2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回は古代ローマの残照@ローマです。
これまでの記事で、
フォロ・ロマーノからフォーリ・インペリアーリ、
パラティーノの丘やコロッセオなど、
古代ローマを今に伝える廃墟をアップして来ましたが、
今回はそれ以外の市内に残る、古代ローマの痕跡です。
トッレ・アルジェンティーナ広場(画像はクリックで拡大します)
市内ほぼ中心の街中に忽然と現れる、
トッレ・アルジェンティーナ広場、通称アレア・サクラ(聖なるエリア)には、
紀元前の共和制時代の4つの神殿跡があり、
古代ローマの水道にまつわる宗教的中心地だったそうです。
紀元前3世紀の様式から共和制後期の床ばり、そして帝政の舗装と、
ここもまた時代が積み重なって出来た廃墟のミルフィーユです。
そして、この場所は、BC44の3月15日に、
ユリウス・カエサルが暗殺された場所として知られます。
画像ほぼ中央の木のあたりが暗殺された場所と言われています。
またこの広場は、以前の記事で触れた、
猫コロニーにも指定されています。
サンタンジェロ城(画像はクリックで拡大します)
サンタンジェロ城は、五賢帝時代の3番目の皇帝、
(以前の記事で触れたトラヤヌスの次の皇帝)
ハドリアヌス帝が、自分と後継者の為に建てた霊廟です。
その後5世紀にローマを囲む城壁の一部に組み込まれ、
10世紀以降は、隣接するヴァチカン宮殿の要塞として機能したそうです。
いくつか写る彫像は、城の手前にかかる、
サンタンジェロ橋の欄干に設置された彫刻。
ベルニーニ(後の記事にアップ)とその弟子たちによる、
美しすぎる天使彫刻群ですが、
現在あるものはレプリカだそうです。
ナヴォーナ広場の四大河の噴水(画像はクリックで拡大します)
サンタンジェロ城のすぐ近くにあるナヴォーナ広場は、
かつてドミティアヌス帝のスタジアムと呼ばれた、
3万人を収容出来る巨大競技場があった場所です。
ドミティアヌスは以前の記事でも触れた様に、
コロッセオを完成させた皇帝です。
ちょうどクリスマス・シーズンで蚤の市がひしめき、
広場の造りを見る事は困難でしたが、
細長い広場の中央には、競技用コースの跡が残っています。
また、広場の周囲は建物が囲んでいますが、
かつてはその建物が全て観客席だったようです。
広場の中央には、ベルニーニ作の
「四大河の噴水」と呼ばれる巨大な噴水があります。
17世紀には、広場を水で埋め尽くして疑似湖にするといった、
おバカなショーも行なわれたそうです。
ナヴォーナ広場のオベリスク(画像はクリックで拡大します)
四大河の噴水の上には大きなオベリスクが載っています。
オベリスクとは古代エジプト王朝で良く作られた角錐塔状の記念柱。
エジプトを属州化したローマは、
その記念として沢山のオベリスクをエジプトから運び込みますが、
このオベリスクはドミティアヌス帝が、
エジプトからわざわざ切り出して持って来たものだそうです。
ベルニーニはバロックの彫刻家なので、
このモニュメントは1,600年を隔てたコラボレージョン、
ということになります。
ポポロ広場のオベリスク(画像はクリックで拡大します)
オベリスクをもう一つ。
市内の北寄りにあるポポロ広場のオベリスクは、
以前の記事で触れた、
オクタヴィアヌスが持ち帰ったラムセス2世のオベリスクで、
もともとはチルコ・マッシモにあったものです。
ローマが衰退した約1,000年の間、倒れて眠っていたものを、
16世紀になって発掘しここへ立て直したそうです。
ローマの水道栓
フォロ・ロマーノへ行く途中の道で見つけた水道栓の蓋。
中央に書かれた「SPQR」は、
古代ローマで使われた「元老院とローマの市民」の略。
今でも、マンホールの蓋とかに使われるそうです。
今回は古代ローマの残照@ローマです。
これまでの記事で、
フォロ・ロマーノからフォーリ・インペリアーリ、
パラティーノの丘やコロッセオなど、
古代ローマを今に伝える廃墟をアップして来ましたが、
今回はそれ以外の市内に残る、古代ローマの痕跡です。
トッレ・アルジェンティーナ広場(画像はクリックで拡大します)
市内ほぼ中心の街中に忽然と現れる、
トッレ・アルジェンティーナ広場、通称アレア・サクラ(聖なるエリア)には、
紀元前の共和制時代の4つの神殿跡があり、
古代ローマの水道にまつわる宗教的中心地だったそうです。
紀元前3世紀の様式から共和制後期の床ばり、そして帝政の舗装と、
ここもまた時代が積み重なって出来た廃墟のミルフィーユです。
そして、この場所は、BC44の3月15日に、
ユリウス・カエサルが暗殺された場所として知られます。
画像ほぼ中央の木のあたりが暗殺された場所と言われています。
またこの広場は、以前の記事で触れた、
猫コロニーにも指定されています。
サンタンジェロ城(画像はクリックで拡大します)
サンタンジェロ城は、五賢帝時代の3番目の皇帝、
(以前の記事で触れたトラヤヌスの次の皇帝)
ハドリアヌス帝が、自分と後継者の為に建てた霊廟です。
その後5世紀にローマを囲む城壁の一部に組み込まれ、
10世紀以降は、隣接するヴァチカン宮殿の要塞として機能したそうです。
いくつか写る彫像は、城の手前にかかる、
サンタンジェロ橋の欄干に設置された彫刻。
ベルニーニ(後の記事にアップ)とその弟子たちによる、
美しすぎる天使彫刻群ですが、
現在あるものはレプリカだそうです。
ナヴォーナ広場の四大河の噴水(画像はクリックで拡大します)
サンタンジェロ城のすぐ近くにあるナヴォーナ広場は、
かつてドミティアヌス帝のスタジアムと呼ばれた、
3万人を収容出来る巨大競技場があった場所です。
ドミティアヌスは以前の記事でも触れた様に、
コロッセオを完成させた皇帝です。
ちょうどクリスマス・シーズンで蚤の市がひしめき、
広場の造りを見る事は困難でしたが、
細長い広場の中央には、競技用コースの跡が残っています。
また、広場の周囲は建物が囲んでいますが、
かつてはその建物が全て観客席だったようです。
広場の中央には、ベルニーニ作の
「四大河の噴水」と呼ばれる巨大な噴水があります。
17世紀には、広場を水で埋め尽くして疑似湖にするといった、
おバカなショーも行なわれたそうです。
ナヴォーナ広場のオベリスク(画像はクリックで拡大します)
四大河の噴水の上には大きなオベリスクが載っています。
オベリスクとは古代エジプト王朝で良く作られた角錐塔状の記念柱。
エジプトを属州化したローマは、
その記念として沢山のオベリスクをエジプトから運び込みますが、
このオベリスクはドミティアヌス帝が、
エジプトからわざわざ切り出して持って来たものだそうです。
ベルニーニはバロックの彫刻家なので、
このモニュメントは1,600年を隔てたコラボレージョン、
ということになります。
ポポロ広場のオベリスク(画像はクリックで拡大します)
オベリスクをもう一つ。
市内の北寄りにあるポポロ広場のオベリスクは、
以前の記事で触れた、
オクタヴィアヌスが持ち帰ったラムセス2世のオベリスクで、
もともとはチルコ・マッシモにあったものです。
ローマが衰退した約1,000年の間、倒れて眠っていたものを、
16世紀になって発掘しここへ立て直したそうです。
ローマの水道栓
フォロ・ロマーノへ行く途中の道で見つけた水道栓の蓋。
中央に書かれた「SPQR」は、
古代ローマで使われた「元老院とローマの市民」の略。
今でも、マンホールの蓋とかに使われるそうです。