2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサン・ピエトロ大聖堂@ヴァチカンです。
ヴァチカン市国の中心であり、世界に10億人の信徒を抱える、
カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂。
サン・ピエトロはキリストの第一の使徒、聖ペトロのことで、
古代ローマで初めてキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が、
ペトロの墓と言われる場所を巡礼するために作ったの始まりです。
その後ルネサンス期に大改修が行なわれ、現在の形になりますが、
その建築主任にはラファエロ、ミケランジェロ、ベルニーニといった、
イタリア史上有数の芸術家が何人もかかわり、同時に、
多くの芸術家がその改修途中で命を落としている大聖堂でもあります。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
以前アップしたサンタンジェロ城から大聖堂までは、
秘密の地下道で繋がっているそうですが、それはともかく、
地上にも約800mの一直線の道が造られているので、
高さ120mのクーポラを持つ大聖堂は遠くからも見え、
劇的な光景を生み出しています。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
ラテン十字型に作られた巨大な聖堂内の、
ちょうど十字がクロスする位置にある、
ペトロのバルダッキーノ(天蓋)。
高さ30mもある巨大な天蓋は、バロックの巨匠、
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの手によるものです。
四隅に立つ黒くねじれ上がった柱は、
一度見たら忘れることのできない、
強烈なインパクトがあります。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
天蓋頂上部の四隅に作られた天使像。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
そして天蓋の真下には、聖ペトロの墓への入口があります。
入口は蛇行する階段を降りた半地下にあるのですが、
周囲を囲む柵等ではっきりと見えない状態に作られています。
この、見えそうで良く見えない造りは、
ペトロの墓をより神格化するための演出なのでしょうか。
カトリックでは第一の使徒ペトロを初代教皇として考えているようです。
地下の墓地はかなり広大なもののようで、機会があったら見てみたいと思います。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
地下墓地への入口を囲む柵には、
沢山のランプが設置されて、小さな灯火がユラユラと燃えています。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
天蓋のすぐ横には、聖ペトロの銅像があります。
右足をさするとご利益があることから、
永年にわたって人がさすって来た右足は、
指がなく、丸くなっています。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
天蓋を越えて更に奥へ進むと、中央祭壇が見えます。
堂内はありえない程の装飾感に溢れかえり、
絢爛豪華という言葉はこの堂内のためにある言葉かと思う程ですが、
絢爛なだけではなく、極めて重厚な荘厳さも併せ持つところが不思議です。
あらゆる究極にまつわる形容詞を並べても伝え尽くせない聖堂は、
地上に忽然と出現した異世界空間とも言えます。
しかし、
装飾の限りを尽くした建築費は免罪符によってまかなわれ、
いわゆる宗教改革の発端となった大聖堂でもあります。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
ベルニーニ作『カテドラ・ペトリ』
ペトロのバルダッキーノ同様、祭壇もベルニーニの作品です。
下部にはペトロの椅子、中央には精霊の鳩のステンドグラス、
その周りに、ともすれば地獄絵図の阿鼻叫喚的でもある、
無数の天使が彫り込まれています。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
全体で見ても、いくら近ずいて見ても、視覚の情報量が変わらない印象を受けるのは、
以前アップしたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂と同じです。
「ローマは私の為にある」と豪語した天才ベルニーニは、
以前の記事でも触れた様に、ローマ市内に沢山の彫刻を残していますが、
ここサン・ピエトロ大聖堂でもその才能はいかん無く発揮されているようです。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
聖堂内で特に人だかりが出来ているところにあるミケランジェロの『ピエタ』
若干23歳で制作したこの彫刻によって、
ミケランジェロは一躍時の人となったと言われています。
サン・ピエトロ大聖堂
勿論サン・ピエトロ大聖堂は現役の教会堂として使われています。
マリアの無原罪の誕生日である12/8が近いせいか、
堂内では厳かに礼拝が執り行われていました。
◆
教皇は大聖年と呼ばれる千年区切りの年に、
カトリック全体の反省をするそうです。
2000年には前教皇のパウロ2世による大反省が行なわれたそうですが、
それにしても千年に一度の反省…
この千年と言えば、カトリックが腐敗を極めて、
宗教改革があり、プロテスタントが生まれ、と
とてつもなく沢山の出来事があったんではないかと思いますが、
そんな長いタームで反省していたら、
これからの千年もまたやりたい放題になっちゃうんじゃないか、
と心配になります。
サン・ピエトロ大聖堂は、
カトリックの素晴らしさと傲慢さをそのまま形にしたような、
そんな大聖堂でした。
今回はサン・ピエトロ大聖堂@ヴァチカンです。
ヴァチカン市国の中心であり、世界に10億人の信徒を抱える、
カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂。
サン・ピエトロはキリストの第一の使徒、聖ペトロのことで、
古代ローマで初めてキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が、
ペトロの墓と言われる場所を巡礼するために作ったの始まりです。
その後ルネサンス期に大改修が行なわれ、現在の形になりますが、
その建築主任にはラファエロ、ミケランジェロ、ベルニーニといった、
イタリア史上有数の芸術家が何人もかかわり、同時に、
多くの芸術家がその改修途中で命を落としている大聖堂でもあります。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
以前アップしたサンタンジェロ城から大聖堂までは、
秘密の地下道で繋がっているそうですが、それはともかく、
地上にも約800mの一直線の道が造られているので、
高さ120mのクーポラを持つ大聖堂は遠くからも見え、
劇的な光景を生み出しています。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
ラテン十字型に作られた巨大な聖堂内の、
ちょうど十字がクロスする位置にある、
ペトロのバルダッキーノ(天蓋)。
高さ30mもある巨大な天蓋は、バロックの巨匠、
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの手によるものです。
四隅に立つ黒くねじれ上がった柱は、
一度見たら忘れることのできない、
強烈なインパクトがあります。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
天蓋頂上部の四隅に作られた天使像。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
そして天蓋の真下には、聖ペトロの墓への入口があります。
入口は蛇行する階段を降りた半地下にあるのですが、
周囲を囲む柵等ではっきりと見えない状態に作られています。
この、見えそうで良く見えない造りは、
ペトロの墓をより神格化するための演出なのでしょうか。
カトリックでは第一の使徒ペトロを初代教皇として考えているようです。
地下の墓地はかなり広大なもののようで、機会があったら見てみたいと思います。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
地下墓地への入口を囲む柵には、
沢山のランプが設置されて、小さな灯火がユラユラと燃えています。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
天蓋のすぐ横には、聖ペトロの銅像があります。
右足をさするとご利益があることから、
永年にわたって人がさすって来た右足は、
指がなく、丸くなっています。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
天蓋を越えて更に奥へ進むと、中央祭壇が見えます。
堂内はありえない程の装飾感に溢れかえり、
絢爛豪華という言葉はこの堂内のためにある言葉かと思う程ですが、
絢爛なだけではなく、極めて重厚な荘厳さも併せ持つところが不思議です。
あらゆる究極にまつわる形容詞を並べても伝え尽くせない聖堂は、
地上に忽然と出現した異世界空間とも言えます。
しかし、
装飾の限りを尽くした建築費は免罪符によってまかなわれ、
いわゆる宗教改革の発端となった大聖堂でもあります。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
ベルニーニ作『カテドラ・ペトリ』
ペトロのバルダッキーノ同様、祭壇もベルニーニの作品です。
下部にはペトロの椅子、中央には精霊の鳩のステンドグラス、
その周りに、ともすれば地獄絵図の阿鼻叫喚的でもある、
無数の天使が彫り込まれています。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
全体で見ても、いくら近ずいて見ても、視覚の情報量が変わらない印象を受けるのは、
以前アップしたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂と同じです。
「ローマは私の為にある」と豪語した天才ベルニーニは、
以前の記事でも触れた様に、ローマ市内に沢山の彫刻を残していますが、
ここサン・ピエトロ大聖堂でもその才能はいかん無く発揮されているようです。
サン・ピエトロ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
聖堂内で特に人だかりが出来ているところにあるミケランジェロの『ピエタ』
若干23歳で制作したこの彫刻によって、
ミケランジェロは一躍時の人となったと言われています。
サン・ピエトロ大聖堂
勿論サン・ピエトロ大聖堂は現役の教会堂として使われています。
マリアの無原罪の誕生日である12/8が近いせいか、
堂内では厳かに礼拝が執り行われていました。
◆
教皇は大聖年と呼ばれる千年区切りの年に、
カトリック全体の反省をするそうです。
2000年には前教皇のパウロ2世による大反省が行なわれたそうですが、
それにしても千年に一度の反省…
この千年と言えば、カトリックが腐敗を極めて、
宗教改革があり、プロテスタントが生まれ、と
とてつもなく沢山の出来事があったんではないかと思いますが、
そんな長いタームで反省していたら、
これからの千年もまたやりたい放題になっちゃうんじゃないか、
と心配になります。
サン・ピエトロ大聖堂は、
カトリックの素晴らしさと傲慢さをそのまま形にしたような、
そんな大聖堂でした。
訪れたときは曇りだったので、
残念ながら見る事は出来ませんでした。
それにしても、
イタリアの聖堂の光の演出には、
とても驚かされます。