大学時代にお世話になった先輩の結婚式に出席いたしました。
゜+。:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+゜オメデトウゴザイマス
・・・別に先輩の結婚式だけではないんですけど、式場を歩いていて「神前挙式場」を見つけると
「唯一絶対の神様も丸くなったモンだなぁ」
とか、
・牧師さん(←神父さんかも。「賛美歌」というとプロテスタントのイメージがあります。が、牧師/神父さんの格好やセリフから、カトリックかプロテスタントかを判断できない時点でアウトだな・・・)がガイジンさんで、適度に英語を交えながら喋ること
・賛美歌の歌詞がワザワザ古文調であること
・賛美歌に神々しい旋律が当ててあること
は形式でもって神性を演出する舞台装置であって、イエスの説いた実存哲学とは本来無関係だな、とは思いつつも、日本人はこういう形式に「弱い」よなぁ・・・
とか。
(今回はメインキャンドルに点火されたときの炎の色がリチウムの炎色反応だなぁ・・・というのとかもありました)
(´_ゝ`)
基本的にワタシは罰当たりであり、不道徳です。こんな人間を結婚式に呼んでも甲斐がありませんよ。
( ´゜д゜)ノシ(´゜д゜`)ヾ(゜д゜`)
とは言っても、ワタシは上で述べたようなことを思わずにはいられませんでした。
青年の哲学は、人生をより良いものにするためのモノだと言います。
壮年の哲学は、世界をより高みへ引き上げるためのモノだと言います。
老人の哲学は、死をより意味深いものにするためのモノだと言います。
では「子供の哲学」とは何か?それは、森羅万象が、こんなふうにできていることへの疑問でしょう。
そしてそれは、いわゆる「大人」が理解していないのに、黙って受け入れている種類の疑問であることがしばしば見受けられます。なぜならば、その疑問を持ったとしても、その問いが解けたとしても、世の中の役に立たない種類の疑問である場合がほとんどだから。教会式と神前式が並列することに疑問を持っても、
「でもそんなのかんけーねー」
で終わってしまうんですよね。
新郎と新婦が青年の哲学に一つの答を出したその目の前で、子供であるワタシは子供の哲学に一人耽っていたわけです。
子供の特徴として、行動の原理が道徳的善悪ではなく、自分にとっての快/不快という次元で決定される、というのもあります。
・
・・
・・・
式の最後で先輩(新郎)が答辞を述べる際、感極まって泣いていました。ワタシはそれを見て
「ガラじゃないなぁ・・・」
と思いました。
そんな時、椅子から降りて遊んでいた子供が視界に入りました。
゜+。:.゜ヽ(*´∀`)ノ゜.:。+゜オメデトウゴザイマス
・・・別に先輩の結婚式だけではないんですけど、式場を歩いていて「神前挙式場」を見つけると
「唯一絶対の神様も丸くなったモンだなぁ」
とか、
・牧師さん(←神父さんかも。「賛美歌」というとプロテスタントのイメージがあります。が、牧師/神父さんの格好やセリフから、カトリックかプロテスタントかを判断できない時点でアウトだな・・・)がガイジンさんで、適度に英語を交えながら喋ること
・賛美歌の歌詞がワザワザ古文調であること
・賛美歌に神々しい旋律が当ててあること
は形式でもって神性を演出する舞台装置であって、イエスの説いた実存哲学とは本来無関係だな、とは思いつつも、日本人はこういう形式に「弱い」よなぁ・・・
とか。
(今回はメインキャンドルに点火されたときの炎の色がリチウムの炎色反応だなぁ・・・というのとかもありました)
(´_ゝ`)
基本的にワタシは罰当たりであり、不道徳です。こんな人間を結婚式に呼んでも甲斐がありませんよ。
( ´゜д゜)ノシ(´゜д゜`)ヾ(゜д゜`)
とは言っても、ワタシは上で述べたようなことを思わずにはいられませんでした。
青年の哲学は、人生をより良いものにするためのモノだと言います。
壮年の哲学は、世界をより高みへ引き上げるためのモノだと言います。
老人の哲学は、死をより意味深いものにするためのモノだと言います。
では「子供の哲学」とは何か?それは、森羅万象が、こんなふうにできていることへの疑問でしょう。
そしてそれは、いわゆる「大人」が理解していないのに、黙って受け入れている種類の疑問であることがしばしば見受けられます。なぜならば、その疑問を持ったとしても、その問いが解けたとしても、世の中の役に立たない種類の疑問である場合がほとんどだから。教会式と神前式が並列することに疑問を持っても、
「でもそんなのかんけーねー」
で終わってしまうんですよね。
新郎と新婦が青年の哲学に一つの答を出したその目の前で、子供であるワタシは子供の哲学に一人耽っていたわけです。
子供の特徴として、行動の原理が道徳的善悪ではなく、自分にとっての快/不快という次元で決定される、というのもあります。
・
・・
・・・
式の最後で先輩(新郎)が答辞を述べる際、感極まって泣いていました。ワタシはそれを見て
「ガラじゃないなぁ・・・」
と思いました。
そんな時、椅子から降りて遊んでいた子供が視界に入りました。