23日、24日と団地祭りでした。盆踊り、スイカ割り、消防車の放水による水遊び。
小さいながら、子ども神輿、大人神輿、子ども山車、があり、30数年続いている。
子どもたちには、楽しさいっぱいの2日間だ。今では、世代交代して、孫たちが来て楽しんでいる家も多い。
それで、今年は、10年ぶりぐらいにめぐってきたフロア委員の順番。
当然、祭りのお手伝いが組み込まれている。
主に、来賓への料理つくりだ。
「家で主人のためにも、こんなに一生懸命、お料理したことないのに」と、笑わせる人。
集中して、楽しい作業ではあったが、2日間、朝8時30分から午後まで、こまごまと働く。
役員の方たちに比べたら、何ほどのこともないはずなのに、どっとくたびれた。
そう、そう、その間に地震があり、祭りがしばし中断しました。
当区では、市川などと同じく震度5だったそうな。
ニュースも見る暇もなくいたら、Hさんと娘から、お見舞いメールがはいっていた。
返信する元気もなく、次の日をむかえた。
翌朝、娘から電話。「心配していたのに」と、すっかりあきれられた。
Hさんにもやっと、市川の共通の師の無事を返信できた。
2日間くらいの忙しさで、グタッとしている私と違い、84歳の現役、日々更新の先生は、
「ふたつの締め切りも仕上げて出し、大伴家持もあと2~3日で、あがります。毎日、院生のように、過ごしていましたよ」と。
このお忙しさこそが、先生の元気の元なのでしょう。
永遠にこの日が続くかのように、ちんたらちんたら仕事しているわが身をおおいに恥じました。
「今は、このいっとき」しかないというのにね。