硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

汝、左様に義の違ひたることを申すか!

2011年06月24日 | エッセイ

真夏の様相 雲凛々と高く 6月というのに39℃を超えたという

 

 

 

汝、左様に義の違ひたることを申すか!

 

 

少年は、学校をさぼって海を見ていた。

宮古の海は少年の夢が詰まっていたからだ。

父と漁師になる約束をしていたが、中学だけは卒業してからなと。

突如、大地震が来て、足許もグラグラして立っていられなかった。

町のほうから、津波が来るから高台に逃げるようにとアナウンスが必死!

少年は商店街の坂道を駆け上がって逃げた。3時20分頃、

振り返ると、突然ウミネコやカラスがびっしりと天空を真っ黒に飛んでいたが、

何やら沖のほうから、飛沫のような、靄のような、暗雲がさすようになり、

あのドス黒い海が坂道を駆け上がって来たのだ。少年は寸での処で命拾いした。

それは浪がやって来たのではない。ドでかい海がやって来たのだった。

 

ハイビスカスの花も咲き 関東の奥は みな39℃を超えたという

 

今日から私たちの仲間が又一人増え、これで10名を超した。全員孤児。

彼らには仲間が要る。そして何よりも愛が要る。彼らはボロボロになってやってきた。

でも、不思議と明るい。こんな大災害で一番先に元気な顔を取り戻すのは、

きっとこうした少年や、子供たちなのであろう。子供たちは、天才である。

どの子も心に深い傷を受けているのに、逆に明るくしている。

生のみ着のままでやって来たこれら子供たちを心からいとおしく思う。

そんな子たちは、係累がいなくなったそぶりを決して見せない。

漁業に就くつもりが、林業継承を最大の目標にしている私たちに、彼らは来た。

それでも構わないと思う。ここで心魂から元気になって貰えればいいことである。

そしていずれ漁業に就くことになっても、私たちは応援し、心から嬉しく思う。

私たち職員全員で、親代わりとし、心底から彼らを補佐し応援して行くことだろう。

健康な森林はやがて清流となり、海へそそぎ、海の豊饒を約束してくれる。

野山と海は一体なのである。

 

内閣不信任決議案否決の時も、菅はペテンをやった。

そして「新首相の下」では、「新体制」の下でとなり、又してもペテンを二度犯した。

日本人である一国の総理が、日本語を危うくし、青年のためによろしくない。

「目途」という字は、決して曖昧に出来る話ではない。

 

夏スミレ (イエロー・ムーンの鉢植え)

 

昨日、菅総理は始めて沖縄に行った。23日は沖縄慰霊の日であるからだ。

アメリカで、2+2会談。普天間基地問題を、辺野古移設と改めて決めておいて、

菅総理は仲井真知事と、そのことを、一切話すことはなかった。

呆れたことによくある雑談で昼食会を終わったと言うから可笑しい。

仲井真知事は食事の時、仕事の話は一切しないことで有名でも、

それでも何故沖縄・普天間基地移設問題を話し合わなかったのか、

イラ菅ならず、こちらが遥かにイライラとしてがっかりする。

伊波普猷の「おもろさうし」を読んだのか、仲宗根政善の「方言礼」を読んだのか、

甚だ疑わしい。沖縄は17世紀に嶋津藩により、平定を余儀なくされたが、

彼らはあらゆる方面に対し、琉球王国は平和的な外交しか持っていなかった。

仲宗根先生は「ひめゆり学徒」とともにあり、戦陣の巷に辟易としたのだったが、

伊波普猷への、鎮魂の歌を心から信じていたのだろう。

訳して申せば、沖縄の自尊心である。

 

「彼ほど、沖縄を識った人はいない」

「彼ほど、沖縄を愛した人はいない」

「彼ほど、沖縄を憂えた人はいない」

 

 

東日本大震災にかまけて、沖縄問題を齟齬にした。その罪だけでも万死に値する。

沖縄の人は日本人の愛国の心をもって、最も勇猛な闘いをし、今まだ戦っている。

本も読まず、究極のポピュリズム一辺倒の、この総理は甚だしく如何なものだろう。

沖縄の人々は対外交において、すべての国々と共に平穏に生きた歴史を知らん癖に。

 

目の前の、「古琉球」の本を前にし、沖縄や日本への憂国の情冷め遣らず!

浅井長政家臣の言葉を、表題の通り、決死の覚悟で贈ろうと思う。

 

「復興庁」が出来るらしいが、今回の震災を、「東日本大震災」と呼ぶのは止めましょう。

「東日本大震災(中黒=・)福島原発災害」と呼称致しましょう。

福島の方々にとっては並大抵なことではないからである。

だって三陸地方と違って、明日が全く見えないのだもの。