中国の豆腐製品の1つに豆腐乾がある。豆腐を強く圧縮して水分を取った、薄く小さい四角形あるいは長方形のもので、中国各地にあるようだ。私が初めて豆腐乾を口にしたのは、上海の唐怡荷が送ってくれた蘇州の鹵汁(luzhi)豆腐乾と言うものだった。色は黒く見たつきはあまり食欲をそそるものではないが、食べてみると甘くて非常にうまく、すぐに気に入ってしまった。その後、2005年に安徽(Anhui)省の黄山に行った時、黟(Yi)県の関麓 (Guanlu)村で、そこの有名な豆腐乾と言われるものを食べた。ごく小さな店で作られている何の変哲も無いものだったが、出来たてのそれはなかなかうまかった。
この写真の豆腐乾は私が好きだと言ったものだから西安の李真がいくつかくれたものである。
左側は四川の成都のもので、ひりひりして辛い麻辣(mala)味。中央は陝西省のもので腊汁(lazhi)豆腐乾とあるから燻製肉の味か。右側は重慶製で香鹵(xianglu)味とあるから醤油味だろうか。
四川の豆腐乾。それほど麻でも辣でもない。よく噛んでいると味が出てくる。このまま食べてもうまいが、料理の材料に使うものか。
医師から文学・史学の道に入った北京生まれの趙珩(Zhao Heng)は著書「中国美味漫筆」(青土社)で「豆腐乾について」という1章を設けて、各地の豆腐乾について薀蓄のあるところを披露している。この文の出だしはこうなっている。
「豆製品」と言う名称はこの2、30年間に流行してきたもので、この漠然としたよび方は、独特の特色のある豆腐乾[豆腐を布で包み、香料を加えて蒸しあげたもの]についていえば、実のところきわめて艶けしである。豆腐乾は中国人が発明したもので、中国人の特許品でもある。遠くアメリカ、ヨーロッパまで渡り、およそ中国人のいるところでは、さまざまな豆腐乾を買うことができるようである。
彼によると、豆腐乾にはお茶請けなどにしてそのまま食べるものと、野菜や肉とともに調理するものとがあるらしい。私が初めて食べて好きになった蘇州の鹵汁豆腐乾にも触れていて、彼も大好きで間食にしていたそうである。豆腐乾としては高いものだったようだ。
この趙珩の文の最後は、彼が幼い頃に毎年2、3回、家に訪れてきた老いた尼僧の想い出で、その尼僧は手作りの非常に美味しい豆腐乾をいつも手土産に持ってきたという。その文はある雪の夜に訪れた尼僧の帰っていく姿を描いて終わっているが、なかなか情趣がある。
この写真の豆腐乾は私が好きだと言ったものだから西安の李真がいくつかくれたものである。
左側は四川の成都のもので、ひりひりして辛い麻辣(mala)味。中央は陝西省のもので腊汁(lazhi)豆腐乾とあるから燻製肉の味か。右側は重慶製で香鹵(xianglu)味とあるから醤油味だろうか。
四川の豆腐乾。それほど麻でも辣でもない。よく噛んでいると味が出てくる。このまま食べてもうまいが、料理の材料に使うものか。
医師から文学・史学の道に入った北京生まれの趙珩(Zhao Heng)は著書「中国美味漫筆」(青土社)で「豆腐乾について」という1章を設けて、各地の豆腐乾について薀蓄のあるところを披露している。この文の出だしはこうなっている。
「豆製品」と言う名称はこの2、30年間に流行してきたもので、この漠然としたよび方は、独特の特色のある豆腐乾[豆腐を布で包み、香料を加えて蒸しあげたもの]についていえば、実のところきわめて艶けしである。豆腐乾は中国人が発明したもので、中国人の特許品でもある。遠くアメリカ、ヨーロッパまで渡り、およそ中国人のいるところでは、さまざまな豆腐乾を買うことができるようである。
彼によると、豆腐乾にはお茶請けなどにしてそのまま食べるものと、野菜や肉とともに調理するものとがあるらしい。私が初めて食べて好きになった蘇州の鹵汁豆腐乾にも触れていて、彼も大好きで間食にしていたそうである。豆腐乾としては高いものだったようだ。
この趙珩の文の最後は、彼が幼い頃に毎年2、3回、家に訪れてきた老いた尼僧の想い出で、その尼僧は手作りの非常に美味しい豆腐乾をいつも手土産に持ってきたという。その文はある雪の夜に訪れた尼僧の帰っていく姿を描いて終わっているが、なかなか情趣がある。
ちなみに、今の中国の字体では乾は干となっています。
お写真では何だかビスケットのような・・・
保存にはどこの国も色々知恵を絞っているんですね。