外国の要人が来たとき、陸上自衛隊の特別儀状隊が空港などで整列して歓迎しますが、このとき礼砲といって大砲を撃ちます。もちろん空砲で実弾は使いませんが、なぜこんなことをするのでしょう?実は「あなたに敵意はありません」というメッセ-ジです。昔の大砲は先込め式といって、火薬と実弾を弾の出口つまり筒の先から入れていました。ですから1発撃つと、大砲の中は空になります。つまりすぐは使えない状態になります。それが「貴方に向けて弾はうちません」というしるしになるのです。これが、世界各国の共通のプロトコルになったのです。
アフリカの草原を駆け抜け、ライオンの追求を振り切るシマウマは速いはず。しかし競馬場でシマウマをみたことはありません。これはなぜでしょうか。多分持続力の問題でしょう。ところで、マラソンの選手と競馬馬はどちらが速いかというと、フルマラソンのコ-スなら断然人間のほうが速いそうです。
2酸化炭素の増加による地球温暖化現象が注目を浴びていますが、これは人間が、せっかく固定化している炭素を空中に逃がしてしまうからです。この時、2重、3重にもミスをしています。植物が炭酸同化作用でせっかく固定化した炭素を人間は、ごみ焼き場などで重油など、これも植物が固定した炭素を使って空中に放出しているのです。この馬鹿さかげんといったらありません。木や草は成長に任せて放置するのが一番です。切って枯らしてしまえば大気中の炭酸ガスは固定化を中止します。その上燃やしたりしたら又大気中の炭酸ガスの増加につながるだけです。せめて燃やすことは避けるべきです。邪魔ならサハラ砂漠においてくればいいのです。建設現場で出る木材のごみをサハラにおいてくればいずれはサハラも緑になるのです。
昔から雷の多い年は豊作といいますが、ご存知ですか?これは雷により空気中の窒素が電気により酸素と化合し、固定化されて雨となって田んぼに降ってくるからです。そもそも雷が無かったら窒素は有機化されないので生命体そのものも発生しなかったことを思えば雷はご先祖さまのようなものです。
福岡県の南部は有明海に面していて、河が注ぎ込むところは豊かな漁場です。その河口付近では、魚の、流れの最も強いところに逆らって泳ぐという習性を利用した面白い漁法があります。河底に50センチぐらいの深さの穴を掘りその穴の上流に立ち、板で水を勢い良く川下に押し出すのです。しばらく続けます。すると川下の魚がこの流れに逆らい溯上してきます。しかし、板があるので仕方なく、その手前の穴に入るのです。そこで、その穴に入った魚を捕まえるのです。
山芋は、夏はありません。なぜでしょうか?それは全てツルにあるからです。山芋は春になると芽をだして、地下の芋の栄養分を全て出し切ってツルを伸ばし、養分を蓄える準備をします。それで夏の間は地下には芋の形の穴だけがあるのです。夏の終わりころから地下の根に養分をため始め、冬には立派な芋が出来ています。山芋の芽が出てくるところに麦の粒をおいておくと麦の芽が出てくるころそこをほればいもが取れるのです。ただ、ものすごくやわらかいので折らないようにしてください。また猪にもご用心!
惑星が新しく3個増えたというニュ-スがありました。地球も含め惑星達は太陽の重力に引き寄せられますが、円運動をすることによりやっとこさ太陽に引きずり込まれるのを免れています。この重力とは何でしょうか。これは「空間」の性質に関連があります。空間は、物体の容器ではなくプリンのような弾性体です。透明なのでカンテンのようなものといったほうがよいかもしれません。弾性体なので、この中に、例えば地球のような物体を押し込むと、その周りの空間を圧迫し歪を作ります。又地球に限らずとも、例えばリンゴもその周囲の空間を歪ませます。すると地球とリンゴの2つの物体を共通に包むひずみ曲線が出来ます。2つの低気圧などが接近するとひょうたんのような形の等圧線ができるのと同じです。このときこの曲線は最短の値を選択します。自然界の「安定」の法則です。最小値の法則といえるかも知れません。この曲線に締め付けられて2つの物体は接近していくのです。これが重力です。したがって、真空中ではタンポポの綿毛も鉛の玉も同時にストンと落下します。
今度生まれてくるときは~あんたなんかにゃつまずかないわ~などと云うわけではありませんが、転ばぬ先の杖でこのブログをお勧めします。ともかく一般相対論の理解の糸口になりますから。円運動という加速度運動しているシャトルのなかで慣性系のようすが見られるので加速系=慣性系、そして慣性系は相対的、だから加速系も相対的、それ故一般相対性が確認できるという一連のレトリックが手助けいたします。
このブログは一般相対論の大衆化です。今までの錆びた表現に油をさして、回転しやすくします。それが「重力場における加速系=慣性系」ということと「慣性系=相対的」及び「加速系=任意の系」ということです。これにより加速系も相対的となり「任意の系が相対的」という一般相対性の要求が確認されました。加速系はたった1つの場面、重力場でその絶対性をうしない「相対的」というレッテルを貼られてしまいました。かくして一般相対論が誕生しました。これで相対論は茶のみ話できるようになりました。