私がどうしてこんなにも子育てにこだわるか、
ライフワークにしているのかという理由は
やはり私の育ちにあります。
もの心ついた時にはすでに大人の世界を毎日気にしていました。
柱のかげや障子の穴からそっと覗きこんでは
気配をうかがっていました。
母は母なりに愛してくれたのでしょうが、
実感として、体感としてその感覚が残っていないので
今でもとても苦しくなる時があるのです。
私の育った家自体がとても色んな問題のある家だったので
若くして嫁いで母になった母は、子どものことにエネルギーを注ぐ余裕もなかったのでしょう。
木のこんのお母さん達と共にいて、私のそんな心も癒されたのですが。
あ~、親ってやっぱり子どもが大切で悩みながら育てているんだな、ということが
木のこんで出会ったお母さん達の姿を見ていて分かりました。
ですが、実感として体感としては今でも感じられないのです。
そのことが生涯に渡って影響するのだということを
それこそ、この感じられない感覚は実感として感じる訳なのです。
そして、その愛されている感覚をもてるには
0~3歳の頃の親子の触れ合いがとても大切なのだと思います。
親の想いとは関係なく、子どもがそれを感じられているかどうか、が大切なのです。
私のような苦しさを子ども達に味わってほしくなくて
みんな愛されて育ったという感覚をもって大きくなって欲しくて
この仕事をライフワークにしています。
子どもが幸せに育つこと、これは私にとっては切実なことなのです。
息子にはそんな思いはして欲しくなくて
100%全力投球をしました。(本当は70~80%の力がベストだと思います)
それに24時間神経をはりつめて見ていないと
息子はすぐに死にそうになるのでした。
そんな想いを抱えていた子供時代でしたが、
自然の中で毎日のように遊んでいたことが、私のこころを癒してくれていました。
そして、息子亡きあとパニック障害になった時も
長野の自然の力に癒されました。
里山で子どもが育つことの良さをそんなことから実感しているのです。
ライフワークにしているのかという理由は
やはり私の育ちにあります。
もの心ついた時にはすでに大人の世界を毎日気にしていました。
柱のかげや障子の穴からそっと覗きこんでは
気配をうかがっていました。
母は母なりに愛してくれたのでしょうが、
実感として、体感としてその感覚が残っていないので
今でもとても苦しくなる時があるのです。
私の育った家自体がとても色んな問題のある家だったので
若くして嫁いで母になった母は、子どものことにエネルギーを注ぐ余裕もなかったのでしょう。
木のこんのお母さん達と共にいて、私のそんな心も癒されたのですが。
あ~、親ってやっぱり子どもが大切で悩みながら育てているんだな、ということが
木のこんで出会ったお母さん達の姿を見ていて分かりました。
ですが、実感として体感としては今でも感じられないのです。
そのことが生涯に渡って影響するのだということを
それこそ、この感じられない感覚は実感として感じる訳なのです。
そして、その愛されている感覚をもてるには
0~3歳の頃の親子の触れ合いがとても大切なのだと思います。
親の想いとは関係なく、子どもがそれを感じられているかどうか、が大切なのです。
私のような苦しさを子ども達に味わってほしくなくて
みんな愛されて育ったという感覚をもって大きくなって欲しくて
この仕事をライフワークにしています。
子どもが幸せに育つこと、これは私にとっては切実なことなのです。
息子にはそんな思いはして欲しくなくて
100%全力投球をしました。(本当は70~80%の力がベストだと思います)
それに24時間神経をはりつめて見ていないと
息子はすぐに死にそうになるのでした。
そんな想いを抱えていた子供時代でしたが、
自然の中で毎日のように遊んでいたことが、私のこころを癒してくれていました。
そして、息子亡きあとパニック障害になった時も
長野の自然の力に癒されました。
里山で子どもが育つことの良さをそんなことから実感しているのです。
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