週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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諦めるということ

2011-05-21 00:54:48 | 仏教小話

朝起きると喉が痛い。

初期の風邪ならば葛根湯を飲めば回復するのですが、喉の痛みは市販薬では改善したためしがないので、早々に諦めて徒歩3分の林医院へ。

開院の9時前に入りましたが、すでに6人ほどの先客。
10時に予定が入っていたので、少し焦ったのですが、ここで急いでも仕方がないと早々に諦めて、待ち合いにあった雑誌を取りもくもくと閲覧。

診察が終わったのが9時45分で、処方箋の薬を出してもらう時間がなかったので、早々に諦めて次の予定の場所へ移動。

11時過ぎに用事が終わり、薬局に向かい薬を手に入れましたが、抗アレルギー剤が強い眠気を伴うとのことで、その後も車を運転する予定があったので、飲むのを早々に諦めて一時帰宅。

このまま寝てしまいたいところですが、昼食を作らないといけないので、休むのは早々に諦めて調理開始。

ご飯を食べさせ、後片付けをし、昼寝をさせて、その間に夕飯の下ごしらえをして、おやつを作って食べさせ、散歩に出かけ、夕飯を完成させ、食べさせ、後片付けをし、お風呂に入れて、寝かしつけるついでに、ようやく一休み。


…というのが木曜日の出来事です。
諦めてばかりの1日でしたが、たぶんこれは小さな子供を持つお母さんにとっては普通のことなんでしょうね。

さて、この「諦める」ですが、私たちは何かを断念するときによく使います。
仏教において、「諦」は「真理」を意味し、お釈迦さまが最初にお説法(初転法輪)で四つの真理(四諦)を説かれました。

第一は、この迷いの生存は苦であるという現状認識の真理 (苦諦)
第二は、その苦は尽きることのない欲望から生じるという原因究明の真理 (集諦)
第三は、その欲望の滅した境涯が、苦のない理想の境地(悟り)であるという真理 (滅諦)
第四は、その悟りにいたるためには正しい8つの修行方法(八正道)に依るべきという真理 (道諦)

お釈迦さまの説かれた仏教の根本教説は、苦悩の原因を自身の飽くなき欲望、そして真理を明らかにみることのできない無知から生じていると指摘します。

何かのせいにして、仕方がないから「諦める」と、悔いが残ったり、愚痴が出たりするものです。
物事の道理や因縁を「あきらかにみる」、それが本来の「諦める」です。
明らかに見た上で諦めたのならば、現状を受け入れやすく、悔いも後悔も残りにくいはず。

というわけで、現状を受け入れたうえで諦めつつ、薬を飲んで早めに寝たのですが…。
朝起きると喉が痛いし、熱っぽい。
昔なら、薬を飲んで寝ればすぐに治ったのに……、これが歳を取ったという理由ならば、それはなかなか諦め切れないなぁ。



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