中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

命日

2013-02-28 09:49:33 | 身辺雑記

 2月28日、妻の命日です。平成11年、1999年に逝きましたから、今年で14年になります。14年と言えば生まれた子が中学生になる年月で、思えば長い歳月なのですが、それが過ぎ去った今は何か短かったようにも思います。 

 この14年間、妻のことを思わない日はありませんでした。妻は私にとってはかけがえのない優しい存在でしたし、息子達には良い母親でした。40年の結婚生活の間には、多分にわがままなところがあった私は、妻に対して不機嫌な態度を取ったことも再々あり、妻も口答えしたこともありましたが、寂しそうに黙っていることが多くありました。今その妻の顔を思い出すと、私の気ままな態度が恥ずかしくなります。もし今妻に会えるなら、嫌な思いをさせたことを思い切り詫びたいと思います。 

 スキルス性胃癌であることが分かった時には、妻の余命はあまりないと医師から告げられました。それでも予告よりは少し長く生きたのですが、1年近くの闘病生活の間愚痴をこぼしたことは一度もありませんでした。本当に静かで辛抱強かったその時の妻の様子を思い浮かべると、心から愛おしくなります。逝く前の日の夜には苦しみだしたので安静剤を注射しました。この処置をするとそのまま覚めることはないと医師から言われたのですが苦しんでいる様子を見るに忍びなかったので承知しました。妻はそのまま眠り続け翌日の午後に息を引き取りました。何もことばを交わすことはありませんでした。聞こえなくてもせめて耳元で「ありがとう」と言えばよかった、きっと妻には届いただろうにと、それだけは今も悔やまれます。 

 先日大腸のポリプを切除してしばらく安静にした時に、妻がいてくれたらとしみじみ思いました。これから先、いつまで生きられるかは分かりませんが、いつまでも妻の思い出と共に生きるのだろうと思います。 

 妻が逝ったとき、長男は社用で外国に出張していましたので、臨終には立ち会えませんでしたが、帰国の飛行機の窓から満月に近い月を眺めながら、月と潮の満ち引き、それと人の死との関係が言われることを考えて、「ああ、おかあさんはもう死んだのだろうな」と思ったそうです。母親が大好きだった長男のその時の悲しみが分かるように思います。 

 毎年の妻の命日は、私にとっては妻への尽きることのない感謝の日になっています。今日一日は妻の在りし日のいろいろな様子を思いながら過ごします。

 

 

 


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