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黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

長崎さるく #06 丸山遊郭跡4

2009-04-14 16:02:56 | 長崎さるく
前回までアップして来た丸山遊郭。
今日は丸山の話で面白いな、と思った事を2、3。

◆茶屋と揚屋◆

太夫などの遊女が出張する茶屋と揚屋の違いは、
一般的には料理を作れる場所かどうか、
(解りやすく言えば揚屋は料亭、茶屋はケータリング)
だったらしいですが、
丸山の場合は遊女屋に付随してあった料亭を茶屋、
そして独立した料亭を揚屋と言ったそうです。

丸山にあった茶屋は、以前の記事でアップした
「引田屋」の「花月」と、
丸山最大規模の「中の筑後屋」にあった「中の茶屋」
の2軒だけだったそうです。

◆長崎衣装◆

もともと海外との交流をずっと続けた長崎には、
海外からの織物がたくさん流入し、
市内の人の衣装は相当華美だったそうです。
「長崎衣装」とまで言われたその服は、
長崎奉行から華美禁止令が出る程だったそうで、
これにはびっくり。
勿論最もゴージャスだったのは丸山の遊女たちだったそうですが、
彼女達への制限はなかったそうです。

江戸末期、踏絵の時に店先に出てくる遊女の衣装は
ことさら絢爛豪華だったらしく、
それみたさに多くの見物客で賑わったそうです。

◆花街文化◆

明治に入ると遊郭は貸座敷、遊女を娼妓と改称、
明治後半から昭和の前半にかけて、
料亭の台頭とともに芸妓を中心にした
花街文化へと移行して行ったそうです。

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