽の囃子方で、大鼓(普通おおつづみとは言わない おおかわという)

を打つ人間国宝の亀井忠雄師が、自らの古希を記念する重要な舞台があったことを。

渋谷の松涛にある観世会館で、実力者揃いで、披露される能の会。前売りチケット完売で、

当日売りがたった10枚だけ、朝早くから並ぼうと思うが会館に電話したら、

住宅街なので、早朝に並ぶのを遠慮して下さいと仰らした。さもありなん。でも行く。

当日売りチケットは13,000円で、椅子席だと18,000円になる。

この豪華な顔ぶれに、誰が高いというのだろう。然も一世一代の能が演じられるのだ。

 

観世流第二十六世・宗家の観世清和は、能の中でも秘曲中の秘曲・「関寺小町」を演じる。

この曲は他流では比較的演じられるが、観世宗家では七代も演じられていない。

宗家は忠雄師から、その話を伺った時、最初はお断りになられたという。

忠雄師は、「直ぐに飛びついたら、それは天狗というもの。迷うのが本当だ」と庇う。

他に能「石橋(しゃっきょう)」があり、シテ・観世喜正、片山九郎右衛門。

野村萬斎は、軽やかな「三番叟」を演じる。これだけでも豪華だが、

更に梅若玄祥や、ワキ宝生の名人・宝生閑、観世流の片山幽雪などが出るというから凄い。

清和の父親・左近は、亀井忠雄師演奏の目の前の能で倒れられ、その後亡くなっている。

従って観世流宗家の清和師も、きっと命がけで出演する覚悟だろう。

 

亀井忠雄師の大鼓は裂帛の気合に満ち満ちていて、その気迫に圧倒される。

曲ごとに、死ぬ気で裂帛の掛け声を発し、舞台で演能する方と真剣勝負に挑む。

私も若い時分、ウィリー・フリント(デンマーク)、ジャック・パラン(フランス)、

アーミンズ・ニコフスキス(アメリカ)などを始め、海外から日本にやってきた、

多くの外人能楽志望者と一緒に稽古に打ち込んでものだが、

この秘曲を謡うことさえ、師匠は決して許さなかったのである。

秘曲とは「姨捨」・「桧垣」、そしてこの「関寺小町」の三曲だけ。

謡い方の抑揚や、囃子方との微妙なズレや、幽妙な地頭に率いられた地謡との駆け引き。

後年、何故秘曲で、若年の私たちに許されなかったか、年を経て漸く分かった次第。

 

小町用老女面 今回使用される観世流の老女面ではない

夢幻能ではなく 現在能の面であるだけに 際立って美しい面である

 

小野小町は約9世紀登場の人だが、生没年月日も、誕生地も定かではない。

系図集「尊卑分脈」によると、小野篁の息子に当る出羽郡司・小野良真の娘とされている。

出自・出身地・生誕地・墓地など、諸説紛々としていて、如何にも小町伝説らしく賑々しいが、

間違いなく三十六歌仙の一人であり、多くの優れた歌を残している。

私は後宮である、「町」という字があてられているので、

後宮に仕える女性だったのではと考えている。

同年代の人物に「三条町(紀静子)」「三国町(仁明天皇皇子貞登の母)」が存在し、

前述の小町姉が実在するという前提でモノを言えば、

姉妹揃って宮仕えする際に、姉は「小野町」と名付けられたのに対し、

妹である小町は「年若い方の町」という意味で「小野小町」と名付けられたと考えられる。

故にこそ、いうまでもなく絶世の美女であったのだろう。

 

更に小町が主題や能の題名に使われた能は、「小町物」と総称され、

「草紙洗小町」、「通小町」、「鸚鵡小町」、「関寺小町」、「卒都婆小町」などがあり、

これらは和歌の名手として小野小町を讃えるもの、

深草少将百夜通いをモチーフにするもの、

年老いて乞食となった小野小町に題材をとるものなどに大別される。

後者は能作者らによって徐々に形作られて行き、

「衰老落魄説話」として中世社会には幅広く流布したものであった。

この関寺小町も、老い近江に庵居す小野小町は、

関寺の僧の訪問をうける。寺の七夕祭案内され、稚児の舞にひかれて

遂に往時の夢を追って、老い無残思い知らされる、ストーリーとして単純だが、

高い品性を問われる難曲中の難曲なのである。謡いも少ないし、舞うのも少しだが、

気品と、一層の緊迫感が求められ、或る程度の年齢に達しないと難しい曲である。

ここに、囃子方と地謡座とワキとの、決死の覚悟の真剣勝負がついてまわるからである。

 

 「関寺小町」のことを中心にしてしまったが、

この会は亀井忠雄師の古希記念公演のことである。

「老害はいけない。大鼓を打てなくなったら、舞台を去る」と仰り、

芸の世界で、演者と演者の間で、生きるか死ぬかの瀬戸際の闘いが能舞台というもので、

是非一度、亀井師の裂帛の気合を堪能して戴きたいものである。

  

小野小町の絵画 作者は明治期の菊池容斎 (ウィキペディアより)

 



   Hot Spot 今そこにある危機

2011年06月08日 | エッセイ

 

チェルノブイリ原発事故のホットスポット図 大掛かりに 或いはポツポツと点在し

遠隔地であっても トンでもない数値が検出されているのだ

尚入場制限区域は 中心点の事故現場から たったの50キロ圏内だけ

 

 

Hot Spot 今そこにある危機

 

 

2011年6月2日、柏市の主婦たちが多くの署名を集めて。市役所に陳情に行った。

柏市や松戸市はホットスポットと言われる放射性物質飛来の高い地域らしいから、

市役所で直ちに放射線量を計測し、内部被曝も視野に入れて、

ビルの屋上にあるようなモニタリングポストではなく、低い場所で綿密な計測をお願いすると

かく言う主婦にしたら当然深刻な話で、テレビでのニュースを興味深く見入っていた。

降雨や降雪や風向きなどで影響され、ホットスポットが出来るのは当然のことで、

枝野の大罪・同心円などでは決してない。Speediがありながら二ヶ月間も隠蔽した。

当家の雨樋でも非常に高い放射線量が計測されたからでもある。

 

そこでチェルノブイリ原発事故で計測されたホットスポットの図表を見てつくづく思い至った。

ホットスポットとは思わぬ地点で計測される高い放射線量のことで、あり得ると考える。

 

そして先日、2011年5月23日参議院行政監視委員会における小出裕章氏の発言を

改めて文字おこししたいと思った。委員会の冒頭での発言は小出裕章京都大学助教!

東北大学出身の原発のスペシャリストで、実に明快な御仁であり、

エネルギー政策としての問題点、高速増殖炉が絶対にできない理由、

福島原発事故の政府の不適当な対応、もんじゅに1兆円つぎ込んだ責任者は

詐欺罪として1万年の刑期に相当するなど、舌鋒鋭く鮮やかに原子力政策を否定していた。

 

原発関連なら絶対お薦めしたい本

 

「今日はこれまで原子力をすすめてきた行政に一言いいたいと思って伺いました。私は原子力に夢を持って原子核工学科に入った人間です。何故そうなったかというと原子力こそ未来のエネルギー源だと思ったからです。原子力は無尽蔵にあるが、石炭や石油は枯渇してしまうから将来は原子力だと信じて入ったのです。しかし、入ってみて分かったのは原子力は大変貧弱なエネルギーだと気が付きました。今このスライドに再生不能エネルギーというものの量を順番にあげていこうと思います。まず1番多い資源は、石炭です。大変膨大に地球上に大変たくさんあることがわかっています。ただし今書いた四角は、究極埋蔵量です。実際に経済的に掘れるとわかっているのは確認埋蔵量と言われてるものなわけですが。この青い部分だけだということになっています。ではこの四角がいったいどれくらいのことを意味しているかというと、右の上に今、ちいちゃな四角を書きましたが、これは世界が一年ごとに使ってるエネルギーの総量です。ということは石炭の現在の確認埋蔵量だけで言っても、あそうですね、数字で書きますとこんなことになりますが、60~70年はあるし、究極埋蔵量が全て使えるとすれば、800年ちかくあると。いうほど石炭はたくさんあると。いうことがすでにわかっている、わけです。その次に天然ガスもあることがわかっている。石油もある。そして、オイルシエール、タールサンドといった現在はあまり使ってない資源もあるということがすでにわかっている、わけです。そして私自身は、はこういう化石燃料と呼ばれているものが、いずれ枯渇してしまうから原子力だと思ったわけですが、原子力の資源であるウランは実はこれしかないのです。石油に比べても数分の一、石炭に比べたら数十分の一しかないという大変貧弱な資源であったわけです。ただ私がこれを言うと原子力を進めてきた行政サイドの方々は、いやそれはちょっと違うんだと。そこに書いたのは核分裂製のウランの資源量だけを書いたろうと。実は、自分たちが原子力で使おうと思ってるのは、核分裂性のウランではなくて、プルトニウムなんだと言うわけです。つまり非核分裂性のウランをプルトニウムに変換して使うから、エネルギーとして意味があることになると。いうことを言っているわけです。どういう事かというとこういうことです。まず、ウランを掘ってくるということはどんな意味でも必要です。それを濃縮とか加工とかいう作業を行って、原子力発電所で燃やすと。これが現在やっていることなわけです。しかしこれをいくらやったところで、今聞いていただいたように、原子力はエネルギー資源にならないのです。そこで原子力を推進している人たちは、実はこんなことではないと言っているわけですね。ウランはもちろん掘ってくるわけですけれども、あるところからプルトニウムというものにして、高速増殖炉と言う特殊な原子炉を作ってプルトニウムをどんどん増殖していくと。でそれを再処理とかしながら、ぐるぐる核燃料サイクルで回しながらエネルギー源にするんだ、と言ったわけです。で最後は高レベル放射線廃物と言う大変厄介なゴミがでてきますので、それをいつか処分しなければいけないという仕事を描いたわけです。ただプルトニウムという物質は地球上には一滴もありませんので仕方がないので、現在の原子力発電所から出てくるプルトニウムというのを再処理して、高速増殖炉を中心とする核燃料サイクルに引き渡すという、こういう構想をねったわけです。しかし、この構想の一番中心は高速増殖炉にあるわけですが、この高速増殖炉御は実はできないのです。日本の高速増殖炉計画がどのように、計画されて破綻して行ったこと言うことを今からこの図に示そうと思います。横軸は1960から2010まで書いてありますが西暦です。何をこれから書くかというと原子力開発利用長期計画というものが出来た年度を横軸にしようと思います。縦軸の方は1980から2060まで数字が書いてありますが、これはそれぞれの原子力開発利用長期計画で高速増殖炉がいつ実用化できるかというふうに考えたかというその見通しの年度を書きます。原子力開発利用長期計画で一番初めに高速増殖炉に触れられたのは第3回の長期計画1968年でした。その時の長期計画では高速増殖炉は1980年代の前半に実用化すると書いてあります。ところがしばらくしましたらそれは難しいということになりまして、次の原子力開発利用長期計画では1990年前後にならないと実用化出来ないというように書き換えました。それもまたできなくて5年経って改訂されたときには高速増殖炉は、2000年前後に実用化すると書き換えたわけです。ところがこれも出来ませんでした。次の改訂では、2010年に実用化すると書きました。これも出来ませんでした。次は2020年台に、もう実用化ではありません、技術体系を確立したいというような目標に変わりました。ところがこれも出来ませんでした。次には2030年には技術体系を確立したい、ということになった。では次の長期計画でどうなったか、というと実は2000年に長期計画の改訂があったのですが、とうとうこの時には年度を示すこともできなくなりました。私はしかたないのでここにバッテンをつけました。そしてまた5年後に長期計画が改定されまして、今度は原子力政策大綱というような大仰な名前に改定されましたが、その改訂では2050年に1機目の高速増殖炉をとにかく作りたいというような計画になってきたわけです。皆さん、この図をどのようにご覧になるでしょうか。私はここに1本の線を引きました。どんどんどんどん目標が逃げていくことが分かっていただけると思います。横軸も縦軸も1マスが10年。で、この線は何を示しているかというと、10年経つと、目標が20年先に逃げるということなのです。10年経って目標が10年先に逃げたら、絶対にたどり着けません。それ以上にひどくて、10年経つと20年先に目標が逃げているわけですから、永遠にこんなモノには辿りつけないという事を分からなければいけないと私は思います。ところがこういう長期計画を作ってきた原子力委員会というところ、あるいはそれを支えてきた行政は一切責任を取らないいうことで今日まで来ているわけです。日本は「もんじゅ」という高速増殖炉の原型炉だけでも、既に1兆円以上のカネを捨ててしまいました。現在の裁判制度で行くと1億円の詐欺をすると1年実刑になるんだそうです。では1兆円の詐欺をしたら何年の実刑を喰らわなければいけないでしょうか。1万年です。原子力委員会、原子力安全委員会、あるいは経産省、通産省、等々、行政に関わった人のなかで「もんじゅ」に責任のある人はいったい何人いるのか、私はよく知りません。でも仮に100人だとすれば一人ひとり100年間実刑を処さなければいけないという、それほどのことをやってきて、結局誰も未だに何の責任もとらないままいるという、そういう事になっているわけです。えー、原子力というばというのは大変異常な世界だと私には思えます。次は、今、現在進行中の福島の事故のことを一言申し上げます。皆さんご存知だろうと思いますけれども、原子力発電というのは、大変膨大な放射能を取り扱うというそういう技術です。いまここに真っ白なスライドがありますが、左の下の方に今私はちいちゃい四角を書こうと思います。書きました。これは何かというと、広島の原爆が爆発したときに燃えたウランの量です。800グラムです。みなさんどなたでも手で持てるというそのくらいのウランが燃えて広島の町が壊滅したわけです。では原子力発電。この電気も原子力発電所から来てるわけですけれども、これをやるためにいったいどのくらいのウランを燃やすかというと、1つの原子力発電所が1年動くたびに、1トンのウランを燃やすと、それほどのことをやっているわけです。つまり、それだけの核分裂生成物という放射性物質をつくりだしながらやってるということになります。原発は機械です。機会がときどき故障をおこしたり事故を起こしたりするのは当たり前のことです。動かすのは人間です。人間は神ではありません。時には誤りをおかすと。当たり前のことなわけです。私たちがどんなに事故が起きてほしくないと願ったところで、破局的事故の可能性は常に残ります。いつか起きるかもしれないと言うことになっているわけです。そこでじゃあ、原子力を推進する人たちはどういう対策をとったかというと、破局的事故はめったに起きない、そんなものを想定することはおかしいと。だから想定不適当という烙印を押して無視してしまうということにしたわけです。どうやって破局的事故が起きないかと言うと、これは中部電力のホームページからとってきた説明の図ですけれども、たくさんの壁があると。放射能を外部に漏らさないための壁があると言っているのですが、このうちで特に重要なのは、第4の壁というところに書いてある原子炉格納容器というものです。巨大な鋼鉄性の容器ですけども、これが、いついかなる時でも放射能をとじこめるというそういう考え方にしたわけです。原子炉立地審査指針というものがあって、その指針に基づいて重大仮想事故という、まぁ、かなり厳しい事故を考えてると彼らはいうわけですけれども、そういう事故では、格納容器という放射能を閉じ込める最後の防壁は、ゼッッタイ(※でっかい声で発言)に壊れないという、そういう仮定になってしまっているのです。絶対に壊れないなら放射能は出るはずがないということになってしまいますので、原子力発電所はいついかなる場合も安全だと、放射能が漏れてくるような事故を考えるのは、想定不適当と。そして想定不適当事故という烙印を押して無視することにしたわけです。ところが実際に、破局的事故はおきて、今現在も行中で収束の見込みがたっておりません。たいへんな悲惨なことが、今、福島を中心に起きているということは、多分皆さんも御承知頂いていることだろうと思います。ただ、その現在進行中の事故にどうやって行政が向き合ってきているかと言う事についても、大変不適切な対応が、私はたくさんあったと思います。防災というものの原則は。危険を大きめに評価してあらかじめ対策をとっていく。住民を守ると。もし危険を過大に評価していたのだとすれば、あ、これが課題だった。でも住人に被害を与えないで良かったと胸をなでおろすという、それが防災の原則だとおもいますが。実は日本の政府がやってきたことは、一貫して事故を過小評価して楽観的な見通しで行動してきました。国際事故評価尺度で、当初レベル4だとかいうようなことを言って、ずーっとその評価を変えない、まぁレベル5といったことは有りましたけれども、最後の最後になって、レベル7だと。あまりにも遅い対応の仕方をする。それから避難区域に関しても、一番初めは3キロの住人を避難指示だす。これは万一のことを考えての指示です、と言ったのです。しかししばらくすると今度、10キロメートルの人たちに避難指示を出しました。その時も、これは万一の時を考えての処置ですと言ったのです。ところがそれからしばらくしたら20キロメートルの人たちに避難の指示を出す。その時もこれは万一を考えての指示です、と。いうようなことを言いながらどんどんどん後手後手に対策がなっていったという経過をだどりました。私は、パニックを避ける唯一の手段は正確な情報を常に公開するという態度だろうと思います。そうして初めて、行政や国が住民から信頼をうける。そしてパニックを回避するのだと私はおもってきたのですが、残念ながら日本の行政はそうではありませんでした。常に情報を隠して危機的な状況でないということを、常に言いたがるということでした。えー、SPEEDIという100億円以上のお金をかけて、25年もかけて築きあげてきた事故時の計算コード???。それすらも隠してしまって住民には知らせないというようなことをやったわけです。それから現在、まだ続いていますが、誰の責任かを明確にしないまま労働者や住民に、犠牲を強制しています。福島の原発で働く労働者の被ばくの限度量をひきあげてしまったり、あるいは住民に対して強制避難をさせる基準を現在の立法府が決めた基準とは全く違ってまた引きあげてしまうと言うようなことをやろうとしている。本当にこんなことをやっていていいのだろうかと、私は思います。現在進行中の福島の、原発事故の本当の被害って、いったいどれだけになるんだろうかと私は考えてしまうと、途方に暮れます。失われる土地というのは、もし現在の日本の法律を厳密に適応するなら、福島県全域といってもいい位の広大な土地を放棄しなければならなくなるとおもいます。それを避けようとすれば、住民の被ばく限度を引き上げるしかなくなりますけれども。そうすれば住民たちは被ばくを強要させるということになります。一次産業は、多分これからものすごい苦難に陥るだろうと思います。農業漁業を中心として商品が売れないということになるだろうと思います。そして住民たちは故郷を追われ、生活が崩壊してくことになるはずだと私は思っています。東京電力に賠償をきちっとさせるという話もありますけれども、東京電力がいくら賠償したところで足りないのです。何度倒産しても多分足りないだろうと思います。日本国が倒産しても、多分あがないきれないほどの被害が、私は出るのだろうと思っています。本当に賠償するなら。ということです。最後になりますが、ガンジーが7つの社会的罪ということを言っていて、彼のお墓にこれが碑文で残っているのだそうです。1番始めは『理念なき政治』です。この場にお集まりの方々は政治に携わっている方ですので、えー、十分にこの言葉をかみしめて頂きたいとおもいます。そのほかたくさん、『労働なき富』、『良心なき快楽』、『人格なき知識』。『道徳なき商業』これは多分、東京電力始めとする電力会社に私は当てはまると思います。そして『人間性なき科学』と。これは私も含めたアカデミズムの世界がこれまで原子力に丸ごと加担してきたということを私はこれで問いたいと思います。最後は献身なき崇拝。宗教お持ちの方はこの言葉もかみしめて頂きたいと思います。えー終りにしますありがとうございました。」

 

細かくて済みません。you tubeで見たままを文字おこしした文章で、

こうした良心的な科学者は排除され続け、今でも助教授なのだから呆れる。

30歳未満の青年から、乳幼児まで、敏感な人ほど被曝しやすいのだ。

被曝線量値など、広島でも検証不可能で、将来起こりうる事態に対処するはずがない。

更に計測器も色々あって、お薦めは私が持っているサーベイメーターであり、

ビル屋上に設置されているモニタリングポストなる計測器では全く不十分である。

主婦の嘆願があってから重い腰をあげるとは不届きも甚だしい。

 

海水浴シーズンとなり、未だに海開きをしていない地域が多い。

そりゃ心配するだろう。菅総理の福島第一原発視察ということさえなかったら、

空白の2時間30分は生まれなかったのである。枝野は菅に対して、

「このタイミングで官邸を離れたら、袋叩きに遭います」と諌めたという。

菅はいらついて、「馬鹿野郎!事態を食い止めるのと、批判されるリスクを考えるのと、

どっちが大事なんだ」と語気を荒げ、決して譲らなかったのである。

 

一方枝野は健康被害は心配ないけれど、出荷制限すると訳の分からぬ記者会見。

結果、菅総理が現場を離れた瞬間、水素爆発がおきた。ベントが遅れたのだ。

原発事故さえも自己の政権延命策にする、この大馬鹿野郎!とっとと辞めちまえ!

 

 

以前『硯水亭歳時記 Ⅱ』で論じた時、

六ヶ所村に移送された使用済み核燃料棒から発生すると思われる低レベル放射線の、

拡散した結果が明らかに高い乳癌発生率であると、このグラフは雄弁に物語っている。

六ヶ所村に核燃料棒が移転された時点から急速に上昇しているではないか。

 

政府機関や自治体にも疑って係り、こうなりゃ自己判断で行動するしかない絶望感で、

我が体内にその気骨が充満してくる。すべての情報開示こそ、政府の為すべきことだ。

この際、冷や飯を食ってきたすべての原発反対論者も仲間に入れた正確なデータを求む。


http://www.youtube.com/watch?v=Cg4MNT9dl30&feature=related

You tube発 小出裕章氏の講演「終焉に向かう原子力」 動画サイト ↑

 

原発事故に対して補償する保険会社は、世界中何処にもない。

東電から政府が代って支払う被災者に対する莫大な補償や海外からも求められたら、

結局日本国民の血税であると、誰もが肝に銘じて欲しい。

メルトダウンどころか、メルトスルーしているのが現在の実態であろう。

何としてもトレンチに貯まった汚染水を海中に出さぬよう、決死の闘いを希う。

 

尚、当「硯水亭歳時記」では

黒潮・親潮の海流利用による発電を強力に提案している。

 


  Gratiaに学ぶ散り際の美

2011年06月05日 | エッセイ

櫻の散り際は格段に美しい

 

 

Gratiaに学ぶ散り際の美

 

 

38億年前に生まれた人類の祖先、我が国の伝説の皇祖と言ってもたったの2,680年前。

その中で、私たちの一生はなんぼのモノだろう。泣いて騒いで、豪奢になったり色々だ。

先日話題に出した会津藩の悲劇。西郷頼母(たのも)の妻、千恵子は僅か34歳で自害。

官軍が攻め入った際、藩の備蓄を心配し入城を拒否。西郷家では壮絶な自害があった。

実に21名の者たち。中でも妻・千恵子の辞世の句が凛として残されている。

「なよ竹の 風にまかする身ながらも たわまぬ節は ありとこそ聞け」 享年34歳。

長女・細布子(たえこ)14歳、次女瀑布子(たきこ)13歳にも、二人合作の辞世の歌がある。

「いざたどらまし 死出の山道 手を取りて 共に行きなば 迷わじよ」

上の句は細布子、下の句は瀑布子の作で、互いに懐中刀を差し合って果てたという。

 

僕はいつも思う。歴史上最期の出処進退は女性の潔さが目立つのではなかろうかと。

官軍は戦後、会津藩の生き残りを集団流刑とし、14,284名もの多くの民人を極北の大地

下北半島に、斗南藩として幽閉した。後に陸軍大将・柴五郎も一緒に逃げ生き延びたが、

極貧・貧窮の極みの寒村に、人々は元藩校「日新館」を建て、教育に熱心だったという。

柴五郎は十歳で、ここに移り住み、厳冬の中、裸足同然で勉学に励み、

日清戦争などを経て、陸軍大将まで上り詰めた。

柴五郎の、齢80歳を過ぎてから書かれた、切々とした回想録や遺書が残されている。

 

処が男児ではなく、まだまだ凄い女性がいたのである。

現在大河ドラマとして「江 姫たちの戦国」の中に、細川ガラシャが出てくるが、

何ともこのドラマは漫画チックで、どうもいただけない。視聴率が悪いのは当然で、

筆者の田淵久美子さんの前回のドラマ・「篤姫」とは大違いだ。緊迫感に乏しい。

その直後、放映される司馬遼太郎原作の、「新撰組血風録」で大いに溜飲を下げているが、

肝心要の場面の飛ばしは半端ではない。茶々、後の淀殿の宮沢りえはよしとしても、

主演の江を演じる上野樹里はどうも精神的演技が不得手のようで、堪らない。

戦国の世を生きる迫力に甚だ乏しく、45分ものお付き合いは苦しい限りである。

 

さて再び細川ガラシャの話題に戻そう。

細川ガラシャ、つまり明智光秀の三女・玉のことで、細川忠興に嫁いだ女性のことだ。

秀吉の派手で、色好みを酷く嫌ったらしく、避け続け、忠興とは夫婦円満で5子をもうけた。

明智光秀の謀反の後、忠興は玉(別名・珠)の行く末を案じ、明智領の丹波味土野屋敷に、

幽閉してしまうが、石田三成の軍勢が屋敷を取り囲むと、何と家老の小笠原秀清に、

別室から槍でつかせ、自刃してしまうのである。実は秀吉の伴天連追法令の後、

玉は、正式にカトリックの洗礼を受け、ガラシャ(Gratia=神の恩寵)と名乗ったのである。

愛する夫・忠興に、戦国の世を気兼ねなく生きて欲しいとの一念であったかも知れないが、

茶々とは大違いで、徹底的に秀吉に抵抗した気高い女人であった。

絶世の美女でもあるガラシャが自刃する際に、残された辞世の句が今も残っている。

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

 

第79代内閣総理大臣の細川護煕氏は突如辞任されたものだが、この時の記者会見で、

披露された歌が、16代目前にあたる先祖・細川ガラシャの、この辞世の歌であった。

 

レームダック(死に体)している菅総理は一刻も早く退陣すべきである。

多くの潔い女性たちの、最期の気概をかみ締めて欲しい。

 

江戸彼岸の紅枝垂れ櫻 (弘前城公園内にて)

 


  昨日茶番 今日ペテン 明日の被災者どうするの?

2011年06月04日 | エッセイ

愛媛県今治市にある第54番札所 延命寺

 

 

昨日茶番 今日ペテン 明日の被災者どうするの?

 

 

凡そ日本での慣例は、大きな決断をする際、重要な人と腹で語り合う習慣がある。

書いてないの、言ったの言わないの、ウザイ茶番劇って、阿呆で大馬鹿じゃねぇか!

書いてなくとも、阿吽の呼吸があるはずで、菅総理の開き直りにはウンザリ。

 

日本文化の中に、書面より重いのは信頼しあった者同士の思いの共有であることだ。

孝明天皇から容保を心から信頼するとご辰翰二通を戴きながら、松平容保は肌身離さず、

官軍の大将・板垣退助に見せることがなかった。藩内の犠牲は甚大であったものの、

そして犠牲者400余名は触ることも埋葬することも、半年間も許されなかったのである。

婦女子は城内の入ると、藩の備蓄に迷惑を掛けるからと言って断り、大勢自害し果てた。

容保の京都派兵に反対した家老・西郷頼母の家では実に21名の自害者を出している。

初代藩主・保科正之の家訓十五か条を愚直なまで守って、会津の伝統を築いてきた。

そして嬉しいことに、今、『会津っ子宣言』として、教育現場に尚も生きている。

孝明天皇との心の遣り取りと信頼関係がすべてではなかったか。

書状より、心の通い合うことが大切なことは、何より上位のことである。

会津を攻めた長州藩の末裔である貴殿・菅直人、そのことを知ってのことか。

鳩ぽっぽと、かのお坊ちゃまを蔑んでも、貴殿より、ましで嘘がない宇宙人である。

共に二人で民主党を作った貴殿は、最も大切な友を裏切ろうとしているではないか。

 

本予算の可決も未だに道半ばで、特例公債法案(赤字国債発行)はどうするのか。

今執行されている予算は繋ぎでしかなく、9月からの本予算の執行をどうするんだろう。

無論野党の協力がなくては成り立たない。そんな一大事を電話一本で済ませておいて、

ねじれ国会にしたのは谷垣、あんたじゃないかと言わんばかりの、信なき総理の開き直り。

人にモノを頼む時には「三顧の礼」の喩えもあり、直接逢って、膝詰め談判が普通だろう。

三顧の礼とは目下のものに礼を尽くしてお願いする故事にあることは誰しもご存知だろう。

  

ウソつきで欺瞞に満ちた菅総理では駄目だ、他の方であったら野党は協力すると、

自民党も公明党も言っていたじゃないか。だったらこの局面を打開するために、

菅総理は即刻辞職すべきである。大局を理解していないばかりか、立ち居地すら知らない。

民主党で全員野球をすると宣言していたのに、党内の両議院総会も開かれていないで、

つまり一掴みの取り巻き連中で、或いは法を無視し、ご自分だけで判断するからこうなる。

野党と大連立内閣を模索し、議員全員で、逸早くこの国難を打開し乗り切るべきである。

 

あの避難所に一晩泊まってみたらいい。人の汗や油の匂いや灰燼やらの異様な臭気で、

どんなに一緒になって泣いたことだろう。未だに10万余の方々が苦しんでいるんだぞ。

原発収束後とかほざいているが、貴殿の頭も一緒にメルト・ダウン(炉心溶融)し、

更に最近lame duck(レームダック)と揶揄されていることを直訳すれば、

足の不自由なアヒルの意だが、最早死に体政権のことをさす政治用語なのである。

誰がレームダックした総理の元で求心力が働くのか、考えてみれば分かることだろう。

東京工業大学をご卒業なさっている御仁だからなぁ。なぁ小市民運動宰相よ!

尤も、本も読まず麻雀に熱中して忙しかったらしい。

 

思えば年金未加入問題で、四国のお遍路周りをされましたネ。

全部廻ればいいものを、53番札所の円明寺(愛媛県松山市)で終わっている。

又お遍路したいと言う意欲があるらしいが、次の54番札所は何とその名も延命寺。

今からでは遅いが、延命寺から始まるとしたら、その時こそしみじみと実感することだろう。

政権の座に頑迷に固執し、ハッタリを言い、パフォーマンスだけの自分だったことを。

 

(尚、申し上げておくが、日経で次の総理として評判の高い枝野は同罪で資格なし)

 


  東電資産売却で 尾瀬はどうなってしまうのか

2011年06月04日 | エッセイ

尾瀬のクリップボード

 (風景は尾瀬 左の花から 山ラッキョ 三尺バーベナとセセリ蝶 ニッコウシモツケ}

 

 

東電資産売却で 尾瀬はどうなってしまうのか

 

 

東電の福島第一原発事故により、東電の資産売却にともない、

東電が広大な土地を所有する尾瀬国立公園の保全問題が浮上している。

万一、損害賠償の財源にするため資産売却の対象になれば、

東電が行ってきた木道の設置・修繕などに影響が出ることも懸念される。

大澤正明・群馬県知事は、この11日の定例会見で

「県として、尾瀬の土地売却は絶対阻止したい」と述べた。

 

 尾瀬国立公園は群馬、福島、新潟、栃木の4県にまたがる。

県と東電によると、総面積13万7200ヘクタールのうち、

東電は約43%にあたる約1万6000ヘクタールを所有。このうち、

自然保護のため植物の採取や落ち葉を拾うことさえも禁止されている特別保護地区は、

約6200ヘクタール(保護地区全体の約66%)も含んでいる。

 

 東電は木道の設置・修繕や公衆トイレの整備、尾瀬を利用した環境保護活動のために

毎年約2~3億円を拠出してきた。東電が所有する土地は国立公園のため、

土地の利用や開発は自然公園法で規制されており売却は困難と見られるが、

大澤知事は万一の場合を仮定し、「尾瀬は自然の宝庫で多くの人に支えられてきた。

人と人のつながりや自然を大事にすることを忘れては駄目」と、尾瀬の重要性を強調した。

 

 一方、同公園を管理する尾瀬保護財団は

「仮に売却されれば、東電が行ってきた木道などの管理面で影響は出ると思う」と

戸惑いを隠さない。3カ所の登山口を抱える片品村の担当者は

「具体的な説明は何もないので何とも言えない」と繰り返す。

 

 東電広報部は、

「尾瀬は利根川最上流の水系も含んでいる。

水力発電事業にもかかわる大切な資産であり、

売却は考えていない」と説明しているが、果たしてどうなることだろう。

 

尾瀬の山開きから帰った父は友人の山仲間と相談し、

いざという時には行動しようと、決意しているようだ。

今日は素晴らしい晴れ間、久し振りに休みを取れた妻に、父は盆栽の手入れを

懇切丁寧に教えていた。何故か妻とは饒舌になり、可愛くてしょうがないようだ。

普段の仕事柄目上の方と話すことが多い妻は、父との盆栽の手入れを楽しんでいる様子。

一つだけ、関東大震災や東京大空襲の火災にも耐えた樹齢の古い黒松の盆栽があるが、

何とか僕に、それを伝授し、継承して欲しい本音があるのだろう。

今年の納税で、父からの生前贈与はすべて完了している。僕は一家の責任者。

自然を破壊するのは簡単だが、再生するのは至難の業であると、父は言っていたと。

 尚、僕はイクメンで大忙しい。小さくなったが地震は未だに続いている。

 


   うちひさす宮道(みやぢ)を

2011年06月02日 | エッセイ

プランター用の白い小石に 子供たちと作った人形 不透明の絵の具で手描き

 

 

 

うちひさす宮道を

 

 

万葉集 巻十一 二三八二に、次のような柿本人麻呂歌集よりとられた歌がある。

「うちひさす 宮道(みやぢ)を 人は満ち行けど 我が思ふ君は ただ一人のみ」

京都・河原町三条の我がオフィスで妻と出逢って、最初に和紙に書いて贈った歌である。

人麻呂は、万葉集や柿本人麻呂歌集で歌が残されているが、人物像は分かっていない。

『秘匿』、或いは『匿名』の、日本文化の象徴、特徴、若しくは典型であるような歌人である。

 

我が妻は勤務地に行く以外は、書庫のある品川のマンションにいつもいる。

真っ直ぐ前を見て歩き、移動時間が勿体無いようにして先へと急ぐ。

私たちの結婚は、私たち二人で積み上げ、月日は次第に数を重ね、私たちに、

小さな生命を、神の恩寵から二人も得られた。イクメンを未だにする私は由とし、

妻に何一つ文句や小言を言ったことがない。お互いにリスペクトしているからである。

年の差も今や無関係。夫婦とは面白いもので、長くなれば味が出るのかも。

 

妻は学会や調査のための会合に出席するため、月に何度か家を空ける。

二人の子供たちはそれが普通だと認識し、ばぁばやお手伝いさんと遊ぶ。

上の女の子・杏はヴァイオリンを手放さないので、遂に家庭教師をつけた。熱心な様子。

弟の大風は、姉と一年しか違わないのに、ヤンチャ盛りで、特にボールに強い興味を持つ。

杏は大人しいほうで、独り遊びが大好きで、妻似であるが、弟は私に似ているらしく激しい。

二人の寝所は違うが、かの地震以来、私たちと一緒に寝ている。そろそろ戻そうかな。

 

弟は散歩が大好きで、近所の広尾商店街では、「おチビちゃん」として人気を獲得している。

杏のほうはヴァイオリンに、下手だが熱心に興味を抱き、時折コンサートの実況を観る。

我が妻はイタリア料理が大好きだから、手製で、私が夜食を作る。朝粥は当然私の仕事。

イタリアは特にピエモンテ地方在住が長かったから、イタリア北部の家庭料理が中心だが。

黒トリフは時々入るけれど、白トリフは一度も手に入っていないので、いつかは挑戦したい。

 

子供たちに決して強制はしない。オモチャのピアノやサッカーのボールや、絵の具や書具、

遊ぶ道具は、本人たちが見つければいい。私たちは出来ることをサポートする以外ない。

子供たちにとって、親はウザイ存在にならないようにしているだけのこと。

本人が興味のあるほうに育てて行きたいと念願しているが、

日本国/国旗・国歌を否定するような教師に絶対に預けたくない。

 

勝手に浜岡原発の停止を中電に押し付け、責任の回避をしたのは許されないものがある。

法的根拠もなしに、要請というカタチで行われた。反原発派の私だが、かの総理を疑う。

そして今日まさしく茶番劇を見せて貰った。第二次補正予算のメドを目途に退陣をすると、

鳩山元総理はそう断言していたが、正午から開かれた代議士会での総理の発言は奇妙、

いつ退陣するのかを明言されることなく、ぼかされ、中間派の切り崩しに成功したようだ。

民主党議員諸君の幼児性は明らかに否めないもので、当家の子供たちよりどうだろう。

信任されたとして、「よかったぁ」などと発言していた菅総理だが、被災者のことを思う時、

菅総理は寧ろ反省すべきではなかろうか。この方の資質は地に落ちているからであり、

野党の不信任決議案の中身を自らがとくと再読され、反省すべきところが多かろう。

 

不透明の絵の具を使用 及び頬紅のピンクは色鉛筆で染めてみた

紅い部分は子供たちの染め 白い余白は勝手についた結果を重視した

 

このブログでは内閣不信任案の否決をとうに予想していたが、

中身が酷過ぎる。取り敢えず不信任案可決には賛成しないというだけのことである。

これからの課題とこの時期不信任案を出されたことに、菅総理は真摯に猛省すべきである。

今宵も、子供たちと妻と、我が家族と、福島県民の苦しみを体現し、和蝋燭で明るさを取る。

和蝋燭はほっとする光であり、長持ちし、子供たちはいい夢を見ることだろう。

 


  何のその百万石も笹の露

2011年06月01日 | エッセイ

梅雨に入って台風一過 庭は花で溢れている

 

 

何のその百万石も笹の露

 

 

圧倒的な民主党の大勝利から、二年を過ぎようとしている。ここから勘違いが始まった。

鳩山内閣の時に、ワシントンで開かれた気候変動サミットで温室ガス25%削減と断言した。

ドービルで開かれたサミットで、太陽光発電を突如言って、世界の失笑を買った。

より安全な原発推進論の総理と、どう整合性が取れるのかという点である。

世界中がそんなことは出来るのかいなと。今再び鳩ぽっぽの同じ轍を踏んでいて、

菅総理の記者会見は海外記者団の前ではなく、日本人記者団と別室で会見を開いた。

裏づけもなく、唐突にホラを吹くのはどうやら民主党々員に蔓延しているらしい。

よく分からない国家だと失笑を買われるのは当然のことであろう。

政権基盤の弱っちい総理に信頼を寄せる各国首脳は皆無であったのは明らかだ。

 

Speedi発表の放射物質飛散予測図 公式発表以前からネットで知られていた

同芯円で決めた浅はかさ 飯舘村で高い線量を計測したのはIAEAの指摘であった

 

米エネルギー省と文科省の合同調査結果

 

菅内閣は当初Speediの発表を誰も知らなかったと嘯いている。

Speediとは文部科学省内にある原子力安全技術センターによって出される、

緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)というシステムのことである。

緊急事態が発生した際に、気象観測情報、アメダス情報と放出核種、放出量等の情報を、

インプットすることにより、6時間先までの希ガスによる外部被曝線量や甲状腺等価線量

などをシミュレーションすることができるものである。

しかも発災当日から一時間おきに、このデータが出されていたのに、

公式的に、この資料が出されたのは二ヵ月後であった。

当然飯舘村などにいた子供たちに内部被爆の恐れがあると言わずばなるまい。

 

一部3月末に公表されたが、あれはリーク以外の何ものでもなかったモノで、

約二ヶ月前、アメリカ軍は3月17日~19日に、飛散マップ作成を済ませている。

従って80キロラインを米国人の避難が勧告されていたのだ。

その秘匿は何だか尖閣諸島の問題と強烈に似ているではないか。

メルト・ダウンの隠蔽やら、こうした情報の遅さや、やることなすこと皆後手後手である。

党首討論会の後で、今日にも菅おろしの最終章・内閣不信任案が出されると言うのに、

こうした危機的状況を逃げ出すわけには行かないと強弁し、飽くまで辞する考えはない。

こうした時期だからこそ、あなたには任せられないと思うのは当然である。

何故なら、今時放射物質の拡散は、我が国だけの問題ではなく、世界の問題だからである。

世界各国から巨額の賠償を求められかねない、由々しき問題でもあるし、

原発を抱えている国家すべてが注意深く見詰めているのである。

 

オーストラリア政府機関の研究所による海洋汚染予測図

 

或いは今後各国とも、原発問題をどう扱って行くべきか、世界で議論が沸騰しているのだ。

weekly誌・「Nature」では時々刻々と毎週注意深く考察され報道されている。

とても隠蔽など出来るはずがないのに、この無能内閣は漸く観念したかのようだが、

悲惨な福島県の被災者を思うと、悪態の尽き放題言いたくなるのが自然だろう。

飯館村にはまだ2,000人の住民が避難していない。牛や馬の養子先を探しているようだ。

私は避難者から頼まれて、櫻塾に犬5頭と猫2匹を引き取った。塾生から可愛がられている。

ロープで縛られ餓死した多くのペットも知っている。ペットだって家族じゃないか。

避難先に何故連れて行けなかったのか悔やまれる。不衛生だからだろうか。

犬・猫専用のちっぽけな屋根つき施設だって作ろうと思えば簡単に作れるはずなのに。

かくも長く不在になる時、ペットはどんなに励ましになることだろう、哀れの極みである。

菅総理の答弁を聞いていると、貴殿には血も涙もないのかと噛みつきたくなってくる。

 

例えば原発事故による内部被爆者の労災を見てみよう。

過去そうした事故によって亡くなられた事例は10件存在する。

最大で190ミリシーベルト、最低で5,5ミリシーベルトでいずれも白血病で亡くなっているが、

現在の政権では、今回年間被曝量の基準を250ミリシーベルトと規定されている。

然も白血病に関してだけ労災が認められているが、あの地獄の建屋に入っている職員の

被曝量を想像すると恐ろしい。何故250ミリシーベルトと断定されたのか不可解。

そして病は白血病だけではないだろう。骨髄腫関係や多数の癌の病があることは明白だ。

過去の事例を無視してまで、本当に労災申請が出来るのか、何の科学的根拠もない。

現地雇用形態の中に居る作業員だって、信頼していない。嘆かわしいほどに程度がある。

 

梅雨空の中にも 多くの花々は さわさわと風にゆれて咲いている

 

視点を変えて菅総理を論じよう。四柱推命というのがある、生・年・月・日により運気や、

人の行動の予測をするものである。中国生まれだが、我が日本で独自に発達した。

我が亡き主人はこれに易学・気学・手相学・人相学を足して、より一層正確なものとし、

彼独自の方鑑帖を科学的に詳細に作成していた。私が一応の後継者である。

 

四柱推命の四柱とは生・年・月・日の、四つの柱のことである。

それさえ分かれば或る程度の運気や運命が分かる。公表されているのは年まわりと月周り。

年は40%、月は30%、日は20%、時刻(生まれた時間)は10%だから、残りは、

菅総理の人相で充分で、彼の運気の推測が出来る。この際これを当て嵌めてみよう。

年は八白土星で、月は三碧木星である。更に人相から推測すると、次のようになる。

 

性格はハッタリ性の典型で明るく繊細で、尚且つリーダーシップもある。相続の相も強い。

仕事は人一倍出来るのだが、お喋り過ぎて、墓穴を掘り易い。人を信用しない性格もある。

頑迷で、恨み型で、裏づけがないことも平気で言う。でも保身性が強いから時として

コロコロと変わり得る。多くの智慧を結集させるのに困難な性格で、宰相の器にあらず。

因みに戦後最も宰相の器があったのは田中角栄、その人である。

 

今回政権延命のために通常国会末にあたる6月末に議会を閉めようとした。

だが超党派(樽床氏や菅氏など)議員の申し入れによって、通年国会を了承したようだ。

当たり前じゃないか!この非常事態に当たりきしゃりきである。シャラクセェ!

これは明らかに延命策の一つに過ぎず、民主党中間派の離脱を恐れただけ。

聞く耳を持たない菅総理は、こうしたねじれ国会を乗り切る方策も度量もない。

谷垣禎一自民党総裁に電話で、電話でだよ!

救国内閣に入って貰えないかと、思いつきでちょいと打診したところ、

電話だけで、大きな局面を直ぐに返事しなければならないとしたら、

自民党役員との相談は当然のこととし、直ぐに返答はし辛いと応えたところ、

あっそうと言い放って、電話を切ったと言う。呆れた果てる申し入れであった。

女の子のふくれっ面と同じ程度なのである。我が家の娘だってあり得ない。

 

おもちゃの風鈴 どんな色にしようかなぁ!

 

今、民主党の菅総理と自民党の谷垣総裁と公明党代表・山口氏と党首討論が終わった。

聞いていたら、やはり菅総理は懲りない御仁らしい。危機感に余りにも乏しい。

現状把握が出来ていない。今夕自民・公明両党は内閣不信任案を出すことが決定的だ。

明日投票されるが、多分否決されるだろう。だが菅内閣が信任されたわけではない。

余りの対応の遅さや、未だに被災者支援が行き届いていない上、民主党内にも大きな

傷跡を残すことだろう。過去の歴史を遡り、こんな無能な内閣はなかったのである。

当然すべての責任は菅総理が負わなければならないのだが負いきれないはずである。

衆議院に多数を占め、大名にでもなっかたのような諸君、いずれは笹の露だろうて。