黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

長崎さるく #07 大徳寺跡

2009-04-15 01:39:19 | 長崎さるく
前回までアップした丸山花街。
ぐるっと一周してこの「長崎ひとりさるく」シリーズの
最初の記事の場所へ戻りました。

最初の記事の一番最後の画像の奥に写る階段。> Mapion
これは「忍び坂」と呼ばれ、
表門から堂々と帰ることをはばかった、丸山で遊んだ人が、
ひっそりと帰った坂道だそうです。

坂の先には大きな楠を祀った楠稲荷神社があり、
その奥にかつてあった寺の名前だけが残る、
大徳寺公園が広がっています。



公園の中腹にある「梅ヶ枝焼餅」の店「菊水」の
大正5年(1916)築の木造建物が、
一気にタイムスリップさせてくれます。
明治20年(1887)に販売を開始した梅ヶ枝焼餅。
当時は3軒あったそうですが、今ではこの1軒だけです。
梅ヶ枝焼餅は、餅と言っても一般的な餅程弾力はなく、
また饅頭の皮程やわらかくもない、
程よい腰のある素朴な衣に上品な味の餡が入ったスゥイーツで、
一番近いのは鯛焼でしょうか。
でも今まで食べた事のない食感ですね。
是非行かれてみてはいかがでしょうか。
庭先の藤棚の下で食べられます。



菊水を先に行くと、
「梅ヶ崎招魂社並同墳墓地跡」の碑と砲弾のモニュメントがあります。
明治開幕の決め手となった戊辰戦争で戦死した藩士を祀った、
招魂社がもともとこの地にあったようです。

更に奥へ進むと梅香崎(これもうめがさきと読みます)天満宮があります。
1600年代後半の創建と言う由緒ある神社で、
その後大徳寺がこの地に移転すると、大徳寺の守護神社として機能し、
大徳寺が移転した後もこの地の鎮守として現存する神社のようです。



綺麗な本殿は別にあるのですが、
本殿の奥、本来神殿がある位置に、現在では廃社が残っています。
少し右に傾いている様に見えると思いますが、
実際ピサの斜塔なみに傾いています。
左から押すと、ドリフのセットの様に、
右へペッちゃんこに崩れそうです。



神殿にしては大きいので、もともとこれが本殿だったんでしょうか。
それにしても回廊の抜け具合、蔦の絡み具合、
かなりきてます。

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2 Comments

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Unknown (R.H.)
2009-07-08 12:22:36
”御土産ニハ箱詰メモ致シマス”

小学生の時に”のらくろ”の復刻版を読んで
昔の風景を知った事を思い出しました。
80年代にはまだ、関東のローカル線にこんな感じの
風景がありましたが、今となっては見つけるのが
かなり難しくなりました。

90年以上前の木の感じがいいですね...
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▼R.H.さんへ (廃墟徒然草)
2009-07-09 00:55:10
長崎は特に歴史が古いので、
都市生活の痕跡に年期の入ったものが多く見られます。
原爆がなかったら、
もっと面白いものが沢山残っていたんではないかと思います。
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