goo blog サービス終了のお知らせ 

蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

この道  ⁻

2025-09-05 | 日々雑感、散策、旅行

 生まれた時から始まるこの道は万人に等しく与えられています。そんな道のことなどは
全く意識せずに前に向かって歩いて行く。 思えば高校生くらいの年齢までは、大きな
流れに導かれて、そしてその道は広く行く先は自然に開かれているような感じで、皆真直ぐ
に歩いて行く、あるいは登って行くのです。 まれに寄り道をしたり、横道にそれる人も
いるかもしれないが、そのうちに戻ってきたりして、いわば緩やかで優しいブロードウエイ
かもしれません。

 二十歳を過ぎる頃から、進む目標を見つけて、それぞれに歩をすすめ、その目標が
変わることなく真直ぐにコッコッと歩む人もいれば、更に目標が新たになり意欲的に
進む人もいる。 学者を目指す人、経営者を目指す、スポーツに打ち込む、医学・先端
技術を目指す、文学・音楽・美術を目指す、芸能分野に打ち込む、教育界などもあります。

 みんなそれぞれに思うところに従って、しかし多くの人は必ずしも意識しているわけ
ではなくただ漠然と思うところに向かって進んで行くのでしょう。私はそんな一人だった
ようです。

 私の場合、子どもの頃は、いわゆる「ラジオ少年」でしたから、高校は工業高校の
電気科みたいなところを内心希望していました。 ところが、中学3年の進学の話の時に、
担任の先生から「工業高校ではなく、普通高校に進んで、その先で好きな電気関係の
道に進むのが良い・・」とのアドバイスをいただき、普通高校に進んだのでした。
 ラジオ少年は、ラジオだけでなくいろんな方面のことに興味を持ち始めるのでした。
もちろん電気関係には興味がありましたから、やはりそちら方面を希望していたので
しょう。 普通高校の3年間は楽しい思い出がたくさんありますが、むしろ還暦近くなって
から再びの出会いからの交流は、それを体験した者のみが得る尽きせぬ熱い想い出に
満たされています。

         (ネット画像より)

 大学へは、それほどの意気込みは無かったようでしたが、担任の先生や数学の先生に
言われるまま願書を出し、1年浪人しましたが2年めには無事大学生となりました。
 全国から、選抜された学生は、これまでの周りにいた友人とはどこか大人びた印象が
強い人たちばかりで、そんな中で肩を並べて勉強とともにクラブ活動(漕艇)や遊び
にも積極的で、大人の世界も自由に行動できる特権を得たような感じはありました。

 

 就職は、ある意味では「この道」を決める大きな選択であると思うわりには、悩む
ことなくいとも簡単に友人とジャンケンをして各々がその道に進んだのでした。社会人に
なるにはそれなりの覚悟というか意識があるはずだとも思いますが、私の場合は特段の
段差を感じずにスライドしたようでした。しかしそのことが、後になって悔んだり思い
直すことなど一度もなく望む道を真直ぐに進みつつ、同僚の皆ともそうした意識など
ほとんど感じることなく、いわゆるサラリーマンであるとの感覚も希薄のまま のびのび
と幸せな会社生活を送っていました。(幸せなのか、鈍感なのか・・?)

 この会社は、全国規模の安定したやや官僚色の強い体質ではありましたが、時代の
先端を目指した気風があり、特に技術的な改良・開発においては世界のリーダー的役割を
担う、そんな気概の中で切磋琢磨していたようです。 私は技術のグループでしたから、
これらの流れを十分吸収していたようでした。

 4~50年前あたりからは、国内の各会社との競争の波にもまれ社風も以前とは様変わり
してきたようですが、私にとっては、これがむしろ幸いしていたのでしょう。 社内組織の
各部署のリーダー的ポストを何度か経験しましたが、どのポストに就いても、その使命が
なんであるかの本質を見定めて行動をとっていたようでした。具体的には、従来通りの
仕事はそれをすすめながらも目的に対してその根本に根差した行動を起こしたり、やや
異端的なあるいは型破りな行動とみる人もいたかもしれません。新しい目標に向かって、
思うようにことをすすめ、自由にさせていただけたことも有難く、苦しい中にも楽しい
やりがいを感じながら、自らも成長していたのではと思います。

 組織の上に行くほど、大きな予算と社員を動員して、新しい目標に向かって必死に突き
進んでいた頃のあれこれが忘れられない思い出となって、この老人の心の支えの一つに
なっているのは確かです。 社内・外にたくさんの知人・友人が出来たことも感謝に耐え
ません。宝です。

         (フォトACより)

 この道を懸命に登って来たとの感覚はあまりないのですが、後になって振り返ってみれば
確かに高いところまで来たと思います。

 退職して四半世紀になろうとするこの頃、フトこのような「この道」を思うことになった
のです。そろそろお迎えが近づいて来ているからなのか分かりませんが、以前読んだ五木
寛之の『下山の思想』にも思い当たる気がしています。

 

 

 

Vaya con Dios

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 板混定期演奏会‘25  ⁻ | トップ |   
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

日々雑感、散策、旅行」カテゴリの最新記事