そして時の最果てへ・・・

日々の雑感や趣味の歴史についてつらつらと書き並べるブログ

F1が・・・!?

2007-04-09 00:12:13 | 雑感
地味にF1ファンです。

今シーズンもF1が始まり、既にオーストラリアグランプリは終わってます。そのオーストラリアグランプリ、用事があって見られませんでした。

そして今(4/9の0時)、自分にとって今年初めてのF1の放送を見てます。

・・・

オープニングがなんともしょぼい!!!

去年のオープニングは「殿堂」をイメージして歴代チャンピォンの胸像が並ぶ荘厳なイメージだったのに対して、今年のはアメコミ調でスゲ~安っぽいんですけど?

元亀元年の信長

2007-04-08 20:34:10 | 歴史
尾張、美濃を統一し、伊勢に息子を送り込んで支配。足利義昭の上洛を手助けする名目で南近江の六角を蹴散らし、畿内を制圧した織田信長。一般的に圧倒的勢力を保有していたように考えられていますが、その実態はどんなものであったか。元亀元年の金ヶ崎の戦い直後の様子をちょっと詳しく検証してみます。

まず支配国内の事情から。

尾張と美濃はほぼ完全に管理下においていましたが、伊勢は直接的な被官化が進まず、国人勢力がまだまだ幅を利かせている状況でした。
南近江はさらに酷く、上洛戦で旧六角領を獲得したとはいえ、実質的には六角勢を山間部に追いやっただけであり、六角の残党によるゲリラを抑え付けるためにはかなりの大兵力を常駐させる必要がありました。
こんな状況ですので、越前攻めの動因基盤は尾張・美濃両国だけだったと考えてよいでしょう。この時期の信長にとって領土の拡大は、国力の向上ではなく負担の増大にしかなっていないということです。

続いて外交関係。

南近江には六角の残党、畿内には三好三人衆が蠢動を続け、越前から朝倉がちょっかいをかけてくる・・・という状況でしたが、東海道を徳川、北国街道を浅井という同盟国が守備し、中仙道の武田とは小康状態を保っていましたので、一応国内の地盤固めに専念できる・・・ハズでした。

そんなわけで信長は朝倉討伐のために京都を出立、琵琶湖の西を通って若狭から敦賀へ攻め入りました。

敦賀郡はわりとすんなり制圧していますが、これは朝倉義景が仲の悪い朝倉景恒を見捨て、戦線の幅が最も狭くなる木ノ芽峠に防衛ラインを引いた、というのが原因だと思いますよ。最初から守るつもりはなかった。

で、信長はがら空きの右翼を浅井長政に託してたんですが、その長政が寝返った!まあ、せっかく織田と朝倉の関係を取り持ってくれた長政の頭越しに戦争おっぱじめた信長が悪いと言えばそうなんでしょうね。とにかく面目を潰された浅井家は、一発逆転にかけて織田軍を奇襲。それに呼応した反信長勢力が各地で蜂起することになります。

敵対勢力に対応するため主力を転進させなければならなくなった信長は、越前での戦線を支え続けることが不可能と判断、京都に取って返しました。

朝倉に支援された浅井勢によって東近江は制圧。信長は京都から美濃へ帰還するために伊勢を経由しなければならない事態となります。
さらに京都から伊勢の連絡線も六角の残党に脅かされます。
美濃と京都のかすかな連絡線を維持するため、強力な機動兵力を分散配置しなければならないという、最悪の事態に陥っていたわけです。

この時期の信長の最優先課題は美濃と京都の連絡線である近江の安定化になります。この目的のために浅井の南下を阻止しなければならない。かくして姉川の戦いは発生したのでした。

次回は姉川の戦いを詳しくみてみる事にします。

「何を?」と問いただしたい

2007-04-03 21:06:06 | 雑感
この間映画館へ行ったら、2枚の映画のポスターが並んで貼られていました。

「僕は妹に恋をする」
      ↓
「それでもボクはやってない」

'`,、('∀`) '`,、

素晴らしい2hitコンボでした。

あれから10年

2007-04-02 23:11:18 | 会社
会社に行きますと、玄関の桜が咲いていました。

4月だなぁ・・・

と、ここで冷静に考える。

ワタシは25歳、今年で26歳だから、中学卒業から10年も経つ

・・・過去は剽悍な馬の如く駆け去っていきました。目まぐるしく世界が変わる現代において、ワタシは10年前から身長や年齢というパラメーターぐらいしか変わっていない。

紙よりも薄い人生を送ってきたことを悔やみつつ、大切なものを無くしてから気付く人間は大概において愚か者であることを痛感しました

いや、微妙に「純」じゃないでつ

2007-04-01 18:45:53 | 雑感
セレブすぎるガンプラ(3000万円也)
ギズモード・ジャパン



ガンプラの価値がわからない人間なんですが、とりあえず純プラチナ製、3000万円のガン「プラ」だそうで・・・

(・ー・)ン

>頭部には0.15カラットのダイアモンドを埋め込んで高級感アップしていますが・・・(中略)

純プラチナ製じゃない!!!

・・・え?そこは突っ込むところじゃないですって?

>次回はもちろん純金で作った百式になるに違いありません。

それは見たい気がする。
(´_ゝ`)

「リョウ」読了

2007-04-01 10:41:13 | 歴史
この記事を「歴史」カテゴリーに入れるべきか悩んだんですが・・・。

「リョウ」というマンガを読みました。「マーガレット」に連載されてたような少女マンガです。「一応」源平合戦を舞台にしたお話ですので、歴史カテゴリーに含めました。

以下ネタばれ注意です。

高校生の女の子・りょうのもとに平安時代からタイムスリップしてきた長髪のイケメンの武蔵坊弁慶が現れます。で、りょうに「お前は牛若丸である」と告げます。

本当の「りょう」は7歳の時に事故で死んでおり、同時に突然現れた女の子を「りょう」の代わりとして育てた・・・という隠された過去を聞いた「現在の」りょう、つまり源義経が平安時代へ戻っていきます。その時りょうの幼馴染の少年・葵も同行します。

イケメンの弁慶と相思相愛になったりょう(義経)は、「平氏を討伐して平和な世になったら結婚しよう」と約束します。途中記憶喪失や二重人格になったり、平清盛の孫・平維盛に心が揺れたりといろいろありましたが、平氏を討滅することに成功。

これでようやく結婚できると思っていたところ、りょう(義経)の兄・源頼朝が妻・政子を喪って茫然自失。勢いで妹であるりょう(義経)に手を出そうとします。

で、りょう(義経)一行は平泉に逃走。追ってきた頼朝によって葵と弁慶を殺されてしまいます。

りょう(義経)は弁慶との間の子に「葵」と名付け育てていたところ、息子の葵ともども現代にタイムスリップ。・・・といっても葵はりょう(義経)より6年早い時代にスリップしていました。

りょう(義経)が葵を探すと、既に葵(息子)が養子として育てられて6年。息子を取り戻せなかったりょう(義経)は、「りょう」という7歳の少女と出会い、「りょう」を事故から救うためにりょう(義経)が身代わりとなって死んでしまいます。

・・・最後の場面、高校生になった葵(息子)が「りょう」に写真を見せます。
「これが俺の本当の両親らしい」
その写真は現代で出会ったりょう(義経)と弁慶の写真でした。
「俺の本当の母親、『りょう』に似てるだろ?」


'`,、('∀`) '`,、

いや~、㌧じゃってますねぇ。ワタシのようなガチガチの歴史ファンではこんな発想絶対にできません。凄すぎます。

源氏が負けた戦い(石橋山の戦いなど)が描かれていない、倶利伽羅峠の火牛の計、屋島の戦いの的当て、壇ノ浦の戦いの八艘跳び、安宅関での勧進帳など名場面が書き漏らされている、佐藤継信をわざわざ女性にした意味がなかった、静御前をまったく使いこなせていないなど問題点は多数ありますが、そこは少女マンガということで口にするのは野暮でしょうね。ワタシの評価は75点。世界観についてこられる自信がある方なら、読んで損はしないと思いますよ。