蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

3月は1年の最初の月!?  (bon)

2022-03-01 | 日々雑感、散策、旅行

 2月は足早に逃げて、いよいよ3月に入りました。気温も上がり春の気分上々です。
  この3月、古代ローマでは一年の最初の月だったのです。
ニッセイ基礎研究所のページに「暦と占いの科学」(永田久氏、新潮選書)等を参考
に記述された記事がありましたので、その記事から要点をピックアップして以下に
まとめてみました。

 そもそも暦は、紀元前8世紀にローマ建国の祖といわれるロムルスによって作られ
(ロムルス歴)とのことで、この頃の1年は10か月だったのです。 つまり、今で
いう1,2月の2か月(60日)は、冬の真っ最中で人々の活動はなく「冬ごもりの期」で
この期間は名前を付けなかった。 農耕面でも軍事面でも活動を始めるのは暖かく
なる3月頃からであったところから、3月が1年の最初の月であったのです。

         軍神の神 Mars
          (ウイキペディアより

 もちろん1月、2月・・というような概念はなく、ローマ神話の神々の名前に因んで
1年の1番目の月は軍神の Mars(マルス)、2番目の月は春と美の女神 Aphrodite
(アフロディーテ)、3番目の月は豊穣の神 Maia(マイア)、4番目の月は結婚の神
Juno(ユノー)から名付けられました。 5番目以降は、ラテン語の数詞から名付け
られ、5番目から Quitilis、Sextilis、September、October、November、December
でした。 日本でも、1年は、睦月、如月、弥生・・と呼んでいましたね。

 ところがこのロムルス歴による、無視された2か月(60日)に何もメモリがないのは
いかにも不便だということから、ロムルスの後を継いだローマ皇帝ヌマによりこの
2か月を、11月については、ローマの門神 Janus(ヤヌス)を称えて命名され、12月
は、死者を司る神であり、贖罪の神である Februus(フェブルウス)と命名された
のです。

 しかし、この11月に命名した門神 Janusは、行動のはじめを司る神であったため、
このJanusの月を年初として設定され、続く月 Februusとともに現在の1,2月の位置
に置かれ、各月の日数も調整された「ヌマ歴の改革」が行われたのです。これが紀元
前153年のことだとありました。

 
                   (ニッセイ基礎研究所HPより)

 (ヌマ歴の改革では、5番目から12番目の月の数詞が、2つずれています。Sept は
7を、Octは8を、Novは9、Desは10を表す語ですが、それぞれ9,10,11,12にず
れています。)

 さらに、ローマ帝国を築いた Julius Caesar (ユリウス・カエサル)により、紀
元前46年に1年365日の暦である「ユリウス暦」が作られたのです。カエサルは1年を
365.25日と定め、平年を1年365日とし、4年に1回、1年366日の閏年を設けたのです。
また、奇数月を31日、偶数月を30日としました。ただし、元々日数の少なかった2月
を29日としたのです。
  そして、カエサルは自らの功績や名声を後世に残すために、自分の誕生月である
7月を自分の名前に因んで、Juliusと改名しました。 また
、時のローマ皇帝Augustus
(アウグストゥス)は、戦勝記念という大義名分の下に、8月をAugustusに改名して
しまいます。 合わせて、自分の月が他の月よりも日数が少ないのは皇帝の権威に
かかわるということで、8月を31日にして、その代わりに2月を28日にしたのです。  
 これにより、7月、8月、9月と31日の大の月が3ヶ月続くことになったことから、
カエサルと自分の月の7月と8月の日数はそのままにして、8月以降大の月と小の月が
交互になるように、月の日数を増減させてしまうのです。 元々の奇数月が大の月、
偶数月が小の月というシンプルなルールが壊されて、現在のような月ごとの日数構成
になってしまったのです。

  
                  (ニッセイ基礎研究所HPより)

 このユリウス暦(アウグストゥスの改暦)は長く使用されてきましたが、ユリウ
ス暦では実際の太陽の運行よりも1年間で約11分14秒ずつ、暦日の方が長くなり、
昼夜の長さが等しい「春分」として定められている3月21日が、実際の春分とずれて
しまい、このずれを是正するために、ローマ法王グレゴリウス13世は、それまでの
ずれの累積10日間を調整することとし、1582年10月4日の翌日を10月15日と定めたの
です。 そして、今後のずれを定期的に調整するために、閏年の決まりを「西暦年
が4で割り切れる年を閏年とする。ただし、西暦年が100で割り切れても400で割り切
れない年は、平年とする。」との現在の暦が制定されたのでした。
 これが、グレゴリオ暦なんですね。

 そしてこのグレゴリオ暦が、各国に採用され広まって行くのです。 カトリック
諸国のフランス、イタリア、スペイン等では1582年(同時)に改暦が行われましたが、
ドイツのプロテスタント諸都市が改暦したのは1700年で、英国やその当時の植民地
である米国等は1752年、ギリシアでは1924年等、欧米諸国でもまちまちですね。

 日本がグレゴリオ暦を採用したのは1873年で、韓国が1896年、中国が1912年とア
ジア諸国の採用はかなり後になってからなんですね。

 以上のように、暦が出来た時は、Mars(現在の3月)が年の1番目の月であり、も
ともと月の名前がなかった2か月(現在の11,12月)に命名された時に、Janusが行
動のはじめを司る神であったことから、これが年の最初に持ってこられたのですね。
1年で最も寒い季節からその年が始まるようになったのです。

            

 中国では、二十四節気に示されますように、冬至が1年の始まりだとしています。
冬至は昼が最も短い日で、この日から太陽の出ている時間が徐々に長くなリ、成長
の始まりと見做したからだそうです。 理屈としてはこちらの方が筋が通っている
ようですね。

 1年はなぜ12か月か?などについては、かって当ブログにも「1年は12か月」(2015.9.3)
で記事アップしており、ヌマ歴、ユリウス暦などの流れについても一部記述してい
ますが、おさらいのつもりで改めて掲載しました。

 

 

John Williams & Vienna Philharmonic – Williams: Imperial March (from “Star Wars”)

 

 

 

 

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