蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

牧野博士の功績  (bon)

2023-06-09 | 日々雑感、散策、旅行

 今、NHK朝ドラで放送されている「らんまん」の主人公(槙野万太郎=牧野
富太郎)は、小学校を2年で中退し、独学で植物の調査研究の道に進み、日本の
植物学の基礎を構築されるとともに多くの植物学者の育成にも尽力されるほか
世界的にも大きく貢献され、「日本の植物学の父」とよばれた一途な、そして
広い心を持った植物学者でした。

 牧野富太郎博士については拙ブログ「牧野富太郎生誕160年記念展」(2022.9.17)
のほか(2022.1.24)、(2014.8.21)に記事アップしていますのでご参照くだ
さい。

 日本で初めて植物の学名をつけました。「ヤマトグサ」が最初だとあり、
少なくとも1500種の命名がなされているといいます。そして、多くの協力者
にも助けられて、40万点に及ぶ標本をつくられていて、東京練馬区の住まい
には、それらの標本が丁寧に保存されていたそうです。
 この住居跡は、1958年に、東京都練馬区立牧野記念庭園として展示公開さ
れています。(私は、2014年と22年に2度訪れています。)

       最初の命名「ヤマトグサ」
        (東京都立大学より)

 牧野博士が亡くなった後、これらの重要な標本は、ご遺族の希望では、彼が
長年務めた東京大学に寄贈したいとされていたそうですが、これだけの量の
標本を整理・管理するには大変な労力と時間を要することは自明だったので、
東京大学では受け入れてもらえなかったとのことです。で、長年住まわれて
いた東京都がこれを引き受けることとなり、東京都立大学がその任に当たっ
たのです。
 牧野博士が明治時代を中心に大正、昭和の時代にかけて、北海道利尻島から
鹿児島県屋久島まで日本のほぼ全域から採集された牧野標本は、押し葉標本が
古新聞に挟まれたままの未整理状態であったとのことですが、これを20年以上
もかけて、およそ16万点が収蔵されているそうです。

 現在、東京都立大学南大沢キャンパス(八王子市)にある牧野標本館(本館・
別館)には、世界中の植物標本を含めて約50万点に及ぶ標本が収蔵さられて
いるそうです。

 丁度、東京都立大学牧野標本館館長である村上哲明氏(東京都立大学理学部
生命科学科教授)の記事が手元の会報にあり、さらにネットには、村上氏と、
牧野富太郎氏のひ孫で晩年の10年間を共に過ごした牧野 一浡 氏(牧野記念
庭園学芸員、1946年生)との対談記事がありましたので、以下には、特に牧野
博士の功績を中心に概要をまとめてみました。

      東京都立大学牧野標本館(東京都八王子市)
       (東京都立大学より)

 

 先ずは何といっても、日本人で初めて日本の植物学名を付けたことが挙げ
られます。博士は、日本にどのような植物種が存在するかの解明に取り組まれ、
多くの植物の採集、分類を行われています。これまでに1500を超える日本産の
植物に学名を付けたのです。 また、ずば抜けて精緻な植物図画は自作され、
『大日本植物志』を刊行するなどの記録に残され、ついに1940年、東京帝国
大学を退官後、78歳で研究の集大成である「牧野日本植物図鑑」を刊行され
るのです。この本は改訂を重ねながら現在も販売されているのです。

 また、多様な地域で採集された標本が収蔵されており、産地情報からその
植物種の地理的分布や変異を明らかにすることが出来るのです。既に、日本で
絶滅してしまった植物種の標本が残されているのですね。このほか、都市開発
が進んで今では見ることが出来ない、たとえば100年前の渋谷は田園地帯であっ
たそうで、その当時渋谷で採集された牧野標本、そば、米、大根、藍やイカリ
ソウ、ホトトギスなどが残されていて、当時の渋谷の自然環境を推測すること
が出来るというのです。

 さらに、牧野標本には異なる季節の同じ種の標本があるので、花や果実・
種子の形態的特徴に加えて、植物の季節的変化(いつごろ開花し、結実するか
など)を把握することもできるなど、学術研究の証拠として計り知れない価値
を有しているのです。

 80歳ころまで日本中を精力的に植物採集を行う傍ら、各地で市民向けの植物
観察会や採取会、講演会なども活発に開催し、全国に多くのファンや愛好家を
擁しサポーターにも恵まれていたそうです。
 しかし、研究や資料購入など高額な費用を費やす結果、高知県の実家(裕福
な商家であった)は、整理する羽目になったり、東京大学でも学歴のなさ故の
軋轢を何度も味わうなど一面苦労の生涯でもあったのですね。 

 しかし、日本の植物相の解明に多大な貢献をされているのです。

 65歳で東京大学から理学博士を受理され、91歳で東京都名誉都民、96歳で
亡くなり、翌年、勲二等旭日重光章、文化勲章が追贈されています。

       高知県立牧野植物園
       (ウイキペディアより)


 NHKドラマ「らんまん」はまだ彼が東京に出てきた頃ですから、これから専門
的な世界に羽ばたく活動を通じて業績を積み上げて行くのでしょう。どこまで
描かれているかは分かりませんが、このような思いを秘めながらドラマの展開
を楽しみにしています。

 

 

千風になって Katherin Jenkins

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (M.S)
2023-06-09 10:14:17
 子供が小さい頃牧野記念庭園に行ったことがありますが、その膨大な功績にあっけにとられたことを思い出しました。文明の利器もない頃、正岡子規や伊能忠敬・・・。大したもんだと思いますね。娘が小さい時、三十三間堂の仏像に呆れていましたが、ろくな道具も無いのにあんな像や寺院をどうやって作ったのだろう、計算はどのように?それにしてもbonさんのフアンもなかなかのようですね。
返信する
そうですよね! (bon)
2023-06-09 14:31:39
M.Sさん、コメントありがとうございます。
まさしくそうですよね。牧野博士にしても、植物採集は、いってみれば誰にでもできる。
ただ、これほどたくさん採集できるか?というと、常人ではむりですね。
しかも、採取したものが新種であると決定づけるための根拠を示すのですから、
これはもう常人の及ばぬところでしょうね。
仏像の彫刻、寺院の建設・・さらには、ピラミッドの建設・・などなど、昔の時代によくもまあできたものだと!
そして驚くことには、そのようなことを命じた、発案した人の創造力、企画力、実行力に感心と、得心をさせられますね。
返信する

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