江戸時代から石炭産業で栄えた根っからの炭鉱島だった高島。
しかし時代は海外友好の見地から、
安価な海外炭の輸入奨励へと傾いてゆき、
取引先からの買い取り拒否なども起こった結果、
貯炭場には売先のない精炭があふれるようになったそうです。

高島を詳しく伝える『高島炭礦史』の中表紙にも使われている、
石炭資料館に残る二子第一斜坑口の社章。
掘り進めば進むほど採掘条件も過酷なものになって行くのは、
炭鉱をはじめ地底産業の避けられない運命だと思いますが、
徐々に生産量も減少して行った高島炭鉱は、
ついに昭和61年 (1986) 閉山、
約300年続いた石炭の歴史に終止符がうたれました。

この黒光りする「黒ダイヤ」に夢を託し、
ひたすら掘り続けた炭鉱は、
まぎれもなく20世紀の発展を根底からささえ、
今日の繁栄もこの黒ダイヤに負うところは大きいと思います。
しかしそれは同時に、
「一に高島、二に端島、三に崎戸の鬼が島」と言わたように、
過酷な労働の上に成り立ったものでもあったと思います。

港のすぐ近くに立つ、三菱グループの創業者、岩崎弥太郎氏の像。
このへんかな→Mapion
閉山から20余年、現在では殆どの施設が解体されていますが、
これは閉山の時に会社が高島町に対して、
不要社宅や構築物の撤去を約束したからだそうで、
炭鉱としては異例のことだったそうです。
2005年の長崎市合併以前は、
国内で一番人口の少ない町、といわれるまで人口が減りました。
伊王島の記事でも触れた様に、伊王島大橋が完成する事で、
長崎からの船便も今後ますます減ってしまうと思います。
夕張同様、高島の未来は決して明るくはありません。
高島に限らず国内の炭鉱の光と影は、過去のものではなく、
今も深刻な問題として存続しているんだと思います。

昭和42年 (1967) に国庫の補助金で作られた塵芥焼却炉跡。
これかな→Mapion
排煙口の周りを囲むのは耐火煉瓦でしょうか。
特に意味はありませんが、
味わいがある焼却炉だったんでアップしました。

焼却炉のすぐ近くの海岸からは、
高島炭鉱の支坑だった端島炭鉱、通称軍艦島が見えます。
このへんから→Mapion
軍艦島は今年の4月から一般公開が始まりました。
かたや廃墟として存続しながら30年経って脚光を浴び、
かたや施設を解体し、人口も減少していった、
別々の運命を辿る軍艦島と高島。
次回からは軍艦島をアップしようと思います。
■シリーズ:長崎さるく■
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しかし時代は海外友好の見地から、
安価な海外炭の輸入奨励へと傾いてゆき、
取引先からの買い取り拒否なども起こった結果、
貯炭場には売先のない精炭があふれるようになったそうです。

高島を詳しく伝える『高島炭礦史』の中表紙にも使われている、
石炭資料館に残る二子第一斜坑口の社章。
掘り進めば進むほど採掘条件も過酷なものになって行くのは、
炭鉱をはじめ地底産業の避けられない運命だと思いますが、
徐々に生産量も減少して行った高島炭鉱は、
ついに昭和61年 (1986) 閉山、
約300年続いた石炭の歴史に終止符がうたれました。

この黒光りする「黒ダイヤ」に夢を託し、
ひたすら掘り続けた炭鉱は、
まぎれもなく20世紀の発展を根底からささえ、
今日の繁栄もこの黒ダイヤに負うところは大きいと思います。
しかしそれは同時に、
「一に高島、二に端島、三に崎戸の鬼が島」と言わたように、
過酷な労働の上に成り立ったものでもあったと思います。

港のすぐ近くに立つ、三菱グループの創業者、岩崎弥太郎氏の像。
このへんかな→Mapion
閉山から20余年、現在では殆どの施設が解体されていますが、
これは閉山の時に会社が高島町に対して、
不要社宅や構築物の撤去を約束したからだそうで、
炭鉱としては異例のことだったそうです。
2005年の長崎市合併以前は、
国内で一番人口の少ない町、といわれるまで人口が減りました。
伊王島の記事でも触れた様に、伊王島大橋が完成する事で、
長崎からの船便も今後ますます減ってしまうと思います。
夕張同様、高島の未来は決して明るくはありません。
高島に限らず国内の炭鉱の光と影は、過去のものではなく、
今も深刻な問題として存続しているんだと思います。

昭和42年 (1967) に国庫の補助金で作られた塵芥焼却炉跡。
これかな→Mapion
排煙口の周りを囲むのは耐火煉瓦でしょうか。
特に意味はありませんが、
味わいがある焼却炉だったんでアップしました。

焼却炉のすぐ近くの海岸からは、
高島炭鉱の支坑だった端島炭鉱、通称軍艦島が見えます。
このへんから→Mapion
軍艦島は今年の4月から一般公開が始まりました。
かたや廃墟として存続しながら30年経って脚光を浴び、
かたや施設を解体し、人口も減少していった、
別々の運命を辿る軍艦島と高島。
次回からは軍艦島をアップしようと思います。
■シリーズ:長崎さるく■
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「長崎さるく」毎回楽しみに拝見しています。
高島は以前私が訪れた時よりも更に寂れているようですね。
管理人様が言われるように、伊王島大橋が架かると高島は取り残された島になるような気がしてなりません。
おいしい「高島トマト」は市内ではまず手に入りません。
殆どがブランド品として都会に流れているようです。
できれば長崎市民に愛されるトマトになって欲しいところですが、生産量・価格を考えれば市内での流通、消費を期待するのは難しいことでしょうね。
高島は年々静かになっている印象があります。
伊王島大橋が果たし吉と出るのか凶と出るのかはわかりませんが、
なんでも便利になればいいという発想は、
そろそろ別な見方をした方がいいんじゃないかな、と思ったります。
高島トマトにしても、
ご当地の人が食べられないのはおかしな事ですね。
まずは自分たちが愛して、そしてそれがやがて広がっていくとこが、
とても大事な事だと思います。