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認知症という「病」 その1

2021-03-10 12:00:00 | 日々の雑感
母は、イッサのことが大好きだった
うちで飼った猫は、みんなお前が拾ってきた、とは、母によく言われることば



先日のこと。
母親を定期の受診に連れていくために実家に行った。
ところが・・・支度ができていない。
なんとまあ
知らない、聞いてない、と。
前日にした昨春他界した末弟の法事のあとによく言い聞かせて、スケジュールを書くカレンダーに記入、義妹もでかける前に声かけをしてくれていたはずだが。
やっと支度をさせて出かける段になって、お金がない、このうちは泥棒が入る、と。
私のところに保管してあったお金を入れて、あるよと。
しかし、泥棒が入る、はいう。
これは最近よくいう台詞で、義妹や姪に聞くと、仏壇の花が届けば自分で払っているし、ひ孫が来ればお小遣いをあげているし・・・
真っ当に減っているのである。
私がそれを言ってもそんなことはしていない、「つかってなんか、いないんらけどな」
といい張り。
もう、再度私のイライラ更に更にMAX。

先週の別の受診でもそう。
ほぼ同じことを繰り返している。
本当にいやんなる・・

入浴介助を週1回しているのだが、お風呂に入れてから、お昼ご飯。
のサイクルができている。
2月の面談時期に私の都合で食べてからお風呂にしたら、食べていないと言い張って、ご飯も食べさせないと怒るし。。
土曜は、朝から出かけて行って実家法事の準備掃除をしてお風呂にも入れたのだが、掃除が終わるのを待たせている間に、お昼として用意していったおかずやデザートをテレビ見ながらしっかり食べきっていた。

怒らない・・・怒鳴らない・・・
と思っているが・・・いつもダメだ、そして自己嫌悪。
自己嫌悪している自分にも、毎度毎度のイライラMAX。

1年前、心配だった、とにかく残していきたくなかった末弟の他界後、一気に「壊れた」。
母親にとっては、最愛の息子を送り出すのが「ゴール」だったようだ。
緊張に糸がほどけた。
友人曰く、何も考えなくてよくなったんだよ、と。

1年前は受診といえば用意して、玄関の上がりかまちに座って待っていた。
私が遅れると「事故でもあったんじゃないか」と心配していた。
今や別人。
はっきり言うと「抜け殻」だ。
母親の魂は末弟の魂と共に逝ってしまった感じがする。

母親が頼りにしていたのは跡取りだった長男。彼は54歳で旅立ってもう12年になる。
父はその前、中越地震の前に逝っている。
末弟は最愛の息子にして、最大の心配の種。その心配がなくなって確かに友人の言うように考えることがなくなったのかも知れないけど・・私のイライラ募るばかり。
私とはもともと相性がよくなくて、喧嘩しょっちゅう。
まさか、苦手だった子(長女の私)に面倒見てもらうとは思っていなかったろうな。
人生の皮肉である。
かわいそうな人だとは思う。
私が一番気が合ったのは旅だった弟2名である。そして、父である。
まさか、いがみ合うことの多かった人のお世話をすることになるとは・・である。
これもまた人生の皮肉。(苦笑)

母が最低限の自分のこと(食事・排泄・最低限の歩行など)ができているのでありがたいと思うべし。
べったりくっついての温かい介護は私にはできない。
介護現場での家族の虐待っていうの、昨今は心情的には少し分かる気がしてきている・・・
人道主義的見地から人としてどうよ、ということはしない、すべきことを粛々としたいと、あとで後悔しないようにと鉄の意志で決めてはいる。
ハードなハードな修行である。
こういう時は、四国歩き遍路1回目旅、足が腫れて歩けなくなりつつも杖にすがって文字通り泣いて前進したときのことを思い出す。あれに比べれば、まだいいと。
そしてそこを過ぎると違う境地が現れる、と。

正直、母の「壊れ方」が怖い。
(本で読んで認知症の例として知っていたことがリアルに進行中)
ああならないうちに自分の命が尽きることを切に願いたい。
ぽっくり観音巡りっていうのも、この頃うなずける。

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本年(2021年4月より)の募集に関わる記事

2021年度募集要項

新年度の入塾希望者(話を聞きたい方も含めて)の面談日程(3/4月)と休止期間について

もへじは少し変わります、そして今後は?


リンクしておりますので、プチッとな、してご覧下さい。

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