六枝特区郊外に四印(Siyin)ミャオ族の村を訪ねた。その村がどこにあるのか、なかなか分からず探し回ったが、道路のそばにある民家の住人に教えられてその家の前の脇道に入り、それをたどって行くと行き詰った所の斜面に小さい村落があった。
ちょうど通りかかった婦人に尋ねて、四印ミャオ族の村であることを確かめて村に入った。細い道を登って行くと民家があり、その一軒でガイドの馮彦が女主人らしい婦人と交渉して、ちょうどかまどの前で家事をしていたその家の娘が民族衣装を着けてくれることになった。娘は少し陰気な感じで17、8歳のように見えたが年齢は聞かなかった。
四印ミャオ族の呼称は、その衣服の胸の部分に円形の模様が4つ印されていることに由来するとのことで、かつて抗争した明朝に帰順した印だということだった。娘が着て見せた衣装には前後と袖に円形の図形と四角い図形とを組み合わせた模様が染め抜かれてあったが、四印ということは分からなかった。
この家の中は非常に暗く明かりはなかった。電線は引いてあったから電灯もあるのだろうが、外が明るいうちは使わないのかもしれない。その近くのいくつかの石造りの民家を道から眺めたが、どれもとても貧しいという印象だった。
ちょうど通りかかった婦人に尋ねて、四印ミャオ族の村であることを確かめて村に入った。細い道を登って行くと民家があり、その一軒でガイドの馮彦が女主人らしい婦人と交渉して、ちょうどかまどの前で家事をしていたその家の娘が民族衣装を着けてくれることになった。娘は少し陰気な感じで17、8歳のように見えたが年齢は聞かなかった。
四印ミャオ族の呼称は、その衣服の胸の部分に円形の模様が4つ印されていることに由来するとのことで、かつて抗争した明朝に帰順した印だということだった。娘が着て見せた衣装には前後と袖に円形の図形と四角い図形とを組み合わせた模様が染め抜かれてあったが、四印ということは分からなかった。
この家の中は非常に暗く明かりはなかった。電線は引いてあったから電灯もあるのだろうが、外が明るいうちは使わないのかもしれない。その近くのいくつかの石造りの民家を道から眺めたが、どれもとても貧しいという印象だった。
写真があると、良くわかりますね
みんな貧しかった。
中国はこれから発展していくんですけど、
重金属や化学物質で河川や水の汚染が進まないように・・・
先進国日本が教えてあげなくては悲劇が起こりそうですね。
病気に苦しむ人びとを見るのはもうごめんです。
反面、北京や上海の発展振りは目覚しく、行くたびに驚かされます。でもそのような都会にも農村から流入した人達が非常に増え、ここでも貧富の格差が大きくなっています。
農村では確かに生活は貧しいのですが、子ども達は明るくて人懐っこく、大人たちも素朴で、見送ってくれる時の笑顔にはいつも心が和みます。