横浜駅の東海道線6番ホームから九州行きの富士、はやぶさ号は発車する。
ブルートレインブームだった小学生の頃に父に写真を撮りたいからと頼んで
横浜駅や東京駅に連れて行ってもらった事がある。
あの時は夕方に上大岡駅から乗った京浜急行がクロスシートの旧600系だった事を覚えている。
その頃から古いものが好きだったので古臭い(誉め言葉)シートと車内がたまらなかった。
地元の路線なのでその前から乗っていたのだが三人兄弟なので
父と二人で出掛けた事があまりなかったので特に印象に残っているのだろう。
横浜駅ホームの先端で緊張しながら待っているとブルートレインが入ってきた。
初めて間近で見る憧れの列車。
大好きなEF65の1000番台はホーム先端立ち入り禁止の辺りに停まった。
機関車前面の写真はこんな状態でしか撮れなかった
(EF65 1113号)
機関車はそのように停まるものだと思い知った。
わずかな停車時間で富士号は去って行った。
ブルートレインが小学生達の間でブームだった頃の話しだ。
出発は始発駅の東京駅からではなく地元の横浜駅から乗る事に意義がある。
甥が大人になって横浜駅のホームで東海道線に乗る時に
今回の旅を思い出して欲しいから。
『横浜駅から九州までの列車があった』
10年もすれば考えられない事になっている。
そして将来、甥っ子の結婚式や法事等で顔を合わせる度に話しに出るのだろう。
「あの頃はまだ横浜から大分に行く列車があって~」
「おじいちゃんが車で近くの駅まで送ってくれたっけ」
懐かしくそんな話しをする時がきっと来る。
話しは逸れたが仕事も予定通りに終わりついに
その日(10月12日の日曜日)を迎えた。
横浜駅のホームまで甥のお母さんが送りに来てくれた。
小さなリュックを背負った子供を連れたその姿はこれから家族で旅行に行く幸せな家族に見えた事だろう。
すっかり暗くなった発車時刻の20分前に横浜駅に到着。
食堂車が無いので夕飯は持ち込む事になるので紀陽軒のシウマイ弁当を買おうと思っていたが甥のお母さんが弁当を作ってきてくれた。
しかし車内で飲むビールにはシウマイが欠かせないので
ホームの売店まで買いに走る。
ホームに設置されている発車時刻案内には大分行きの寝台特急の表示が現れ
構内アナウンスは乗車位置目標の説明を告げている。
駅の時刻表を見ると熱海、小田原といった行き先の中に遠く離れた九州の地名。
その行き先を見るだけで時刻表の中にも「旅」を感じる。
しかしその表記もあと数ヶ月で姿を消す。
寝台特急は何度か乗ったが乗る前のワクワクするような緊張感は相変わらずだ。
列車入線のアナウンスが流れ小学生の頃は貨物用だった電機機関車EF66が轟音を轟かせ滑り込んできた。
あの時に小学生だった私は乗れなかったが
今、あの頃の私のような小学生の甥っ子達を乗せて旅に出る。
横浜駅発車は18:28
あの時の発車時刻と殆ど変わらない
(かつての横浜駅時刻表)
つづく
(って、わざわざ思い出話を書いたり昔の写真を探したりと余計な事をしている
から更新が遅くなるんですな)
ブルートレインブームだった小学生の頃に父に写真を撮りたいからと頼んで
横浜駅や東京駅に連れて行ってもらった事がある。
あの時は夕方に上大岡駅から乗った京浜急行がクロスシートの旧600系だった事を覚えている。
その頃から古いものが好きだったので古臭い(誉め言葉)シートと車内がたまらなかった。
地元の路線なのでその前から乗っていたのだが三人兄弟なので
父と二人で出掛けた事があまりなかったので特に印象に残っているのだろう。
横浜駅ホームの先端で緊張しながら待っているとブルートレインが入ってきた。
初めて間近で見る憧れの列車。
大好きなEF65の1000番台はホーム先端立ち入り禁止の辺りに停まった。
機関車前面の写真はこんな状態でしか撮れなかった
(EF65 1113号)
機関車はそのように停まるものだと思い知った。
わずかな停車時間で富士号は去って行った。
ブルートレインが小学生達の間でブームだった頃の話しだ。
出発は始発駅の東京駅からではなく地元の横浜駅から乗る事に意義がある。
甥が大人になって横浜駅のホームで東海道線に乗る時に
今回の旅を思い出して欲しいから。
『横浜駅から九州までの列車があった』
10年もすれば考えられない事になっている。
そして将来、甥っ子の結婚式や法事等で顔を合わせる度に話しに出るのだろう。
「あの頃はまだ横浜から大分に行く列車があって~」
「おじいちゃんが車で近くの駅まで送ってくれたっけ」
懐かしくそんな話しをする時がきっと来る。
話しは逸れたが仕事も予定通りに終わりついに
その日(10月12日の日曜日)を迎えた。
横浜駅のホームまで甥のお母さんが送りに来てくれた。
小さなリュックを背負った子供を連れたその姿はこれから家族で旅行に行く幸せな家族に見えた事だろう。
すっかり暗くなった発車時刻の20分前に横浜駅に到着。
食堂車が無いので夕飯は持ち込む事になるので紀陽軒のシウマイ弁当を買おうと思っていたが甥のお母さんが弁当を作ってきてくれた。
しかし車内で飲むビールにはシウマイが欠かせないので
ホームの売店まで買いに走る。
ホームに設置されている発車時刻案内には大分行きの寝台特急の表示が現れ
構内アナウンスは乗車位置目標の説明を告げている。
駅の時刻表を見ると熱海、小田原といった行き先の中に遠く離れた九州の地名。
その行き先を見るだけで時刻表の中にも「旅」を感じる。
しかしその表記もあと数ヶ月で姿を消す。
寝台特急は何度か乗ったが乗る前のワクワクするような緊張感は相変わらずだ。
列車入線のアナウンスが流れ小学生の頃は貨物用だった電機機関車EF66が轟音を轟かせ滑り込んできた。
あの時に小学生だった私は乗れなかったが
今、あの頃の私のような小学生の甥っ子達を乗せて旅に出る。
横浜駅発車は18:28
あの時の発車時刻と殆ど変わらない
(かつての横浜駅時刻表)
つづく
(って、わざわざ思い出話を書いたり昔の写真を探したりと余計な事をしている
から更新が遅くなるんですな)
つづきが楽しみじゃ
彩雲さんたちの旅にはどんなドラマが待っていたのでしょう?続きが楽しみです。
当時の時刻表・・・行先:西鹿児島が懐かしいですね。
今や「鹿児島中央駅」と呼ばれ、鹿児島本線は九州を縦断することなく八代~川内を三セクの肥薩オレンジ鉄道が運行し、川内から再び鹿児島本線となる二分割になってしまった。(九州新幹線開通による光と影です)
これでも短くした方なんです(汗
しかし、最初に気合を入れすぎると後が続かないという私の悪い癖が・・・
パパちん号さん
今回の旅はパパちん号の去年の旅に触発されたのが
キッカケです。
>>今や「鹿児島中央駅」と呼ばれ~
え?一度だけ行った事がありますがそんな名前に代わっていたのですか?
>>川内から再び鹿児島本線となる二分割になってしまった。
これは知りませんでした。
遠い昔の事なので記憶にございません。
自分が乗るみたいで(笑
あのEF66のへッドランプが遠くからだんだん近づいてくる、へッドマークが見え、僕らの目の前に青い客車がスベリこんできた~~
あ、A寝台だ、B寝台ソロか?と車両を見ながら~にっこり微笑む~。
ドアが開いた。この開き方は昔から変わらないな!と思いつつ、自分の寝台を探す。~あった、あった、僕の寝床~
~毎回、ブルートレインに乗るたびにこの調子です。これもあと、僅かですか。彩雲さん、素晴らしい旅にしてくださいね!
>>カンチャナブリ・マハチャイの旅編でお願いします。
分かりました。
「バンコクに行きました。いつも笑っていました。おしまい」
以上バンコクレポートでした。
さて富士の続きを書こう♪
三州小僧さん
>>EF66のへッドランプが遠くから~
そうそう!そうですよね。
普通の通勤電車とは異なる列車が近付いてくる感覚は
まさに「特別な急行列車」です。
乗らないけど駅に見に行きたくなります。
こうした記憶は私にもあって、それは70系の一等車のシートです。
そして、もう一度乗りたいなと40年間思い続けてます。
京急旧600系は、私にとっても大好きな車輌です。あのクロスシートもよかったな!
>>貨物用だった電機機関車EF66が
言い得て妙!まさしく同感(笑)
私にとってはEF65の500番台が牽引機としてしっくりきます。
続きを楽しみにしてます!!!
それがある日突然現実のものに。私はうれしかったですね~。
その年の夏、絶対に志望校に合格するからとうそぶいて親を説得し、やっと乗った「はやぶさ」号が、私のブルトレ初体験でした。まだ落成したばかりのロビーカーに、東京駅で真っ先に乗り込んで記念撮影したことを思い出します。目的地は博多。大義名分の太宰府天満宮参りを済ませ、その日のうちに上りの「はやぶさ」で帰ってきました。
なんか66というと今でもブルトレの新顔のような気がしてしまいますが、ついこの間のように感じる交代劇ももう23年前、数えてみればEF65のPとPFの時代を足した年月すら超えてしまいました。はやぶさ50年の歴史の半分近くを走ったことになるんですよね。
デザイン的に見てEF66がブルートレインを牽引することが望ましいと思っていましたが、なぜデビューからかなり経ってから、牽引することになったのでしょう?
ご存知の通りもともとEF66は高速貨物専用機として開発され、実際特急貨物をメインに使用されていました。特急マークの意匠も、「コンテナ特急」という意味だったようで、当初客車列車への充当は考えられていなかったと思います。
ではなぜEF66が急に登板するようになったかといえば、この85年ダイヤ改正から富士・はやぶさにロビーカーが連結されて編成両数が増え、EF65では力不足になったからです。そこでちょうどそのころ貨物列車の削減でもてあまし気味になった下関のEF66が充当されることになったのです。さくら・あさかぜなど、増車にならなかった列車も、運用の都合上EF66に統一されました。ただし所属区である下関を通らない出雲・瀬戸は、今までどおりEF65が続投しました。ちなみに同ダイヤ改正でEF65の所属していた東京機関区も廃止され、移籍先の田端機関区受け持ちとなりました。
もっとも、私もこの経緯を知ったのはかなり後になってからで、当時は単純に「やっぱ66はかっこいいからな~国鉄にも同じ考えの人がいるんだろうな~」などと思っていました(笑)。
詳しい解説ありがとうございます。
66への交代はファンの要望にこたえたのかなと思っていたのですが、大人の事情がありましたか。
あれって特急電車にあるのと同様に特急マークだったんですか。
さまひさんのブログで「ヒゲみたいなのが付いてないEF66」を見て違和感を覚えましたがあれが本来の姿なのですね。
debopacerさん
>>それは70系の一等車のシートです。
まったく知りませんが「いい匂い」が想像できます。
羨ましい~。
そんな思い出があるだけでも幸せですね。
さまひさん
解説ありがとうございました。
経緯が判ってスッキリした感じです。
20年以上昔のこと、山陰のある急行停車駅で、軒先きに下がった列車名と行き先札を眺めていた私の隣で後輩が突然「東京行きがこの駅から出てるのかア」と感嘆したことがあります。
その彼は四国の宇和島出身で都市規模は同じくらいの小さな町(倉吉)に東京とその町を結ぶ列車があることにとても驚きかつ感心、もしかしたら羨ましく思えたのかもしれません。
その瞬間、私は民俗学や柳田国男の物語はこんなところから始まるのか、と思ったものです。
都会と田舎を結ぶ列車は文明文化です。
また一つと消えて行く明治から昭和までの人間のこころや気持ち、そんな断片を拾い集めていきたいものですね。
>>民俗学や柳田国男の物語はこんなところから~
>>都会と田舎を結ぶ列車は文明文化です。
思わずうなずいてしまいました。
>>また一つと消えて行く明治から昭和までの人間のこころや気持ち
そうですね。消えていってしまうのは悲しいですが・・・