原理は2つ以上は間違い

重力場の存在は加速度系の絶対性を否定した

千夜一夜物語

2007-05-30 21:42:37 | 自然科学
重力場はアリババの妻
アラビアンナイト物語に出てくる「アリババと40人の盗賊」の内容です。アリババは盗賊団の財宝を盗み出しますが、盗賊の子分に跡をつけられ、家にこっそりと印をつけられます。これをみていたアリババの妻は子分が引き上げて行ったあと同じ印とあちこちの家につけて回ります。それで盗賊団がアリババの住む町にきたのですが同じ印が沢山あるのでどれがアリババの家かが判らずとうとう引き上げて行きアリババは命が助かりました。地球の重力場もアリババの妻と同じです。電車などが発進するとき電車の中は「加速系」とみなされますが、この電車の中の風景がそっくり重力場で再現できるのです。重力場は全ての系に「相対的」という印をつけたのです。これではどれがホントの加速系かがわかりません。そこでかろうじて確認できるのが「何か他の物体に対して」加速系であると言うことです。ですから「相対的に加速度系である」ことになるのです。空間に対して加速系であるとは云えないというのが「一般相対論」です。

相対性のバケツ

2007-05-27 21:31:19 | 自然科学
身近な相対論
相対論は日常生活の中に確認できます。図をご覧ください。地球上に水の入ったバケツがあります。重力のおかげで水は安定してバケツに静止しています。一方宇宙空間に太郎さんがいて紐の先に水の入ったバケツをつけて振り回しています。これは円運動であり「加速度運動」と云われます。こちらのバケツの水も安定してこぼれたりしません。このことから加速度運動と重力場に違いが無いことがわかります。電車の発進加速も同じ加速度運動です。これらを総合してみるとどれが加速度運動なのか決められないことになります。つまり全ての系が同等であるという「一般相対性」が確認できるのです。重力場の存在は加速度運動さえも「相対的」存在に塗り替えてしまいました。

キリクと魔女

2007-05-27 18:27:34 | 自然科学
キリクと魔女
きれいなアニメ-ションです。小さな少年キリクが魔女と知恵比べをしながら村人を助ける物語です。絵がすばらしく綺麗でした。

月にむら雲花に風

2007-05-27 00:17:48 | 自然科学
月にむら雲花に風
雲のある月夜の晩に風が雲を流している時、月に見とれていたら動いているように見えたのは月で、雲は止まっているように見えた遥か昔の記憶はございませんか。雲の合間をぬって月が流れていて、ハッと我に帰るとまた雲が流れはじめる。このように運動は相対的なものです。流れる川の水も橋の欄干からぢっとみつめると動いているのは自分のような錯覚に陥ります。現実の物理現象も実は誰が動いているのか決められないのです。

達磨さん達磨さん

2007-05-24 21:45:01 | 自然科学
動いたのはテレビではなかった
阪神淡路大震災のニュースで何度も放映された場面それはNHKの神戸放送局の室内のテレビがド-ンと横に跳ばされるシ-ンです。しかしです、実際にテレビは横に飛ばされたのでしょうか。いいえ、実はテレビはじっとしていたのですが、建物が横にいきなり動いたのです。テレビは達磨落としの達磨になったのです。天井のテレビカメラは建物に固定してあったのであたかもテレビが動いたような錯覚にとらわれるのです。このことは相対論理解に大変参考になります。建物は「テレビが動いた」と感じるし、テレビは「建物が動いた」と感じます。共に「相手が動いた」という主張が一致します。これが相対論です。

空間はしらんふり

2007-05-23 22:06:49 | 自然科学
空間には運動の痕跡を残せない
 空間はその名のとおり空しいもので、物体の運動を記録できないのです。ですから「太郎さんが歩いて移動した」というときは「地面」にという対象となるものが必要です。宇宙空間のある場所から違う場所へ移動したという表現はできないのです。例えば金星に向かって1万キロ近づいたなどという表現こそが意味を成すのです。しかも「相互に近づいた」となります。金星がじっとしていてロケットが一方的に近づいたとは決して云ってはなりません。全ての運動が相対的なのです。金星がじっとしていたという証拠はどこにも見当たらないからです。空間には痕跡を残せないので動いていたともいえないのです。空間はしらんぷりを装います。


男の持ち物は男物

2007-05-22 22:37:03 | 自然科学
男の持ち物としての相対論
先日、新聞でワイキュ-ブの社長の趣味が相対論と紹介してありうれしくなりました。実にかっこよいと思いました。持ち物といっても何も目に見えるものだけでなく目に見えなくてもその人を豊かにできるものは「持ち物」としても良いと思います。電車やロケットの発進時の加速度現象は地球などの重力場で再現できるのではたしてどれが加速度系なのか決められなくなります。このことは全ての座標系を解放し、任意の系が同等となることを裏づけます。ロケットが発進したといってもそれはあくまでも近くの星などを軸足にして初めて確認できるのです。「空間に対して」という表現は一切使えないのです。流れ星でさえ「空間を流れていった」という表現は間違いなのです。「自分に対して通り過ぎて行った」としなければなりません。

空間に目盛りなし

2007-05-21 22:58:36 | 自然科学
空間に目盛りは付いていない
一般相対論は、「空間は物体の運動を表す舞台には出来ない」ということを述べます。(それもそのはずで空間は物質と反応するからです)鉄の鍋に鉄の塊を入れて加熱し、中の鉄を溶かそうとしても先に鍋が溶けてしまうでしょう。空間で物体の運動を表現しようとするには他の物体を使う必要があるというのが一般相対論です。他の物体との相対的関係において等速直線運動をしているとか加速度運動しているとかが意味を成すのです。「空間に対して云々」はのれんに腕押しなのです。とにかく空間の頼りなさ、あやふやさが暴露されるのが相対論です。