昨日5月21日は親鸞聖人がお生まれになられた日です。
親鸞聖人は1173年にお生まれになられ、本願寺では毎年5月21日にご生誕をお祝いする法要『降誕会(ごうたんえ)』をお勤めしています。
降誕とは、仏や菩薩、そしてお釈迦さまがこの世にお生まれになられることを言い、日本では各宗派の宗祖の誕生もこう言います。(「降誕」についての過去記事→こちらをクリック)
さて、私たちも【誕生日】などで何気なく使っている【誕】という字ですが、この字だけを辞書で引いてみると面白い意味が一番最初に出てきました。
「大げさな嘘を言う。でたらめ。」 (『大辞泉』)
誕生というと、とてもめでたく喜ばしいことのはず。
それが嘘・でたらめと言われると、なんだか複雑な気持ちになってきます。
しかしながら、最乗寺の山門の前に建つ、山号の彫られた石碑の裏にある聖徳太子のお言葉を思い出すと、その意味がスッと入ってきました。
「世間虚仮 唯仏是真」 (嘘・偽りのこの世にあって、ただ仏のみ教えだけが真実である。)
私たちは、それぞれに、それぞれの真実を持っています。
だから、真実は一つではありません。
人の数ほどある真実は、本当の真実ではなく、ご都合主義の真実です。
自分の都合によってコロコロ変わる真実は、結局のところ嘘・偽りのもの。
そのような世界に生まれる、それが誕生ということなのではないでしょうか。
親鸞聖人もまた、この世界をこう言っておられました。
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」 (『歎異抄』)
すべては空言・たわ言で真実などありはしない。
ただ阿弥陀さまよりたまわった、お念仏だけが真実である。
嘘・偽りの世界に、お念仏というただ一つの真実を伝えるため降りてきた下さった…、だからこそ「誕生」といわず「降誕」といい、この尊いご縁が長きに渡って喜ばれてきたのです。
という話は前置きでして、昨日の5月21日は宗祖降誕の日であると同時に、最乗寺初参式の日でもありました…が、申込みゼロ(泣)
参加できない理由をお尋ねすると、近くにいる孫は娘の子で、嫁に出した手前、娘婿の両親の意見も聞かなくてはならないとか、同じ理由で宗派が違ってしまうとか。
なかなか現代的な問題ですが、これがお宮参りなら話はスムーズなんでしょうね。
しかし、これに挫けず、長期的に働きかけていこうと思っています。
個別でも承りますので、どうぞお気軽にお問い合わせくださいませ。
最新の画像[もっと見る]
- YouTubeで永代経法要 2年前
- YouTubeで永代経法要 2年前
- YouTubeで永代経法要 2年前
- 合掌キットカット 3年前
- 明けましておめでとうございます 3年前
- 明けましておめでとうございます 3年前
- 元旦は修正会があります 3年前
- 寺報の発送 3年前
- 寺報の発送 3年前
- 寺報の発送 3年前