仮面は、英語でmask、仏語ではmasqueで、「マスク」でありますが、野球の主審や
捕手、剣道、フェンシングで顔にかぶるのはマスクで仮面ではないですね。口や鼻を
隠す、コロナでお馴染み、習慣的にすらなっている衛生目的のものもマスクで仮面では
ないですね。
ウイキペディアによれば、日本で仮面が確認されている最古のものは、縄文時代
(5000年以上前)の土面などや弥生時代の木製の仮面があるそうですが、いずれも神、
精霊、動物(実在架空を問わず)等に人格が宿ると信じられ、古くから宗教的儀式、
儀礼あるいはそれにおける舞踏、さらには演劇等で用いられてきました。このような
場合に装着するのはマスクではなく仮面と言われています。
縄文時代のお面
(ウイキペディアより)
このような仮面舞踏(儀礼)は、アフリカや南洋諸島等で古くから民族的な儀式と
して行われてきています。日本でも「なまはげ」など種々ありますね、
なぜ、「仮面」のテーマを選んだかといえば、少し前に手元に届いた会報記事に
「仮面という装置の力」(吉田憲司氏、国立民族学博物館長)と題して、著者ご本人が
アフリカ、ザンビア東部の村に住み、仮面の調査をする傍ら村の正式メンバーとして
儀式に参加され、仮面舞踏の意義などを発表されていたからです。
村の儀式でつける仮面には2種類あり、躍り手の頭部に装着する覆面や木製仮面と
踊り手がその中にすっぽりと入る被り物(動物が多い)がある。覆面や仮面は死者の
霊の化身とされ動物の被り物は森からやって来た(つまり、村の外から)野生動物を
表しているとあります。最近の被り物にはヘリコプターもあるそうです。 外から
やって来たもの・・。
アフリカ・ニャウ地方の仮面(例)
(哲のphoto boxより)
このような行為は、遠く隔たった地域でもよく似た習慣や制度・信念が認められる
がこれら相互に交流があったとは考えにくいのです。つまり人間の中にある根源的な
ものの探求に繋がるのではないかと思われる。『地域と時代を問わず、仮面に共通した
特性として、特に注目されるのは、それがいずれも、人間の知識や力の及ばぬ領域、
すなわち「異界」の存在を表現したものである。』と述べられています。
異界といえば、ギリシャの祭典での仮面や現代のカーニバルでの仮面まで、日本で
いえば、能・狂言や民族行事の中の仮面から現代の、月光仮面やウルトラマンに至る
まで『仮面は常に、「異界」から一時的やって来て、人々と交わって去って行く存在を
可視化するために用いられてきた。』と。
さらに仮面にはこれらの可視化のほかにもう一つの力というか意義があるようですね。
仮面という装置を装着した踊り手は、霊が依り憑きその霊になりきるともいわれるの
です。 しかし、芸能化した仮面や子供たちが好んで被る仮面(お面)にはこのような
霊の依り付きなどの宗教的な意義は見いだせないですから、仮面には、このような2面が
あるといえます。とはいえ、ウルトラマン仮面をかぶった子どもは、ウルトラマンに
「なりきれる」のですね。
仮面にはこのようにいろいろな「力」があるのですね。中世ヨーロッパでの仮面
舞踏会(マスカレード)では、宗教的な意味ではなく、顔を隠すという目的が強く、
このような状態で身分や素性を問わず男女が交遊出来たなどの意味合いも大きいと
思われるのです。 たしかに、舞踏会でなくても、仮面をかぶるとそれまでの自分とは
違った自分になったような気がする・・のは、ある意味自分というものの一部、特に
潜在意識みたいなものを、顔を隠すことで顕在化させる力?を持った装置なのかも
しれません。
また、いわゆる変装マスクというのもあります。仮装大会などでのものや、タイガー
マスク、フランケンシュタインなど、さらには政治家などの頭・顔部分の被り物なども
ありますね。
30年ほど前に、ニューオリンズの街で求めたお面で今も飾っています。
アフリカではなくタイの動画ですが・・
チェンカーン Mask Festival 2022①
マスクは感染予防というよりも、自分を隠すための便利な道具になっていました(笑)
そうでしたか。 意外と便利ですよね。寒い時は結構、防寒具の一つにもなっている。
コロナの後、花粉症や黄砂、更にはインフルとか、変な感染症も流行っていたり・・。
アイマスクがありますが、こちらはクチマスク・・。
最近はイーロン・マスクが話題になっていますね。