サイコロの一点物日記、真央さんと共に!

浅田真央さんを応援します。そして、指原莉乃さんのファンでイコノイジョイも推してます。特に佐々木舞香さん推しです!

悪夢の平成23年3月11日。福島県の復興には、まだまだ皆さんのお力を貸してください。

平成23年3月11日14時46分18秒東日本大震災発生。 頑張れ!東北。頑張れ!福島。放射能の被害の甚大な福島県をず~っと応援します。◆ふくしま復興ステーション

■日本人記者は何をしているのでしょう?! 下げ記事を書いても無駄!すでに“世界の真央”です。

2016年01月14日 00時04分00秒 | 日記と女性アスリート応援
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真央さんを一生懸命応援させて頂きます!(微笑)
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日本のマスゴミにとっては、自分たちの身を守るうえで下げ下げに徹する真央さんの記事ですが・・・
グランプリファイナルの行われたバルセロナでのお話です。
海外では真央さんの復帰を大歓迎する処がつぶさに感じます。
海外のジャーナリスト、マスコミにとっては、「真央さんお帰りなさい」と言う一種のお祭りともとれる歓迎があったようです。
Google翻訳でしか見れないので片言のニュアンスしか伝わりませんがおおよそ真央さんに対して本当に愛おしさを感じる記事に読み取れます。
おそらく、感じた事に間違いないと思いますし、お二人のロシア選手も出て来る事からも真央さんの人柄が伺えます。
全く正反対の記事だったらごめんね!(苦笑)
語学の必要性を痛感しています。(笑)

是非、皆さんもご覧ください。
◆Inside kating。net
http://www.insideskating.net/2016/01/05/features/2015-grand-prix-final-bellissima-bravissima-mao

2015年グランプリファイナル:「最高に美しい、最高に素晴らしい真央!」

Google翻訳ではあまりにも通じない事から”「ときどき黒猫BBS」のまりもさまが訳したものを使用させて頂きます。
まりもさま、ありがとうございます。
ときどき黒猫BBS”まりも”さまより頂戴した翻訳記事となります。

◆それはバルセロナでの2日目の競技の終わりであり、深夜0時の一時間前であり、女子ショートプログラムの後の記者会見が終わったばかりの時であった。-ある熱狂的なイタリア人のジャーナリストが浅田真央に写真を撮らせてほしいと依頼し、彼の携帯電話をそばにいる通訳に手渡した。それから彼は大胆に、親し気に真央の両頬にキスし、彼女を、興奮とともに大きな声で讃えた。「最高に美しい、最高に素晴らしい真央!この写真は僕の母のために撮ったんだよ!」心の底から仰天した様子のプリンセス・真央は微笑んだ―嬉しそうな、率直な微笑みであり、室内の皆がそれを分かち合った。そして、数秒の間は、他の言葉は何も要らなかった。-ただただ、喜び、圧倒されるような喜び、浅田真央を競技の舞台にもう一度迎え入れた喜びだけだった。私達にも、スケート界にも、そして室外にいる全ての母親たちにとっても。

フロレンティーナ・トーン著(ルーマニアの記者の方らしいですね。女性です。)
これは真央の一年間の休養後の最初のグランプリ・ファイナルについての分析ではない。
そうしたことには冷たさや、距離感が底に横たわっているものだ。
これは、実際、私の彼女に対する頌歌なのだ。
この、名古屋出身の25才の驚異的なスケーター、2004年の国際大会でメダルを獲得するところから始まって(ザグレブでのムラドスト杯でのノービス上級クラスで)そして、11年後も(何十というメダルを獲得した末に)スケートは自分にとってなくてはならないものと考えている選手に対しての。

◆彼女は2015年5月18日、自分のウェブサイトに書いた。
「休養中(真央は2014年の埼玉での世界選手権後、将来について考えるため一年の休養を取った)、私はまだ競技で戦えるのではないかと考え始め、競技で最高の演技ができた後に感じてきた充実感や喜びの感覚が恋しくなりました。
それで、競技に復帰しようと思うようになりました。」と。
そして、同じ日に、ロイター通信は、アイスショー「ザ・アイス」についての記者会見に際して、真央がさらに彼女が復帰したいと望んでいるのを説明する様子を伝えた。
「私はソチと世界選手権を私の最後の年にしようと思ってきました。そして、それが終わったら、私はすべてやりつくしたように感じ、もうスケートはできないし、滑りたくもないと思いました。でも、月日が経って、スケートから離れている時間が長くなるにつれて、私は、そう、スケートは私に欠かせないものと感じるようになったのです。」と。

◆・・・そして、真央という人自身がスケート界には必要なのだ。
私に付け加えさせてもらえるならば。
というのは実際、女子シングルの大会では、彼女の休養中、浅田真央のような選手はだれ一人いなかったからだ。
この日本の女性はもちろん、経験や成熟がもたらす有利な点を持っている。
しかし、何よりもまず、彼女には生まれ持った才能があるのだ。
まさに蝶々であり、スケート技術の点で、彼女に勝る選手はいないのだ。
真央とその滑りについて振付師の一人、ローリー・ニコルが五輪シーズンに日本の新聞に語った描写より優れたものはない。
「彼女はまるで何の力も使っていないように氷の上を飛翔するのです。まるで、温かいお湯で温めたナイフでバターを切るように滑らかにね。」特にその比喩が私の心に数か月も残り続けた。
そして、バルセロナの、2015年のグランプリ・ファイナルは、真央が参加した他の多くの競技会でと同じように、彼女の存在は私にとって個人的な特別なイベントだった。
そう、前に書いた通り、少々の時間、少々の文節をジャーナリストとしてよりはファンとして割くのを許してもらいたいのだ。

◆『それぞれの言語はただただ私が言うのを手助けしてくれるの/あなたがどれだけ素敵かを』
浅田真央の演目の美と滑らかさは確かに観客に伝えるのだ―私はテレビの真正面にいたからよくわかっている しかし、読者の皆様も、確かに、このグランプリ・ファイナルでの演技のためにバルセロナにいるべきだった:皆さんはCCIBアリーナに満ちた純粋な興奮を感じただろう。
鳥肌が立ち、そして何より真央が完璧なトリプルアクセルを着氷するたび、まるで観客の全員が彼女と一緒に立ち上がっては腰を下ろすかのようであり、まるで全員が数秒の間、真央の美しい翼をもらったかのようだったのだ。

そして、読者の皆さんは、ローリー・ニコルによって振りつけられたショート・プログラムの宝石のような美のためにそこにいるべきだった:あの驚異的な『素敵なあなた』という演目、真央による本物の歓びの具現とともに。
そして観客はまさしく喜びの悲鳴を上げた。
彼女の戯れるような、コケティッシュな、活発な動きに答えて。
私の心の中で、私は彼女と一緒に踊りさえしただろう。
私はショロム・セクンダの歌詞の一部をつぶやきさえしただろう。
真央が、私も含めて彼女のファンにもたらした影響をそれは的確に述べているように思えたから。
『私は「ベッラ・ベッラ」とか「ヴンダーバー」とか言ってもいいわ それぞれの言葉はただただ私が言うのを手助けしてくれるの/あなたがどんなに素敵かを。』

◆長いキャリアを保つためのアドヴァイス
その日遅く、真央はバルセロナでのショート・プログラムで三位につけたあと、女子シングルの記者会見の間、また、エレガンスの定義そのものだった。
スポーツで長いキャリアを保つために、ロシアの、ともに16才のエフゲニア・メドベデワとエレーナ・ラジオノワに対して何かアドヴァイスをと求められ、真央は最初、微笑んだだけで、何といっていいかわからなかった。
しかし、彼女の笑顔は室内のカメラマンには貴重なものだった。
笑顔は最高の写真になるからだ。

◆数秒後、カメラが立てた雑音(戦場のような)の中で、彼女はその質問をとても真剣に受け取ったのだということを示した。
そして、少女たちに、有益な、実際的なアドヴァイスを与えた。
それはあじけなく、ありふれたものではなかった。
「そうですね、アドヴァイスするというのはとても難しいことです。」彼女は謙虚の塊のように言って、付け加えた。
「沢山練習することは重要だと思います。勿論。でも、怪我をしてしまったら、選手を続けられなくなるかもしれません。私が長いキャリアを続けられることができた一つの理由として一つ挙げられるのは、私が大きな怪我をしなかったことです。そして、もう一つアドヴァイスできることがあるとしたら、彼女たちはまだとても若いですし、今は問題にならないかもしれませんけれど、競技が終わったらストレッチをすること、体を大切にすることが重要だと思います。」
それから彼女はまた微笑んだ。-そして室内のだれもが。
彼女は若いエフゲニアとエレーナにバトンを渡すことに成功した(そして賢明な形で)のだ。

◆「私は本当に真央に憧れています」
エレーナ・ラジオノワについては、そう、彼女はかなりの間真央を崇拝してきた―そして、記者会見の間、彼女はそれをもう一度口にした。
「私は本当に真央に憧れています。というのは真央はこの競技でとても長い間戦ってきましたから。ですから、彼女は私の最高の尊敬の対象なんです。」
もちろん、記者会見の間は二人の少女はロシア語を話し、一人は日本語を話し、ほとんどのジャーナリストは英語か、スペイン語を話す人たちであったから、すぐに理解し合うという余地はないし、通訳の途中で文脈を捕えられなくなる可能性もあった。
しかし真央はエレーナの話が日本語に通訳され、理解すると、彼女の顔を微笑みで輝かせた。
尊敬の念は一方的ではない:その日の始め、ショート・プログラムのあと控えのゾーンでジャーナリストに、真央はすでにこれらの少女の能力と長所を認めていた。
「私は高いレベルの競技会に戻ってきましたから、自分に挑戦し、高く、難しい技術内容を持った若いスケーターたちに負けないようにしたいと思います。」

◆一日後、12月12日は全てが蝶々であった。
真央の衣装の美しい、ラヴェンダー色の蝶々たちは、彼女のフリーのプッチーニによる『蝶々夫人』を表して彼女の肩に止まっていた。
そして、彼女のスケートを見ている間、私自身の蝶々たちも。
浅田真央とともに過ごす時間では感動が満ち足りないということはあり得ないから。
・・・そして、例のイタリア人は全くもって、皆の考えをそのまま言葉にしたのだった。
よく帰ってきてくれました、プリンセス。


でも他国の記者の方がここまで真央さんの復帰を喜んでいたとは、想像は出来ましたが、記事に直面すると、同じ日本人として誇らしい限りです。
それが、分かるのはジャーナリストでなく一般の私たちだと言う事が情けない日本のマスゴミですね。
まぁ~、日本においての報道が存在しません。
すべてマスゴミの都合の良いように捏造された記事です。
もう、信じるも信じないもあなた次第と言う報道には、呆れるばかりです。












































































































動画のご紹介です。動画主様、感謝申し上げます。
何度でも紹介させて頂きますので、何度でもご覧くださいね。(微笑)

★Daisuke&Mao ~ずっと二人で・・


★浅田 真央 ストナ「風邪VSストナ」篇60秒CM


★【ロッテガーナCM「2人の浅田真央」篇メイキング】


★浅田真央が外国のスケート選手を2人羽織で爆笑させる


★【 ECCジュニアCM 2016】浅田真央「子供の頃に身につける」篇(Mao Asada)


★浅田真央、CM撮影で振り付けを提案



最後まで読んで頂きましてありがとうございます。
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コメント (5)
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