昨日の日曜日は、大学受験センター試験2日目が終りました。
雪の中開始時刻を変更した地域もあったようですが無事終わりました。
京都では、第35回全国女子駅伝が大雪の舞う中みんな元気に走っていました。
今、テレビでは、全豪オープンテニスが流れていて、第5シードの
錦織は順調に試合を進めています。あちらの気温は、30℃を超えているとか。
深刻なテーマで申し訳ありません。
TPPがどうの、トランプがどうの・・なんて言っている場合じゃないのですね。 昨日
(1/15)、読売新聞の日曜版、社会保障面の「QOD」(Quality Of Death)第4部に
五木寛之氏の思いが語られていました。 このテーマと、氏の語りを読んで、あッ、と現実
に引き戻された感じがしたのです。 喜寿も過ぎ、体力は勿論のこと、足腰などの不具合を
つね日頃感じている我が身にとって、まさしく当然のこととして、もっと真摯に受け止める
べきであるのに、なんと、空々しい感覚でいることか・・!
話の流れは、日本の将来人口の推移から、少子社会から多死社会に向かっている現実を
受けて、やがて訪れる多死社会の時代にどのように“死”というものに向き合って行くか
・・そんな流れで、今回はその第1回目で、五木氏の語りとなっています。
高齢化が進んでいますが、当然のこととして死亡数が増加してきます。650万人の団塊
の世代がこの域に突入してくるわけで、下の内閣府のグラフからもわかる通り、2040年頃に
死亡者数がピークとなり、167万人/年と推計されています。1970年のそれは、68万人でした
から 倍以上に膨れ上がり、これまでの社会で経験したことが無い時代に入るのです。
ネットを繰っていると、火葬場不足が深刻になって来つつあり、すでに“遺体ホテル”など
のビジネスが出現しているというのです。
日本の将来人口推計(内閣府HPより)
死亡数推計(内閣府HPより)
五木寛之の小説、エッセイなどは、これまで割と読んでいまして、本人の死生観や物事の
捉え方などにも共感を覚えています。仏教などの捉え方も好きな方です。そんな状況の中で、
彼の語りが、グッと来たのは、淡々とした語りながら以下のいくつかのパラグラフでした。
「死が突然訪れて来れば簡単ですが、多くの場合、自分が崩れゆく過程を体験しないといけ
ない。昔は宗教があり、あの世の極楽と地獄という観念がリアルにありました。しかし今は、
死ねば宇宙のゴミになる感覚でしょう。」 「自らの人間的、肉体的な崩壊に日々直面して
いかなきゃいけない。介護を受ける人たちも、ある種の失意というか、痛みを感じているん
だろうと思います。 だから、認知症は、天の恵みなのかもしれないという医師もいます
ね。」で、本人は、そのような状態になれば、あまり食べず、水もあまりとらずに、枯れて
ゆけばいいじゃないか・・などと語り、これからは、家族との絆も薄れるなかで、自らの老
いや死と向き合わねばならない時代だといっています。子や孫に囲まれて、息を引き取るよ
うなことは、もうあり得ないと思った方がよいのではないか。最期は一人で逝く覚悟が必要
だと・・。
組織からも離れて、すでに久しく、それなりに軟着陸して無事な毎日を過ごしているつも
りで、新しい楽しみの周りの中に、ほのぼのとしているのも結構でありがたいと思っていま
すが、そろそろ、有りがたい楽しい周りだけではない現実を受け入れることが、待ったなし
であることを改めて認識した次第です。
いつまでものんびりとして、おめでたいことでした・・!