原理は2つ以上は間違い

重力場の存在は加速度系の絶対性を否定した

人間関係

2007-01-31 21:40:35 | 自然科学
 人間関係の破壊
人間関係は築くものとだけお考えの方はおられませんか?これは必要に応じて破壊すべきものでもあります。最近「いじめ」が話題になっていますが、これとて破壊を恐れない子ならいじめはなくなります。いじめる側は人間関係を強要してきます。これを破壊しつづけるならいじめる側は諦めざるを得ません。人間関係は「問題」でもあります。問題とは「今までのやり方では希望する結果が得られないこと」です。大自然や機械などは人間でないので変化しないのですが、人間は相手によって自分を変えたり偽ったりするので人間が人間に対するときはいつも「問題」になるのです。つまりおなじやり方は通じないのが人間関係です。このようなあやふやなものを後生大事に抱えていることそのものがストレスになります。取捨選択すべきもの、それが人間関係です。

面白いのがいいのか

2007-01-30 22:15:34 | 自然科学
 世の中おもしろくなくてもかまいません
何か面白いものないか?と探すのはいいですが、なかなか難しいものです。その代わりおかしいものは沢山あります。これは「体の調子がおかしい」のと「漫才などがおかしい」のと2つあります。これらは違うようで実は同じなのです。そのココロは「共に正常でない」というところです。少し脱線しました。今は何か「世の中はおもしろくあるべきだ」とのメッセ-ジが強くなりすぎてはいませんか?おもしろがるかそうでないかは個人が決めればよいので、統一メッセ-ジで束ねようとすることが「おかしい」のです。面白い世の中はだれがそう解釈するのでしょうか?それより個人がもっと「好き・嫌い」をはっきり表現して相手につたえるのが大切です。

銀河鉄道

2007-01-29 22:55:19 | 自然科学
銀河鉄道の夜
今、宇宙空間に2台の列車A,Bが並んでいます。(図参照)Aはその中もふくめ重力を感じない汽車です。Bは重力を感じる汽車です。Bは架空の固定点に綱で固定してあります。ある時突然列車の後方に地球が出現したと仮定します。(現実には不可能ですが)と同時に列車Aが地球と反対方向に発車します。加速度は地球の重力の加速度9.8m/(毎秒・毎秒)と同じです。一方列車Bは重力を感じるので車体は固定してありますが、中の物、たとえば軽い空の缶ビ-ルの缶や重いジュ-スの瓶などが同一の加速度でもって地球の方向に向かい、電車の後方の壁にぶつかります。実はAの中でも全く同じ光景が観察されています。電車が発車するときは一斉に同じ加速度で全ての物が転がります。それ故Aのような加速系は重力場でも作り出せることになりました。これを「等価原理」といい、一般相対論の突破口になったのです。重力場こそ一般相対性理論の誕生の舞台なのです。

覚せい剤

2007-01-29 17:19:46 | 自然科学
 像に覚せい剤
東南アジアの山林地帯ではゾウは主要な働き手です。ブルド-ザなどは入れない場所でも材木などを運搬したりします。ところが、このゾウに覚せい剤を打って夜も眠らせず仕事をさせるゾウ使いがいるそうです。もう体はぼろぼろで死を待つしかないゾウが沢山いるとか。人間の勝手とはおそろしいばかりです。太平洋戦争時も戦闘機のパイロットは居眠りをしないためアヘンを使うこともあったようです。依存症にならないならいいのですがかなしいかな人間は言語があるために依存症になります。以前猿などは言葉がないので依存症にならないとかきました。たとえば「たばこ」という言葉は喫煙者にとってはすぐイメ-ジをつくりだします。それで禁煙ができないのです。猿はことばでタバコをイメ-ジできないので禁煙?できるのです。もちろん禁煙しようなんて考えもしないでしょうが。

帰りました

2007-01-29 09:44:21 | 自然科学
 帰りました
久しぶりに九州に帰りました。新幹線の建設工事があちこちでされていて風景が変わりました。だいぶ前のことですが長崎の雲仙普賢岳が噴火してしばらくのころ帰郷したときも驚きました。有明海の向こうに見慣れた普賢岳を見たつもりだったのですが、なんとなくおかしいのです。小さい時の記憶が今の風景を受け入れないのです。後になりやっと気が付きました。噴火で山頂の形が変形してしまい過去の記憶と合わないのでした。それほど噴火の威力はすごかったのでした。溶岩ド-ムなどという新語ができ、海をへだてた卑弥呼の国までその姿をとどけたのでした。新幹線が走るようになればまた新しい風景と音がこだますることでしょう。

赤ん坊の手首を

2007-01-26 22:25:20 | 自然科学
 赤ん坊の手首をおとす
どこかはいえませんが生活が苦しいので乞食をせざるをえない民族があり、そこでは人々の哀れみを乞うために手首を切り落とすそうです。それも赤ん坊の手首をです。まだ痛さや悲しみが分からないうちにそうしておくのだそうです。その子は一生乞食をするのですが、その子にとってそれが幸せであるというのです。鮮血によごれた紅葉のようなかわいいてのひらが持ち主をさがしているようです。

相対性の本性

2007-01-25 00:23:56 | 自然科学
 相対性のつぶやき
「いかなる系も基準系になることはできない」「どの系が動いていて、どの系が止まっているかということをきめることができない」というのが相対性です。今までは例えば宇宙空間でロケットを発進させたりすると体がシ-トに押し付けられるので、体は空間に対してじっとしていようとするからシ-トに抵抗するのだと思われていました。つまり静止した空間があり、その空間に体は従順に従い静止しようとする性質があると考えられてきました。これは「慣性の法則」と云います。静止している体を加速度運動させるには無理やりシ-トで押し出すしかないと思われていました。ところがそんなことをしなくてもすぐ目と鼻の先の地球表面の重力場でロケットの中と同じ光景が見られるのです。全ての物体が同じ加速度で地面に向かい落下していきます。着地後は地面に押し付けられ続けます。あたかも体はシ-トに押し付けられるがごとく。重力場では「慣性系そのものが加速度落下運動しているようなもの」なのです。このことはまさにスペ-スシャトルの中を見れば納得できるでしょう。重力場は慣性系と加速系を併せもつのです。これを等価原理といいます。そこで慣性系と加速系は同等です。慣性系は既に相対的であることが分かっていますのでそれと同等である「加速系も相対的」存在になります。このようにして重力場の存在のおかげで加速系の絶対性はもろくも崩れ去りました。力を受けているから加速度運動しているなどと決められないのです。貴方も椅子にすわっているだけでも椅子から上向きに力をうけているではありませんか。また力をうけていないからといって加速度運動していないとはいえません。綱の切れたエレベ-タでは地表と相対的に加速度運動しているではありませんか。中では誰も力はうけていませんが。絶対的存在はありません。

相対論ははにかみ屋さん

2007-01-23 22:30:58 | 自然科学
 相対論は引っ込みじあん
相対論は遠慮深く、はにかみやで内気なものですから、目立ちたくないのです。こうやって100年間も世間の片隅でモジモジしているのです。確かに、日常生活に相対論が必要かと聞かれると、まあカ-ナビぐらいなら相対論が少し顔を出すくらいです。そしてその証拠となるものも余りにもわずかであり、じかに人間が肉眼で「フムフム」と確認できるものでないのでみんなあまりかまってくれないのです。水星の近日点の移動とかスペクトルの赤方偏移とか重力レンズとか云ってもかなりの「オタク」でないかぎり「なに?それ?」といわれるのがおちですから。しかしです。相対論は隅っこの科学ではなく余りにも大きいので向こう側に感じるだけなのです。孫悟空が金斗雲でとび回ったのがニュ-トンまでの科学なら相対論は仏さまの掌なのです。つまり相対論と手を組まないと本物にならないのです。はにかみ屋の相対論をスポットライトの真下に連れ出そうではありませんか!

何事も最初が肝心

2007-01-22 23:02:10 | 自然科学
 最初から銀メダルを狙うバカはいない
オリンピックで参加する選手は全員が「自分こそ金メダル」と思いスタ-トラインにつくのです。相対論も完全だから皆の目標になるのです。理科を勉強し、相対論は分からないからやらないというのは、最初から銀メダル狙いになります。最初が肝心なのです。そこが基準になりますから。戦術の間違いを戦闘で取り返すことは出来ません。作戦のの間違いを戦術で補うこともなりません。戦略のミスを作戦でカバ-することも叶いません。要するに最初が肝心です。最初に最も高度のものを据えることが肝要です。

モデルが存在する

2007-01-21 22:58:33 | 自然科学
相対論に使われる数学について
相対論は科学ですから数学的モデルが必要になります。相対論以前の科学ではそれまでに完成していた数学モデルを運んでくればよかったのですが、相対論の場合は数学モデルを作りながら理論の研究がなされたといってもよいでしょう。それまでのユ-クリッド幾何学でなく「非ユ-クリッド幾何学」が必要となり、また、物理量の記述もテンソルという「縦成分の変化が横成分の変化に影響する」数量が必要になるのです。綾取りは伸び縮みのしない紐でやりますが、これはベクトルのようなものです。これに対して「蜘蛛の巣の糸」はそれ自体が伸び縮みしますのでベクトル以上のレベルで物理量の記述が出来ます。このテンソルは行列という概念を通じて「射影幾何学」にもつながり、非ユ-クリッド幾何学が関連してくるのです。そこでは「2点間の距離」を「測地線」という方程式で表現すると任意の系で記述するときに同じ形式になるので「任意の系が同等である」という一般相対性の数学的根拠になると述べられています。これは測地線の方程式を決めるときに「一般的な」座標変換を前提にしますので、モデルを現実の現象に合わせて作るという形です。ですから任意の系からみて形式が保存されるのは当たり前です。しかし、大切なことはそのようなモデルが矛盾無く構築できるということです。