黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

同潤会十条普通住宅 #01

2010-07-04 07:41:08 | ・同潤会アパート
前回まで同潤会のアパート、
三ノ輪と上野下をアップして来たので、
ついでに同潤会が手がけた一般の住宅も
アップしようと思います。

同潤会は趣のある国内初期の鉄筋アパートで有名ですが、
もともと関東大震災で壊滅的な打撃を受けた東京を、
住宅の側面から復興させようと発足した同潤会は、
震災直後の1924 (大正13) 年に、
木造の一般住宅を大量に建設しています。
そしてこれらは「普通住宅」と呼ばれましたが、
震災後突貫工事で造られたバラック状態の「仮住宅」
に対して付けられた名前です。

普通住宅は赤羽、大井、十条、西荻窪、砂町など、
今では23区内ですが、当時としては郊外と呼ばれた地域に、
建設されたそうです。
多くの普通住宅は既に解体されていますが、
十条の普通住宅は、今でもその多くが残存しています。
Mapion



Mapionを見てもお分かりの様に、
小さな家が密集していますが、
このエリアがかつて同潤会が普通住宅を建てた住宅地です。
今では、その多くが建て替えられてはいるものの、
エリアに入ると、そこかしこに
当時の住宅を元に手を入れた建物が散見できます。



普通住宅はメゾネットタイプの家屋も多かったらしく、
この建物等はその名残を残している様に見えます。
今となっては、どこまでがオリジナルかは
なかなか判別が難しいですが、
それでも細い路地を歩くと、
現代とは異なる街の空気が、今でも感じられます。



十条の普通住宅を見て感じるのは、
その建物の規模のわりに、造りが凝っている事です。
もっと大きな木造住宅になれば、
母屋、お勝手、書斎などを複雑に造っているものは見ますが、
この規模の木造住宅の場合、
これまで都内各所に残る木造住宅を見て来た、
いくつかの記憶と照らし合わせる限り、
外周を矩形に造ったものが殆どです。
このあたりに、細かいところまで気を配る、
同潤会のスピリットが反映されているんではないでしょうか。



中には、1階の一部を店舗として改装して、
使っている住宅もあるようです。
埋め込みガラスの看板がいい味をだしています。



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2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (一犯人)
2011-04-20 05:12:20
同潤会アパート  素晴らしい、日本遺産と言えるのではないでしょうか。
そこで、江戸川アパートへ、私は赴きました。 そこは、都会の聖域であり、威風がありました。 感動し、事務局へ行き
「貸家はないか」問いました。

するとそこに居た オッサンが、「あ~~~~~~~~~~~~~~~」と呆れたようにうな垂れました。
オバハンも、こちらを睨み付け、「貸家なんぞありません」
と言い放ちました。

これはもう許せません。  都会の聖域に邪者が住む。 もうあの方々は亡くなられたのでしょうかね。
いくら建築が素晴らしくとも、人の心が無いようではしょうがありませんわなあ。w

この事実は、どんどんネット上に載せて行きます。

同潤会アパート 同潤会アパート 同潤会アパート 同潤会アパート 同潤会アパート 同潤会アパート
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▼一犯人さんへ (KLO @ 廃墟徒然草)
2011-04-21 00:46:44
> 同潤会アパート  素晴らしい、日本遺産と言えるのでは

まさにそう思います。

それにしても、管理事務所の人の対応は、
いただけませんね。
返信する

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