凡夫の日常(たんたんぴー日記)

たんたんぴー(キジョラン)は綿毛のついた種です。風に吹かれてどこに飛んでいくやら。淡々坦々にも通じる気持ちです。

阪神淡路大震災20年

2015-01-17 | 日記
 阪神淡路大震災から20年。当日は熊本市に住んでいた。朝TVを点けたら倒壊したビルや高速道路の映像が写っていた。今まで見たことのない悲惨な状況に一気に目が覚めた。当日は延岡へ行く予定がありバスで向かった。バスにはTVがあり地震の映像が流れ続けた。テロップには死者は2人と出ていた。なんでと思ったが死者の確認なんかできる状況でないから死者の数はずーっと変わらなかった。
 地震の6年以前は大阪に住んでいた。バブルが始まったころ不動産を買おうとあちこち物件を見て回ったが神戸方面は選択の対象外としていた。なぜなら近々神戸には大地震が起こると信じていたからだ。理由は多々ある。40年前から神戸は微小地震が群発しており大地震の予兆ではないかと言われていたのだ。さらに調べると神戸は400年毎に大地震が発生している。400年前の地震は豊臣秀吉が大阪城を築城中に発生し石垣が崩れた。生田神社の社殿が崩壊したと記録にある。今回も生田神社の社殿は崩壊した。このことは近しい人には話していた。後日彼らに会ったらよく記憶していて当たったねと。
 この地震は多くの教訓を残した。住居の耐震性を高め家が崩壊しない程度の強度を持たせるべきだ。神戸淡路大震災に耐える住宅は2000年以降に建てられた住宅だ。今は東京に住んでいるが2000年以降の近所建売住宅でさえ地盤強化し基礎と建物を繋ぐ金具が使われている。しかし、建売と注文住宅の耐震性の差は依然として大きい。悪いが近隣の中小企業の建売は手抜きが横行しており、まともな住宅は見たことない。
 被害を大きくした行政。当時の村山首相はノーテンキに重大性に気づかず通常業務。貝原知事も自宅で出迎えを待って何もせず。。さらに貝原は関西電力に早期通電を要求し大火災を招いた。この通電火災で死者の数は膨大に。人災といってもよいだろう。通電の直接責任は関電にあるが責任を追及されたことはない。中越地震では通電するとき通電地域の全ての家の安全を確認してから通電した。ということは貝原のしたことに大問題があったということを認識しているということだろう。