「快走爛漫Ⅱ」

アウトドア大好き人間です。 (since2005.10) 

胆振東部地震支援

2018年09月18日 21時44分53秒 | 徒然

 時間経つと薄れてしまうのでこの辺りで備忘記録します。

  (あくまで私感備忘のため言い回しや表現、 掲載画像等、 他意は無し。   ご理解のほど)

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 ボクが勤める会社、 東日本全社挙げての支援体制を組んだ。

 第一陣として各県とも8名くらいの体制で総勢100名、 車両(災対車と機材車2台づつ)50台近くで出発。

   本州にいるときは新宿本社の災害対策室直下の指揮命令系統に従い行動、
   渡道後は北海道対策本部の指揮下に入り各県それぞれ自身の安全第一で行動した。

 9/7(金) 宇都宮を15時出発し高速道路で新潟入り、 新潟港からフェリーで渡道。
 

   何回かバイクツーリングでここから渡ったことはあるが仕事では初めて。
   ここのフェリー乗船場に会社の災害対策車 総勢30台以上集まっています。
   自衛隊や他の活動車と一緒に一般の旅行客から写真撮影攻め、  「圧巻、 スゲー」 と言われたり。

 V8ランドクルーザー(機材搭載)で乗船
 

 乗船後も関係部署と連絡を密にし情報交換。    (眠れず・・)

 朝、秋田港に寄港し秋田チームと合流。   (ココでも情報交換)
 

 津軽海峡    景色
 

 ご覧あれが竜飛岬北の外れと。。
 

 懐かしいですね。
 

 苫小牧港に着岸寸前、  故障で未稼働の 「苫東厚真火力発電所」 が見えました。
 

 フェリー乗船者のほぼ1割の旅行者を除き 9割方支援会社の方たちだった。
 

 自衛隊、 国土交通省、 建設会社、 運送会社、 電力、 通信、 水道、 他多数。

 全員下船時は緊張の面持ちだが日頃の訓練や自分たちの仕事に誇りを持った輩ばかりで何とも頼もしい光景だった。

 

 宿泊場所(ウチの会社の前線基地)である千歳駅近くのビジホにイン後 開店少ないお店で夕食。
 

 案の定 品数は少ない、   それでも食べられるだけありがたい。

 翌日から支援行動開始。
 

 震源地の厚真町周辺で主に活動した。  (避難所への機材設置や待機、会社施設の現場調査確認等)

 

 むかわ町役場
 

 ココもバイクツーリング時 役場に隣接している道駅 「むかわ四季の舘(今は避難所)」 で休憩し
 富良野入りしたものです。   (こういった形で再訪するとは思ってもいなかった)

 この日は安倍首相が激励に来るとかで受け入れ態勢等していた。    (それって大変な稼働なんだがねえ)
 

 当然ボクらは避難所内で食べることはせず駐車場で自前の食べ物で対応。
 
 (雨の中なかなか沸かない湯、 それでもこの手のやり方には登山で慣れているので何のことはなし)

 この辺りもバイクツーリングで何回か走った所。      まさか仕事で来るとは・・。
 

 目的の場所へ移動中ちょっと休憩
 

 少しは気が休まりました。。
 

 キタサンブラックかなー。
 

 この日最後の場所はココです。
 

 山崩れがあった現場から一番近い避難所。      (ココでは言葉が出なかった)

 ココでもこんな感じで夕食を。
 

 回りにいる自衛隊の皆さんたちは自分たちで作った大きな炊き出し食事を食べていた。

 岩手県警から。
 

 こんな光景は当たり前。  全国各地から支援に来られています。

 

   我々のクルマも一般車通行止めを通行許可していただき最奥避難所に入り活動しました。
   空には2~3機のヘリコプターが右往左往していた。 (流木でダムが出来たと報道していた)
   水も出ない、 風呂も無し、 寝るのはダンボールベッド、 高齢者ばかりの避難所です。 (泣)

 最終日です、  二陣と交代し帰ります。
 

 千歳駅。   お世話になりました、 もう多分来ることはないと思われます。 
  (バイクツーでもココにピンポイントでは来ないだろうなあ)
 

 新千歳空港。    この日からお土産物屋も全店再開したとのこと。
 
  (行きはフェリー、 帰りは飛行機、 早いです)

 苫東厚真火力発電所とその遠く向こうが厚真町。
 

 千葉手賀沼上空か、 そろそろ着陸です。
 

 無事着陸
 

 その後新幹線で宇都宮の会社へ活動内容結果報告
 

 2018.9.14(金) 21時    無事に自宅帰着。


   ※写真はもっと沢山撮ったが皆さんの迷惑にならぬよう影響の無い範囲でUPしました。
   ※全県とも災対車✖2台を現地に残置してきた(有事を想定し)ので別途取りに行く必要あり。
 
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 ■考察

 帰宅後の報道を見る限り、 良い場面しか報道していないように感じる。
 水は出たとしても家屋が無くなって今なお避難所生活をしておられる高齢者の皆さん、
 遺族の方たちの心中はいかがなものか、 これからも何らかの形で応援していきます。

 以上です。




 



 
 
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