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古文・漢文不要論に思う・・・・私も書いてみました その2

2021-04-02 10:26:54 | 国語的随想
さくら、さくら・・・



★先回の800字で書き切れなかったことを、書いてみました。
 時間40分 800字(マイ・ルール) 
しかし、1200字くらいになって、削る作業に延長10分。
しかし、無理みたいと諦めた、これはほぼ1000字の原稿となっています。

尚、高校生チヨ2コースの最後の学習日で使用しました。

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よしゆき氏の義務教育に古文・漢文不要、生活保護や失業保険の取り方を教えた方がいい、について、再度考えてみた。
まず、古文・漢文は「オマンマを食っていく」のに必要ではない。古文や漢文の指導者や研究者をのぞいて、今後も生活の中で要るようになるとは思えない。無駄で不要である、それはほぼ確かなことだ。ではやめよう、というのは自然な流れではある。否定はしない。
ここで話を変えて、入社試験の面白い話をしたい。YouTubeは「魚のいない海で魚を釣り上げるための方法を考えてください」。ロート製薬では、ウエブではなくて往復はがき1面(往面)を自由記述して郵送でエントリーする。岡山中央病院では米粒の上に魚をのせて極小握りをいくつ作れるかで研修医を採用する。会社名は忘れたが即興劇をさせるところもあるのだとか。
これらのユニークで奇抜な問いや質問・試験に答えるには、幅広い豊かな知性、遊び心や柔軟性が必要である。無駄だと思ってやっていたことが意外と役立ったり、生かされたりする。ちなみに、例に挙げた変な入社試験の情報は、暇なときに、おもしろそうと読んだネット記事の記憶だ。こんな風に役に立つと思っていたわけではない。先に行って何が役に立って何が立たないか、ということは本当のところ、わからない。AIと競合しなければならない時代を生きる人たちは、無駄なこと(今は無駄に思えること)を、むしろしておくべきだ。豊かな知性には、無駄という養分は絶対に必要だ。
また、母語としての日本語―今使用している言語のルーツの一端に触れることは、大切なことである。わからないし、テストで結果が出ない=やりたくない=無駄で不要とは別の次元で考えた方がいい。由来を知ることは自己のアイデンティティを堅固にする。古文のページを開いて音読するとき、あなたは平安の風に吹かれている、鎌倉の空気を吸っているのだ。それは、古い歴史を持つ母国への誇りや愛を、じっくりと醸成するはずだ。あなたのプライドも育てる。
人間を「ホモ・ルーデンス」と考えた学者がいた。意味は「遊ぶ人間」、人は遊びによって進歩した、文明を作り出したと主張する。遊びは、究極の無駄である。しかし、それが創造性を生み、文化・文明を進めて現代に至るとするならば、不要に見える古文・漢文にやる価値が出てきそうだと考える。いかがであろう。


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