大阪市が構想しているスーパー特選校2校のうち1校を、市長の意向で市長の母校を選んだというのにも呆れる。「路地裏の裏」まで知っているというのは彼一流のはったり的な物言いだろうが、このような学校を創ることの賛否はともかくとして、決めるに当たっては慎重な調査が必要ではないか。「せっかく市長になったんだから、それぐらいやらせてもらいたい」に至ってはばかばかしくて言うことばもない。それにしても新聞各社は「客観的」に記事にするだけで批判も何もしないのは物足りない。以前あるブログに「マスコミを使って安上がりに世間の注目を集める才能は、まさに天才的としか言いようがない」とあったが、マスコミも彼の発言を伝えるだけの存在に成り下がったのかと情けなく思う。
橋下氏は発言したことに批判を受けると強引に反論しまくる。ふつうの人間なら、ためらうことでも止まらない。自信過剰の口説の輩だ。
彼の頭の中には公と私ということがどのように区別されて存在しているのか疑問に思う。府知事時代にサッカー・ワールドカップ(W杯)で日本代表選手として活躍したガンバ大阪の遠藤保仁選手に「感動大阪大賞」を贈った際、府庁内の知事室で自分の子ども3人を遠藤選手に引き合わせたことがあった。子どもたちは一緒に記念写真に収まったり、サインをもらったりしたという。橋下氏は「知事になると、子どもを自由に連れていけない。これぐらいは府民に理解してもらえる」と言い、記者会見で「公私混同ではないか」と問われると、「知事職が(プライベートと仕事を区別しにくい)公私混同で、僕の子どもは一般家庭とは違う制限を受けている。個人ではなく、政治家のファミリーと見てほしい」と、よくわからないことを言い、「サインがほしいほかの子どもと比べて不公平では」との指摘には、「その子どものお父さんに知事になってもらい、(制限を受ける)苦しい親子関係に耐えてもらうしかない」と反論した。まったくああ言えばこう言うで呆れるばかりだが、弁護士上がり(むしろ「崩れ」か)とはこういうものかと思ってしまう。
こういう人物がリーダーとして期待されたり、人気があるというのは大阪という土地柄、大阪人の性格かと思っていたが、今ではかなり全国的な傾向らしい。マスコミがもてはやすことにも一因があるのだろうが、私には嫌な風潮に思われる。