旧い卒業生のK君の古希祝いのパーティーに出席した帰り、参加した同期のI君、U君と一緒にタクシーに乗った。I君は西宮市内の北部の、かつては「西宮のチベット」などと呼ばれた山あいの、冬には寒天作りをしていたほど寒冷な地区の出身で、今もそこに住んでいるが、町興しのためにいろいろ熱心に活動している。そのことで市の担当課の職員たちとも連携しているようだが、それについて「市の姿勢もずいぶん変わりました。丁寧に聴いてくれます」と言った。するとU君が「上から目線ではだめだから」と言った。「上から目線」については、たまたま次男に紹介されて、それに関する本を読んでいたので「上から目線って最近はよく言うのか」と尋ねるとU君は「そうですね」と頷いた。
私が読んでいるのは、榎本博明『「上から目線」の構造』(日経プレミアムシリーズ)だが、今よく言われているらしい「上から目線」を分かりやすく解説している。この本の序章にいくつか例が挙げられているが、これはその一つ。
もっと過激なやりとりが行なわれている場に、たまたま遭遇したことがある。部下の電話対応が悪かったため、お得意先の担当者を怒らせてしまい、仕事をキャンセルされてしまったということのようだった。
「なんてことをしてくれたんだ。この損害はいくらになると思う?とても個人で弁償できる額じゃないんだよ」
「すみません。向こうがあまり横柄な態度だったんで、ついキレてしまいました」
「とりあえず上司に報告しにといけないから、始末書を書いてくれ。いろんな相手がいるけど、どんな相手でもお客さんを怒らせちゃダメだ。何を言われても聞き流せばいいんだ。分かったか。もうこんなことにならないようにしてくれよ。いいか」
「わかってますよ、あの時はついカッとなって自分を失っちゃいましたけど、理屈は言われなくてもわかってます」
「ついカッとなっちゃダメなんだ」
「わかってると言ってるでしょ。その上から目線がムカつくんですよ。ミスして落ち込んでる部下に、よくそこまで追い打ちを掛けるようなことができますね」
私が上司の立場だったら、こちらのほうがキレてしまって怒鳴りつけてしまうだろうと思った。こんなのは欠陥社員ではないか。
「上から目線」は、目上の者や上司、先輩について言えることもあるが、目下の者が、上司や後輩、場合によっては同輩からそれを感じ、不快に思ったり言ったりすることがあるようだ。上に挙げた例は後者だが、思っただけでなくそれを面と向かって口に出して、それが上司であってもなじるというのはよほど屈折した性格なのだろうが、この本を読んいくと、どうも特殊な例ではないようだ。
この本では「上から目線」について、心理学的に分析していて、第一章は「なぜ『上から目線』が気になるのか」、第二章は「『上から』に陥りがちな心理構造」で、ここはなかなか面白く、考えさせられる。最終章は「『上から目線』の正体」で結ばれている。
私が過去に関わったある上司はいつも、大方の者に対して「上から目線」で物を言っていた。在職中なら上司と部下の関係があるからまだしも、退職して一市民になってもその調子は続いたので、いつまで上司のつもりなのかといい気持ちはしなかった。在職中ならともかく、職を離れたら、よほど親しい関係でもない限り丁寧語を交えて話すものだが、その人にはそうところがなかった。私にはいつまでたっても「おい、○○君」だった。
最悪なのは県会議員や市会議員という連中だった。私は職務上、市会議員に接することがよくあったが、大方の議員の口のきき方や態度は横柄そのもので、鼻持ちならないものがあった。しかし I君によると、近頃は議員達も、だいぶ態度が変ってきたそうだから、やっと「公僕」たる者は「上から目線」ではいけないと、あたり前のことに気づき始めたのだろうか。すべての議員達に期待はできないが、一部であってもいいことだ。
上に挙げた本はまだ最後まで読んでいないが、挙げられている多くの例を見ると溜息が出るようで、やはり今の社会には人をいびつな考えにしてしまうようなものがあるように思われる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます