蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

国民安全の日、そして数独(20) (bon)

2023-07-01 | 日々雑感、散策、旅行

 7月に入りました。今日7/1は「国民安全の日」です。「安全週間」が始まり
ます。

          (厚労省ポスター)

 内閣府のページには次のようにありました。(少し長いですが)

『「国民安全の日」は、昭和35年5月6日閣議決定により創設された。 創設の
背景は、昭和31、32年になり、生産、輸送の活発化に伴って、これらに携わる
人々の工場、鉱山、事業場での事故(産業災害)が多くなる傾向を示し、加えて、
火薬関係の爆発災害が相次ぐなど憂慮すべき事態になっていました。このため、
政府は、昭和33年に産業災害を減少させるための5か年間の目標を立て、この
目標を達成するため種々の対策を推進することを決定しました。しかし、その後
においては、産業災害だけでなく、自動車の激増に伴って自動車事故が日々続発
する状況となり、国民生活は、いろいろな災害に日夜脅かされるといっても過言
でないような事態に陥ってきつつありました。

 このような状況の下に、各種の安全対策の強化に併せて、従前から行われて
いた産業安全運動、交通安全運動等の各種の安全運動を一層発展させるとともに、
広く国民各層を含めた自主的な安全運動組織をつくり、国民一人一人がしっかり
した安全意識を深めていくように、いろいろな安全教育を、学校、職場、家庭等
の分野で十分行うことが必要であるということが、各方面で強く認識されるよ
うになりました。』とありました。

    
                (総務省ポスター)

 どの様な災害が起きていたか調べましたが、特段名を冠するような災害では
なく、中労災のページによれば、昭和30年から『技術革新があらゆる分野で進み、
新たな原材料、工法、機械設備が相次ぎ導入され、それに伴い労働災害の大型化、
新たな職業病の発生という問題が生じた。昭和36年には死者6,712人とピークを
記録し、死傷者数も81万人(休業1日以上)を超えた。』とあります。

 昭和48年の最1次石油ショックまで、国民総生産は平均年率10%という驚異的
ともいうべき世界に類を見ない高度成長にあり、その初期において産業災害が
多く発生していたのですね。

 昭和31、32年(1956,57年)の主なトピックスは次のようなものがあります。
 昭和31年には、・日本が国際連合に加盟、・気象庁発足、・横浜、名古屋、
京都、大阪、神戸が政令指定都市に、・初めての週刊誌「週刊新潮」発刊、・
太陽の季節.慎太郎刈流行、・若いお巡りさん  昭和32年には、・岸内閣発足、
・コカ・コーラ日本発売、・ダイエー1号店開店、・ソ連スプートニク打ち上げ、
・NHKカラーテレビ実験放送、・東京だよおっかさん、有楽町で逢いましょう 
が流行
 など懐かしい想い出がありますね。しかし、沸き立つ日本の裏側に、様々な
産業災害が起こっていたのです。当時私は高校生でしたが、あまり関心が行っ
ていなかったようです。

         
 今日でも、様々な事故のニュースが後を絶ちません。そして、気象変動による
線状降水帯などによる水災害も、年中どこかで起きている感じがします。また、
キックボードなどが、16歳以上無免許で可能となるそうですから、事故の元に
ならなければいいですけど・・。

              

 7月1日に因んで、昔を振り返ってみました。今日は、このほか「山開きの日」
でもあります。富士山やその他の山で、安全を祈願したイベントが行われている
ことでしょう。 1985年に、立山雄山の「山開き」に行ったことがあります。
立山室堂で、ホルン演奏や屋台が出たり・・標高2400mでの大イベントでした。

              

 お待たせしました。数独は、拙ブログには お正月と7月にアップしています
が、今回で20回目となります。 出題は、ネットで提供されている「日替わり
ナンプレ」から、6/29、30の2題を拝借しました。どうぞお楽しみ下さい。

 

 行き止まって、しばらく考えているうちに、ひょっと糸口が見つかり、その
後はスイスイと進む感触がいいですね!

 

 

フジ子・ヘミング~サマータイム(ガーシュウィン)

 

 

 

 

コメント
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